純白のドレス

 二十一歳の秋だった。運がいいのか悪いのか、バイト先で研修インターンに誘われ承諾したら、内々ないない内々定ないないていとかいう、箪笥たんすの一番下の抽斗ひきだしに眠る五円玉みたいな約束をされた。

 将来安泰。

 地味だけれども。

 波乱もなさそうだけれども。

 そんなとき、実家から鬼電おにでんがあった。


「三分おきって」


 私はコンセント式AEDで息を吹き返したスマホを見つめ、誰に言うでもなく呟いた。嘘だ。平静を取り戻そうと自分に言った。

 思い当たるフシがあった。

 喜寿きじゅを迎えた祖母が外で転んで老け込んだ――というか、年相応になったのだ。テニス帰りにフラ教室に寄り家でボウリング大会に備えフォームチェックしていた祖母が、今は縁側がわりのソファーで一日ボっとしているという。

 せめて可愛い孫の卒業と就職と結婚と出産までは元気でいてよ、と私は祈りながら電話をかけた。


「おっす」


 軽かった。要件は祖母が用があるらしいから暇を作れ。詳細不明。暇を見つけてでなく、作れというのがかんに障った。

 でも、嫌な想像が尾を引いて、口は土曜に帰ると動いた。

 不動の白雲が空に蓋する漬物石に見えた。

 視線を下ろすと我が実家の実家。祖母が意匠屋デザイナーと喧嘩腰でやりあったモダンでバリア満載の城。

 すっかり縮んだ祖母が、革張りソファーに正座し、茶を飲んでいた。


「久しぶり。元気そうだね」


 私の社交辞令に、


「大学は世辞しか教えないんだねえ」


 祖母はそう返した。


「あんたに、あげたいたいものがあってね」


 遺産?


「ニヤけてるよバカ孫」

「……もうちょっと孫に優しくしようよ」

「するよ。ほら、アレ」


 祖母が顎をしゃくった先、和室のふすまの奥に、反射的に目をやり、私は固まった。

 純白のウェディングドレスだ。白い長手袋つき。デザインは古めかしいが、輝きは幾ばくも失われていない、旧時代乙女の大鎧。


「私まだお相手が……」

「あんたの器量じゃね」

「おばあちゃん口悪くなった?」

「金歯の一つもないね」


 祖母は言った。


「あんた、これ着てさ」

「うん」

「カレーうどん食べてきな」

「……ぅん?」


 私は眉間に力をこめて聞き返す。


「カレーうどん?」

「老人には重い」

「そうでなく」

「爺さんがね。いつかこれで式やろうって」

「いつ」

「死ぬ前だよ」

「言い方」

「くたばる前さ」


 祖母は鼻を鳴らした。


「腹立つから汚してやろうと思って、大事に取ってて、この年だよ」

「えと」

「盛大に音たてて啜るんだよ? 私が死んだらあんたにあげるから」

「おばあちゃん……」


 老いて益々パンクだね。

 

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