薬味そば

 とおるはスーツのポケット全てを叩き、項垂うなだれた。会社に財布を忘れた。スマートホンも。昼休憩に手ぶらは蛮勇が過ぎる。取りに戻るか――と、顔を上げると、雑踏に見慣れた人影があった。


「コンさん!」


 呼ぶと、中年男がギクリと首をすぼめた。


「……なんだ透か。脅かすなよ」


 胸を撫で下ろすコンさんに、透は苦笑しながら近づく。


「いや驚かなくても」

「ほっとけ。いまメシ?」

「そうなんすけど――」


 コンさんが口の端を下げ、言葉を引き取る。


「奢れって?」

「財布忘れちゃって……後で払うんで、ダメすか?」

「いま細けぇのが……」

「そこをなんとか! 一緒のトコでいいんで!」


 透が手を擦り合わせると、コンさんはため息で応じる。


「……あんま頼むなよ?」

「あざっす!」


 透はペコペコ頭を下げた。あんまり頼むな? と思いつつ。

 コンさんの目的の店は、下町風情漂う路地裏にあった。


「……薬味そば?」


『そ』の字の上半分が縁取り残して色褪せていた。


「文句はなしな?」


 コンさんがカロリと戸を引き暖簾をくぐった。

 脂っぽい気配のする席につくと、頭に手ぬぐい、小豆色の甚兵衛の女性店員が分厚いメニューをおいた。


「お決まりでしたらお呼びください。それと、これ、どうぞ」


 出されたメモ帳とボールペンに首を捻りつつ、透はメニューを開いた。


『麺 乾麺:百円 手打ち:二百円』


 透は瞬きしてメニューを閉じた。心を落ち着け、また開く。


『お品書き:長ネギ百円(刻み、千切り、十円増し)、みょうが百円……』


 透はメニューを閉じ、コンさんに尋ねた。


「あの、乾麺と手打ちって……」

「乾麺がいいぞ。手打ちは蕎麦の香りが薬味の邪魔になっから」

「……そっすか」

 

 透はメニューを開いた。


「あの、コロッケって……」

「俺は好かねえけど入れる奴はいるな」

「入れる?」


 コンさんが怪訝けげんそうに眉を寄せた。


「薬味はそばちょこに入れるもんだろ。皿で食うなよ? 俺も出禁になっちまう」


 コンさんが手を挙げ店員を呼んだ。まだ理解に至ってないのに。透は慌てて言う。


「か、乾麺で、長ネギとみょうがの刻み、山葵わさび……練り? で」

「練り山葵とはツウだねえ」


 コンさんは嬉しそうに笑い、真っ黒になったメモ用紙を読み上げた。


「乾そばにネギネギ丸キザ天かすゴマかぼすレモンクミンカイワレと辛味ダイコンに……」


 縷々と歌う薬味の名列。最後に。


「あと、コカ刻み」


 透は耳を疑った。


「……コカ?」

「薬味だよ。これがまた、」


 コンさんは唇を舐めた。


「よくキクんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る