嘆きの壺

 北見きたみは会社帰りに買い物を頼まれていたのを思い出した。家はすぐそこだった。今から駅前のスーパーまで戻る気はしない。近場で玉ねぎが買えそうなのは商店街しかない。変な店ばかりで気が進まない。買い物を忘れては帰れない。狭い肩身が跡形もなくなる。

 北見はため息をついた。

 商店街は夕焼けに包まれていた。久しぶりだった。怪しげな気配は何一つ変わらない。店主に挨拶をされた。北見は会釈した。前もそうだった。商店街の人々は友人のように接してくる。不快は言い過ぎだが苦手だ。既視感を覚えるほど変わらない。

 ただ一つ変わっていたのは店名だった。


「……骨董売の少女?」


 以前も古物を売っていた。ショウケースに価値のなさそうな小物が並んでいる。古びたランプもそのまま。シェードに貼られた『あります』のポストイットだけ違う。前は『』だった。


「……居抜きか?」


 北見は首を傾げた。扉の曇ガラスのちょうど真ん中だけが覗き窓のように透き通っていた。奥に人影が見えた。前はいた猫が今はいない。玉ねぎは買ってある。寄り道してもいい。そう思った。吊るされたベルが北見の来店を告げた。


「いらっしゃいませー」


 少女が顔をあげた。妙に大人びていた。化粧をしているのだ。躰のサイズが小さいだけ。少女は童顔の女だった。


「骨董売の少女?」


 北見は尋ねた。女が愉快そうに笑った。


「旦那が面白いからって言って」

「ご結婚されてるんですか」

「はい。残念でした?」


 北見は苦笑した。


「何をお探しでしょうか」


 女は言った。


「特にないならオススメしますけど」

「オススメ? 骨董の?」

「ええ。お客さんにぴったりの奴を」


 女が高椅子から飛び降りた。小柄な中学生くらいの躰は首から下がカウンターの影に隠れてしまう。硬い革靴の音が奥の棚から壺を取って戻ってきた。カウンターに置いて椅子によじ登った。


「……壺ですね」


 古い壺だった。砂糖壺を少し大きくしたような蓋付きの壺だ。

 女は蓋に手を置いた。


「嘆きの壺と言います。蓋を開けて嘆くと原因がなくなるんです」

「……ほお」

「五百円でどうでしょう」

「安いですね」

「使い勝手が悪いので」


 北見は失笑して五百円を渡した。まいどあり。声を聞きながら蓋を開けた。注意

して――。


「買い物くらいやってよ」


 北見はため息を吹き込んだ。蓋を閉じると少し気が晴れていた。

 女が眉を歪めていた。


「……知りませんよ?」



 北見が壺を持って帰ると、妻と子どもが消えていた。

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