威厳

 前進基地司令官執務室の窓から、中庭で命令書や機密文書の類を燃やしているのが見えた。次々と持ち込まれ、火中に投げ入れられて、羽虫のように火の粉が散った。

 モリワキ大佐は息を漏らし、空になった執務室を見回す。手汗が染み込んだ椅子に腰を下ろして、机に残る数少ない私物――葉巻ケースの蓋を開けた。


「大佐」


 若く、強気な声がし、扉が叩かれた。

 モリワキは蓋を閉めた。


「入れ」

「失礼します」

 

 入ってくるなり、大尉たいいは腰を折って敬礼した。来た頃に比べれば様になった。


「大佐。そろそろ――」

「まだ少しあるだろう」


 モリワキは腕時計を見て、楽にしろ、と肩を上下に揺する。

 大尉が強張った頬を緩めた。


「――撤退とは思っておりませんでした」

「私もだ」

「向こうでも大佐にお仕えできるでしょうか」


 そう心酔されても困るな、とモリワキは席を立った。


「まあ無理だろう」

「そんな――」

「退役しようと思っていてね」

「――なぜです!?」


 官帽を取り落しそうな勢いに、モリワキは苦笑する。


「いま辞めれば、軍人より長く人として生きられる」


 モリワキは葉巻ケースを開けた。


「大尉は葉巻をやるか?」

「いえ」

「では酒は」

「そちらは、多少」

「じゃあ、そこのウィスキーボトルとカップを二つ持ってくれ」


 言って、モリワキは官帽を頭に載せ、葉巻ケースとコーヒーとは名ばかりの黒い水がつまったポットを取った。


「屋上に行こう。少し風に当たりたい」


 兵士たちの、気の緩んだ喧騒が聞こえる。歴戦の記憶が煙となって天に昇る。


「なにも本まで焼くことはなかろうに」

「……止めますか?」

「そういう意味ではないよ」


 モリワキは苦笑した。やはり私への忠誠心を少し削ぐ必要がありそうだ。屋上の壁にポットを置き、ブリキのカップに半分ずつ注いで、ウィスキーを垂らした。

 ささやかな乾杯をし、酒気香るコーヒーを一口飲んだ。


「君はこんな話を聞いたことがあるかね」


 葉巻の片端を噛みちぎり吸口をつくった。咥え、先に火を灯す。


「日本人の陰茎ペニスはトイレットペーパーの芯とほぼ等しい」

「……大佐?」


 訝しげに寄せられる大尉の眉に、また苦笑する。


「試してみたら、私もそうだった」

「た、試す……?」

「それで気になった」

「……何がです?」


 ぷっ、と煙を吐き、モリワキは手で丸をつくり、口にあてがった。


「これはしんどくないか?」

「……た、大佐……」

「人間、そんなものだよ」


 虚空を彷徨う大尉の視線。モリワキは満足してコーヒーを飲み干した。

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