オヨバの笊

「のう空子からこさんや」


 せっかくの休日の午前十時から急襲、滞在を決め込む夏美なつみが、空気の抜けかけたバランスボールに背中を預け左右に揺れた。


「わしは腹が減ったぞよ」

「……そうかい」


 空子は未だ真っ白のドキュメントを睨む。ノートは健気にも彼女の一打を待ち続けていた。二時間も。

 

「お腹へったー、家主殿ー」


 夏美はファッション誌を投げ捨て、カカカッ、と笑った。


「進んでないんじゃろ? 空腹の仔羊めに慈悲の青芝をくれんか」


 空子は微かに吹き出す。


「なにそれ。シェイクスピア?」

「いんや。私。彼は洒落た言い方するし、バルザックなら難しく言う」

「読んだことねえなあ」

「不幸は我らに真の友人を教える」

 

 夏美は雑なヒップスラストを始めた。


「フランス人のくせにパスタが好きそうな面構えのおっちゃんさ」

「……パスタか」


 空子はテーブルを叩いた。パスタなら、と蜘蛛の糸じみた細い光が差していた。明後日の方に。

 気まぐれで買ったデカすぎる寸胴に水をたっぷり、ロングパスタを三人前。スパゲッティーニだ。所謂いわゆるやや細麺。塩は大相撲の旭日松あさひしょうを意識した一握りで投入、火にかけて。

 空子は両手で天を突き一歩、踏み出し、腰を沈めた。両膝は九十度。戻り、今度は左足を踏み出す。


「……何?」


 夏美の問いに、空子は鼻呼吸しつつ答える。


「パスタの呼吸。フロントレッグランジ」


 ブホッ、と夏美が吹き出した。

 満足だが、茹で上がるまではやめない。次はバック。七分茹での五分過ぎに野菜室を開き、キャベツを雑に千切り、パスタの湯切り、両者を皿に盛りダイニングちゃぶテーブルに。


「ほれ」

「……いやこれ素パスタじゃねえか。バキバキだし、固まってるし」

「今はな。待ってろ」


 空子は取って返し、スーパーでタイムセール二十パーオフの二十パーオフだったローストビーフをパスタの上に並べた。


「え?」

「タレイィィィン!」

 

 肉と菜と麺に汁が浸透する。ホースラディッシュを皿のフチにひっつけ、完成。


「あばんどなーて、ら、どんな、え、ら、パスタ」

「……女を捨てしパスタ?」


 夏美は苦笑しながら箸を取った。


「ホースラディッシュを肉に。キャベツとパスタを――」

「挟んで?」

 

 巻き、口に入れ、夏美は咀嚼しながら顔を覆った。


「なんてこった。美味いと感じる自分がいる」

「杉の樽はオヨバのざるみたい、ってな」

「……何て?」

「杉の樽はオヨバの笊みたい。身の丈が美味いのよ。なんやかんや」


 夏美は肩を揺らした。


「オヨバの笊ってどんなだ」

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