男性用逆立ち小便器

 やっちまった。

 さかいはほろ酔い気分もすっかり醒めて、顔を青ざめていた。駅のトイレが混んでいたので避けて、近場の公衆トイレに顔を入れたら公衆トイレというより旧時代の公衆便所を代表しているかのような公衆便所っぷりだったため回避し、その結果として既に限界が近づいていた。

 家までもつかの瀬戸際だ。

 脳内では、忘年会で遭遇した営業の河内かわうちさんが『わしの歌なんじゃワレェ!』と大熱唱した河内のオッサンの唄が繰り返しこだましていた。


「ヤバイ。マジでヤバイ。こうなったら――!」


 線路の脇に立ち小便――脳内に響く河内のオッサンの唄――それをやったらお終いだと何かが言っている。

 あと少し、あと少し、あと少し――。

 住んでいるワンルームの傍の八畳公園に併設され、また改修したばかりの、


「公衆トイレ……!」


 駆け込んだ瞬間、堺の脳裏で濁声だみごえが止まった。

 綺麗すぎたのだ。

 公衆トイレが。

 タイル張りどころか白亜の世界。

 二段に分けられた上がり框の壁には、


『土足厳禁』


 の四文字熟語。

 

「なんで、脱ぐの?」

 

 呟きが波となって肌を震わせ肉に浸透、骨を伝わり膀胱を伸縮せしめた。


「ぐ、お、あ……!」


 堺は両手で股間を握りしめて靴を脱ぎ捨て、奥ヘと進んだ。

 そして、固まった。

 いわゆる男性用小便器の逆版と言えばいいのか。

 奇妙な形の便器が並んでいた。

 便器の足元には、それを挟むように二つの手形のマークがしてあり、同じように、通常の小便器であれば顔が向いているであろう箇所に、二つの足型マークがある。


「何、これ」


 一時、尿意を忘れて首を振ると、壁に『逆立ち小便器の使い方』と題された絵があった。

 逆立ちしていた。壁倒立の逆版というか、壁に腹を向けるようにして足で這い上がってするように、とそう読み取れる。

 堺は急いで首を左に振った。

 個室は、あった。

 だが、


「……吸引型、大便器?」


 通常は上が切れている扉と壁が天井まで伸びている。その壁に、三点倒立の要領で尻を上げて便器に接するようにと説明書きがあった。

 脳内で、河内のオッサンの唄にリクエストがかかった。

 

「……ど、どう、なる?」


 境がおずおずと小便器に近づくと、


フォォォォォォォォォォォォォォン!!


 と、エアーが小便器の上に向かって吹き始めた。

 つまり、あれだ。

 モノを出して股間を入れれば、風によって、モノと垂れ流されたモノが。

 堺は首を振った。

 では、大便器は――。

 脳内にこびりついた、河内のオッサンの唄。

 堺は意を決し、ジッパーを下ろした。

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