曇天に息を吹く

 コンビニの、客の入退店を告げるチャイムが鳴った。


「あ――」

 

 聞こえた店長の声に、心愛ここあは棚の整理の手を止めた。


「ありぁしたー」


 さて次と腰をあげると、店長てんちょうが困ったように笑っていた。


「……さーせん」

「だからさ」


 半分本気。半分冗談。


「十六時だし、もう上がっていいよ」

 

 時計を覗くと、短い針が四を少し過ぎていた。

 奇妙なシフトだ。忙しくなる前に入れ替え肩を温めさせる。それが店長の言い分だった。


「じゃー、失礼します」

「うん。おつかれさま」

 

 ちす、と会釈し、裏に引っ込み服を着替えて、息をつき。


「ありあしたー」


 また店長に苦笑させ、心愛はチャイムを聞いた。

 空が曇っていた。昼まで青かったのに、今は雨粒を落としそうなくらいに不機嫌だ。

 こんなとき、心愛は。

 マスクを下げ、冷えた空気を肺に溜め、唇を尖らせ息を吹く。

 吐息じゃ雲は晴れない。誰でも知ってる。

 けれど。

 晴らすつもりで息を吹く。


「何してるの?」

 

 足元から聞こえてきた可愛い声に、心愛は振り向く。気の早い雨合羽。マスクの少女しょうじょが、不思議そうにこちらを見ていた。


「晴れないかなーって」

「晴れるの?」

「たぶん、いつかは」

「ふぅん」


 少女は曇天どんてんを見つめ、マスクを下ろした。胸を張るように息を吸い、ぷふぅ、と吹いた。

 頬を緩めた心愛は、再び大きく息を吸い、空よ晴れろと息を吹く。


「――何してんすか?」


 今度は男の声だった。


加茂かもくん」

 

 リリーフの、年下のベテランだ。


「店の前でマスク下ろして……」

「だって」


 心愛は少女に言った。加茂が眉を寄せた。少女は躰を傾け、


「つまらない男ねえ」


 大人びたことを言い、店に入った。


「……つまらないですかね?」

「ちょっとね」


 加茂が首を垂れた。


「……そういや、こないだの急用――」

「あれね」


 心愛は曇天に言う。


「失恋しそうだったからね」

「え。どうなったんすか」

「失恋したね」

「……何か、ごめんなさい」


 すまなそうな声を見やると、加茂は何か言いたげに唇を舐めていた。


「何?」

 

 尋ねると、落ち着きなく髪を撫で。


「えと、それじゃあ――」


 なんだよ。と心愛は加茂の目を見た。逸らされた。


「お、俺、シフトなんで。お疲れっす」


 チャイムを残して店に消える男に、心愛は少女の声音を真似て言う。


「つまんない男ねえ」


 ――年下か。心愛は思う。高校生か。

 でも、この時期バイトできるということは、春には大学生か。

 

「……あったりするかぁ?」

 

 心愛は鈍色にびいろの空に笑いかけ、さっきよりいくらか強く、息を吹いた。

 

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