見られてる

 見られている気がする。何にといえば、見られているという文字列に。不思議としか言いようがないが、おそらく、見る、という漢字と、ら、る、あたりが人間の目を意識させるのだろう。

 ラッパを吹く手を下ろし、海堂かいどうは河川敷の看板から目線を切った。まさしく、見られているような気がしたのだ。『ここで楽器の練習をしないでください』とは書いていないのに。

 

「逃げ出したくなるんだよな」


 レッスンの帰りだった。海堂はコーヒーを口に運び、ばったり出くわした友人の澤崎さわざきに苦笑しながら言う。澤崎とは高校時代からの付き合いで、ここしばらくは会っていなかったが、相談するのに躊躇はなかった。


「ゲイインははっきりしてんだよ。見られてるって文字列のせいだ」


 手の平でカップを包み持ち、海堂はテーブルの上を滑らせるようにして、くるくると揺すった。ミルクを落とすと渦を描いた。澤崎は「原因な」と笑った。ゲイインだと鯨飲になっちまう、と。


「ロクなことしてこなかったから、誰かに恨まれてたりするんかね?」


 いまは昔、海堂はイジメに加担したことがあった。クラスの、申し訳ないがちょっとブサイク寄りの、暗い雰囲気の女の子だ。高校生にもなって何やってんだと思いはしたが、周りの目があるとそうもいかなかった。


「殺されそうだって?」


 ルールを破った罰として。そんな目をして澤崎は言った。でも、と加える。逃げたくなるのは文字列のせいだってのは、あるかもしれないなと。したくてしたわけじゃなくても恨みは買う。気づいているから贖罪の気持ちがあって、だから――。


「さり気に? 俺が? だから文字列にビビるって?」


 うさん臭い仮説だが、妙な説得力があった。殴ったり、蹴ったり――そんなのだけだったら、もう忘れていたかもしれない。けれど、イジメる自分を見つめる視線が気になり、どんどん過激になっていった。


「れんらく先とか知ってるか?」

 

 死んだよ、と言ったのだろう。澤崎の口はパクパクと動いたが、音を聞き取れなかった。手が震え、コーヒーカップの内側に波が立った。自殺だったという。ただの噂でしかないが、惚れてた男に騙され、あるだけの金を全部もってかれたのだとか。


縷々るると怨嗟の鎖が伸びる、か」


 ろう読するような澤崎の口振りに、海堂は寒気を覚えた。服の上から躰を撫で擦った。擦るたびに冷えていくようだった。まさか、視線の正体は、という気になったのだった。声には出せない。頭で読んでほしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る