誰?

 木塚きづかは窓枠に肘をつき、外壁工事用の足場とネット越しに空を見た。いったい、俺の体はどうなってしまったのだろう。病気らしい病気はない。食事は美味く、睡眠が少々たりないくらい。

 なのに、これは――。


「物憂げだね、旦那候補くん」


 妻候補の真紀まきの声だった。木塚は焦点をぼやかし、窓ガラスの反射で彼女の朧気な姿を捉える。さして広くもないワンルーム。ロフト付き。ウィスキーとドライジンの空き瓶、空き缶のつまったビニール袋だらけ。唯一の椅子をPC用デスクの前から運んできたため、座るなら床のクッションだ。

 だからだろう。

 白い服の真紀は両手を垂らして立っていた。部屋が薄暗く、またネットが日よけになって明かりが足らず、表情は分からない。

 木塚は極力振り返らないように意識を払いながら答えた。


「最近、体が重くてさ」

「そうなの?」


 耳馴染みのない声だった。


「うん。太ったかなって思って」

「それで?」

「鏡の前に立つと、ちょっと腹が出てて、まずいなって」

「ふうん」

密林あまぞんで体組成計を買ってさ」

「そしたら?」


 真紀が一歩、近づいてきた。

 木塚は固く目を瞑り、見開き、工事足場の骨組みに注意を向ける。


「体重が七十キロで体脂肪率三十パーセント」

「三割が脂肪だ」

 

 真紀がクスクス笑った。


「食生活を見直そうと思って、とりあえず一日に食べる白米の重さを測ったんだよ」


 木塚は自嘲気味に笑った。


「体重計で」

「体重計で」


 真紀がクスクス笑った。


「俺、一回で六百グラムも食べてて。約九百キロカロリー」

「そんなに」

「――でも」


 木塚は言った。


「俺、朝の軽食と、夕飯だけだから、多すぎないんだ。計算したら」

「……それで?」

「脂質にも気をつけてるし……これ、もしかしたら……って」

「何?」

「禁酒を始めてさ」

「毎日飲んでたのに」

「うん。したらさ」

「――したら?」


 真紀がクスクス笑った。


「一日に五百グラム体重が落ちて、一日に〇.五パーセント体脂肪が減るんだ」


 いわゆる第三のビールで一缶二百キロカロリー弱。ウィスキーが百ミリで二百キロカロリー強。いったい、どれだけ飲んでいたのだろう。

 木塚は額に浮かんだ粘っこい汗を拭った。

 そもそも、俺に妻候補なんていたか? 真紀こいつはいつからここにいる?  

 イマジナリー妻候補か。アルコールの離脱症状が見せる幻覚か。 

 それとも――。


「もう四日目なのに、まだ減るんだ」


 ガラスには、真紀の首から上が映らない。

 しかし、木塚は、どうしても振り向けなかった。

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