猫の話

 二〇二一年、イグノーベル賞――人を笑かせ、また考えさせる研究に与えられるこの賞の、生物学賞に、類まれなる研究が選出された。


 喉慣らし、さえずりなどを使って、猫と人はいかに会話するかの解析――。


 八雲やくもとおるはノートパソコンから目を離し、安っぽい乳白色の天井を見上げ、顔を横に向けた。

 一匹の黒猫が、つまらなそうに、ゴムのボールをちょいちょいとつついていた。おそらく、ボンベイである。道端でプルプル震える痩せ猫を拾い獣医に連れて行った結果、そうではないかと言われた。

 猫は、透の視線に気づいたのか、尻尾をシュッと立てながら起き上がった。そして元・野良とは思えないくらい雑にペタシペタシと歩き、床上クッションにあぐらをかく透の膝に手を乗せた。


 ……るるるるる――。


 そう、喉を鳴らした。気がした。

 透が首を左に傾けると、猫は逆向きに首を傾げた。目と目が合った。金色の瞳。いや瞳孔は黒いが。


「……乗っていいぞ」


 透は言った。研究によれば、猫は少なくとも十三種類以上の鳴き声を利用して会話するとされていた。

 猫は、ぺたし、ぺたし、と透の太股に体重をかけ、登り、組んだふくらはぎの中心で丸くなった。そのまま寝るのかと思いきや顎を上げて透の顔を見つめ続けていた。


「……お前、いま、絶対に話しかけてきてるよな?」


 透は言った。研究が扱っているのは『The Meowにゃー』だけだが、飼い主としては、どう考えても猫のコミュニケーションは非言語的ノン・ヴァーヴァルコミュニケーションが中心である。

 透は猫としばし見つめ合い、小さく鼻を鳴らし、言った。


「いいんでちゅよー。キミはもうウチの子なんでちゅからー」


 燃え上がるほど顔を熱くしていたが、それすらも忘れて、透は猫の小さな頭に置いた。猫が気持ちよさそうように目を細める。透は手のひら全体ですべすべとした感触を堪能しながら猫の耳をぺしょらせた。手が通り過ぎた瞬間、耳がピンと立ち上がった。


 にあ。


 そんな一言を期待したのだが、猫は閉じていた瞼をもちあげ、瞬きしただけだった。また撫でようと、左手を頭の上に置くと、ちょうど猫の口元にきた親指に噛みつかれた。痛みはほとんどなかった。

 痛かったのかもしれないが、別に痛いとは思わなかった。


「……なんでちゅかー? おこ? おこでちゅかー?」


 透が呼びかけるも、猫はガジガジと噛み続けるだけだった。


 人のなかには、猫に幼児語を使う種がいる――。


 その発見を報告する場が、彼女にはなかった。

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