固茹で卵の伝統的な恋愛喜劇
目を覚ました
夏の寝間着としている甚兵衛を脱ぎ捨て、半袖のワイシャツに腕を通し、黒いズボンを履いて部屋を飛び出た。
「なんで起こしてくれなかったんだ」
叫んだ。
キッチンにいる母親が背を向けたまま言った。
「何度も声をかけました。起きなかったのはアンタでしょ」
陸斗は舌を打ち、冷めきった朝食――目玉焼きと、ミニサラダと、ベーコンと――を焦げたトーストに挟み、齧り付きながら玄関に走った。即席サンドイッチからレタスの切れ端が落ちた。
土埃で汚れたローファーを突っかけ玄関扉を押した。スライストマトが一枚、
「あっつ」
陽光で空が白い。鞄を背負い直し、走った。汗が吹きでる。サンドイッチに齧り付き、咀嚼し、顔をしかめた。足を回し、胸を叩き、顎を上げた。喉仏が上下した。
「食いながら走るとか」
喋った拍子に、歯ですり潰され唾液をつなぎに練り合わせられたトーストとサラダと目玉焼きとベーコンが飛散した。サンドイッチに齧り付いた。顔をしかめ、胸を叩き、額の汗を拭い、走った。グレイの背広の男に肩がぶつかった。怒鳴られた。陸斗は首を振り向け、食べかすを撒き散らしながら謝った。
「ごべんばざい」
向き直った。人影があった。陸斗は目を見開く。ぶつかった。サンドイッチが手から離れた。人影と絡み合って転んだ。
「ごめんなさい」
叫んだ。
濃紺色の
下着だ。パンツだ。女物のヒップハンガーショーツだ。
「なに見てんの。すけべ」
女が叫び、陸斗の頬を打った。女は濃紺色の庇――プリーツスカートの裾を両手で押さえた。
「いってーな。なんも見てねーよ」
陸斗は赤い手形のついた頬を擦る。
「てかローライズとか背伸びしすぎだろ」
女は頬を上気させ、陸斗を蹴った。
「みてんじゃないの」
叫び、眉をしかめ、胸元を見やった。白い半袖のシャツの、隆起した胸の上に、焦げたトーストと潰れて黄色い染みになった目玉焼きと歯型の欠けたスライストマトが乗っていた。
「あ、
陸斗が言った。
女の胸元からスライストマトが滑り落ちた。広がっていく卵の黄身が胸の形状に輪郭をつけていった。
「陸斗」
女は、歯を噛み締め、右手を大きく振り上げた。
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