ちゅーちゅーのめーげつ

 中秋――すなわち旧暦で八月十五日の夜、薄っすらと雲が散らばる空に、月が黄銅の真円を描いた。八年ぶりの満月である。

 いずみはアウトドア用のリクライニングチェアをベランダに出し、説明書に首を傾げつつ展開した。三年前に買ったきり一度も使ったことがなかったのだ。

 近所のスーパーで買ってきた月見団子を自称する三色串団子のパックを開封し、家で一番洒落てる気がする皿に並べる。墨絵の鼠が特徴的な、一枚三千円もする御鐘尾おかねお久那斎くださいの作だ。

 泉にとって皿一枚に三千円は明らかに高いが、しかし、とっておきの一枚にするにしては安すぎ、これまで使い所がなかったのだった。


「さあさあ月見で一杯でございますよ」


 親元を離れて東京に出て早二年、独り言ばかり増えていた。

 団子にワインはどうだろうと思いながら冷蔵庫を開くと、


「――ガッデムッッッ!!」


 目当てのワインの空き瓶だけがキンキンに冷やされていた。いつ飲んだ? たぶん昨日だ。今日という日がありながら、なぜ? 


「……会社帰りに知ったからぁ……」


 中秋の名月が八年ぶりの満月なのだと。泉は、パタム、と冷蔵庫を閉め額を扉に押し当てた。しばらく同じ姿勢でいたが、急に笑む。


「甘いわ!」


 ガァ! と野菜室を引き出した。平たすぎるキャベツと八分の一カットの白菜に包囲され、日本酒の瓶が居心地悪そうに立っていた。抜く。よく冷えていた。


 ――空き瓶が。


 泉は表情を消し、そっと瓶を床に置き、自らに問うた。


「なんで私は空き瓶を冷やすの?」


 自明だ。


お酒あなたのことが忘れられないから――!」


 独り言は日増しに異様になっていく。生まれてから今日に至るまで彼氏なる概念は知識ベースに留まっている。小、中、高と三度も勇気を振り絞り、尽く玉砕した。覚悟が相手に気負いを生むのだと限界まで軽い調子で思いを伝え、完っっっ全に冗談だと認識された。

 それが、泉に空き瓶を冷やさせたのだ。


「ケッ!」


 と、涼し気な双眸そうぼうを座らせ、泉は三度、冷蔵庫の封印を解き、ジンフィズの瓶を取った。ついでに買い置きの徳用チーズを皿に盛る。足音を立ててベランダに戻りはたと気付いた。


「テーブルねえし……」


 直置きだ。最低で最高だ。せめて相手がいれば。

 泉は暗闇に振り向き、呟いた。


「……いるじゃねえか、ナイスガイがよ……!」


 瞬間、部屋の片隅に置かれた飼育籠ケージの奥で、回し車がカラカラと運動を始めた。

 赤目に白毛のナイスガイは、チーズには手を付けず、柵越しの月を見つめていた。

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