クソデカ感情を学ぶための習作
ビール八本を詰めたビニール袋が手のひらに食い込む。
カン、と鍵の外れる音がした。
「おはようさーん」
黒縁メガネの奥、空子の瞳はとろんとしていた。
「買ってこさせて先にやるかね、フツー」
夏美は顔の感覚を維持した。
「昨日オメーが飲んでなけりゃ二缶あったがや」
「方言は、また誰かの小説の影響かい?」
「うるせい」
へらっと笑い、空子が手招きながら振り向く。夏美は袋を持ち替えた。温まった醤油の匂い。作りすぎた肉じゃが。定食屋とは少し違う。
二歩先、空子の後ろ頭に化粧筆の先みたいな括り髪があった。
「まげ」
言って、夏美は毛先をつまんだ。
首をカクンと反らし、空子が振り向く。
「うぉい! 禁じ手ぇ!」
「大銀杏には早いやね」
空子が向き直るのを見計らい、夏美は髪に触れた指先を擦り合わせた。冷蔵庫にビールのパックと猫の絵柄のクラフトビールを一本いれた。
「私の分もー」
夏美は苦笑して猫の缶に触れた。息をつき、パックから一缶だした。空子のちょんまげの下の、白いうなじにビールを当てた。悲鳴に笑い、皿のあった彼女の斜め横に座る。空き缶が二つ。底の浅い植木鉢みたいな皿に山盛りの肉じゃが。
「んでは――作りすぎたかったカレーに乾杯」
「はあ?」
「話せば長いのだ……」
語られる経緯に笑いつつ、猫のビールを飲んだ。青りんご味。ビールというよりエールだな。夏美は肉じゃがに箸をつけた。
「――で、思ったね」
空子の声に耳を傾け、芋を口に入れた。想像以上に優しい味だった。
「夏は美しい、と」
ブッ、と夏美は思わず吹いた。
「うぉ!? なんだ!?」
「……しょっぱくてビビった」
「え、マジ!?」
「やぁ、こらぁビールのせいだは」
慌てて缶に口をつけた。
「お? 何それ」
「クラフトビール」
「へえぇぇ……一口くれん?」
「冷蔵庫」
「マジ!? 今日は気が利くじゃねぇか……」
演技がかった調子に首を振り、夏美は缶を置いて箸を取った。途端。
空子が缶を取り口をつけた。
「おおー……いいねぇ」
「冷――」
「うん。もらおう!」
缶を置き、空子が立ち上がった。
「モテる女は違うねぇ」
という声を聞きつつ、夏美は缶を口に運んだ。
「香水も変えてくるしさぁ」
夏美は唇を撫でた。だらしなく緩んでいたので、手で隠しておくことにした。
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