キチゲ解放

 緑の空に黄色い雲が浮かび、青白い太陽が微笑んでいる。

 獣が通るであろう細い小路こみちは二列の轍をもって、なにかの足跡らしきくぼみが点々と、右が二つ続いて左が一つ、右が続いて左と並び、三度に一度、中央の青い下草をへこませていた。

 囲う木々は渦を巻いて伸び、太陽を嫌うかのように中腹から大きな円弧を描いて、明後日の方を向いている。

 できた穴ぼこの向こうで、青白い太陽が微笑んでいる。

 ゴムの靴底が踏みしめる下草と落ち葉はどこまで硬質で、弾性をもち、できたばかりの陸上トラックコースを思わせる。

 ここは、どこだろうか。

 間違いなく日本ではないと印象を受けるが、確信は胸のうちにない。

 明日を告げるかえるはいなく、夜をもたらす麒麟が猫のように曲げた後ろ足でたてがみを掻いている。

 匂いはない。

 一歩、一歩と進みたび、ひとつ息を吸い吐くたびに、肌に触れる空気が変わる。暖かく、冷たく、生ぬるくなり、息苦しく、密度を高めて肺を潰し、体温を受け取り大きく膨れ、鼻から抜けた。

 不思議と恐怖はない。

 誰かあるいは何かが立ち去る気配。振り向くと、三歩は離れた緑の大地に、赤い影が伸びている。夕日がつくった人影に似た、棒のように細く長い赤い影。太陽から下りる垂線と交差する形で伸びている。つまりは、平たい何かがそこにある。見えないがそこにあるのだ。

 何だろうかと右手を伸ばすと、影が曲がった。もしやと首を捻ると、影が開いた。

 なんてことはない。

 影が躰から離れただけなのだ。

 確かめるべく後ろ向きに歩くと、影もおずおずとついてくる。捻じくれた木を避けるようにして、獣道についた回転する三脚の足跡を消さないようにして、置いてかないでとついてくる。

 離れたのは自分だろうに。

 向き直ると、見捨てないでと影が正面に回り込む。

 いいよ、いいよ。

 先に行きなよ。

 後ろから見ていてやるから。

 こちらが進むと影が下がって前へと進む。気づけば空は白み、風が寝息を立てていた。耳朶を撫でる黄桃の音は大通りを走り抜け、発する声は光栄な肥を越えて公園に至る。丸い。どこまでも丸い広場に動物が集まっている。

 一人で歩いてきたであろう三脚が歌い、蛙が明日を告げるべく跳ねている。変温動物ゆえに暖かい空気を探しているのだ。

 はて。

 影はどこにいったのだろうか。

 こちらだよ。

 碑石が汝の居場所を指し示す。

 碑文にこうある。


 振り返りこれら文字列を称賛する者はオッペケペーのオッペンハイマーである。


 すなわち、バカだ。

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