巨大感情の理解のための習作

「肉じゃがを? へえ。まあいいけどねぇ、ちょうど肉じゃが気分だったし」

 

 食べかけの肉じゃが定食を見下ろし、夏美なつみはスマホを左手に持ち替えた。


「仕事終わって、家寄って、それからだなぁ。……あいよぉ」


 通話を終え、夏美は左手で頬杖をつき、口元を隠した。視線を右に、左にと動かし、箸を芋に刺した。左腕の、赤い腕時計を見る。十五時十七分。

 十八分。

 十九分。

 夏美は唇の片端を吊り、スマホ片手に咳払いして社に連絡した。


「――あ、お疲れさまです。はい。そうなんですが、冷たい物いったら、その……それは分かってます。でも――本当に申し訳ありません。――ありがとうございます」


 通話を終えると、夏美は左手に水を、右手に箸を持ち、肉じゃが定食を流し込んでいった。顔を歪めながら唇の両端をあげ、会計をすませて、


「ごちそうさまでした」


 と店を出た。タクシーを拾い、自宅の住所を告げ、スマホで自宅のエアコンをつけた。会計を済ませエントランスに。エレベーターは上階。階段で上がった。部屋の鍵を開けて入った。扉を背に息をつく。時計を見た。顎を上げた。

 シャツのボタンを外しつつクレンジングを回収し、浴室に向かった。

 メイクを落とし、髪を洗い、汗を流した。

 夏美は扶桑土バスマットに落ちる水滴を見つめて言った。


「……バスタオル……」

 

 歯を軋らせ、素っ裸のまま歩き出し、タオルを掴んで躰を拭きつつメイク台の前に座った。髪に染み込んだ水を絞り鏡像を見つめる。三本の香水瓶の、左端の、青い瓶に指先を乗せ、眉を寄せた。一つ右のオレンジに乗せ換え、左手の指で唇を撫で、もう一つ右の薄ピンクを倒した。

 夏美は瞼を閉じ、顎をあげた。


「ああ、もぉぉぉ……昨日の今日だぞ、空子からこぉ……」


 眉間に皺が寄った。唇の端は上がっていた。右の目元を左手の親指で押さえ、唸り、青い瓶は奥に押した。

 メイクを終え、着替えを済ませ、玄関で靴を選んだ。

 十七時二十分。

 夏美は家を出た。友人の空子の家に向かう途中、メッセージがきた。


「ビールよろ」


 鼻を鳴らし、空子は酒屋に寄った。ビールを一パック――と、


「これビールですか?」

「え? ああ、クラフトビールです」


 猫のイラストがついていた。


「美味しいですか?」


 店員はパックのビールを一瞥して言った。


「けっこう人気です。でも飲むなら味がわかる最初の一杯がいいでしょうね」

「じゃあ、それも二本」


 空子はカードを出した。


「――水曜日じゃないけどねぇ」


 声を整えた。

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