生乾き評議会
薄暗い会議室に梅雨特有の湿った空気が滞留している。天井のプロジェクターから伸びる光が、埃の粒と、目には見えない黴の胞子を照らしている。
「――で、ありますから、生乾きというのは、生の状態と乾いた状態が――」
緊張した面持ちの、若い研究者の説明に、小さな笑い声が漏れた。
若い研究者の声がさらに細くなった。
「少しよろしいかね?」
初老の男がため息まじりに手を挙げた。
「――は、はい!」
渡りに船とばかりに、若い研究者が顔を上げた。しかし、
「不勉強で申し訳ない。その分野には明るくないのですが――」
その言葉に研究者の顔が強張った。
初老の男は淡々と続ける。
「量子論に着想を得たのだろうと思うのですが、はたして生乾きの定義にあてはめてよいものか――」
「し、しかし――!」
「もういいよ」
頭を掻きつつ厳しい顔の男が口を開いた。指導教授であった。
「若いのは皆そうだ。これは奇抜な発想だ、なんて顔して、何百回も繰り返された戯言をいじくり回すんだから」
若い研究者は顔を青ざめた。
先ほどの初老の男が微苦笑を浮かべて言う。
「そんなにいじめちゃダメでしょう。仮にもお弟子さんなんですから」
「本当に仮ですがな」
ガハハ、と指導教授が笑った。若い研究者は涙目になっていた。すごすごと下がるなか電灯がつき、髪を束ねた女性研究者が口を開く。
「やはり生と乾きの共存という方向ではなく、生具合、乾き具合で定義するべきではありませんか?」
指導教授が冷たく鼻を鳴らした。
「さっきも話したろう。生具合とやらをどう測る? 絞るか? 乾くぞ?」
「水分は抜けるでしょうが、乾いたりはしませんよ」
「だから生乾きだ? いい加減にしたまえよ」
誰もが気付いていた。食事の誘いを断られた腹いせだ。
ひとり、会場に似つかわしくない包容感のある体つきの女が言った。
「だったら臭いじゃないかしら? 臭かったら生乾きとか――」
「気持ちは分からないでもないですがね、奥さん」
初老の男がやんわりと否定する。
「柔軟剤や消臭成分、それにご家庭によって臭いも異なるでしょう?」
「まあ! セクハラですよ先生」
女の声音に批判の色はない。手練れの主婦特有の冗談だ。
「じゃあ、生と乾きの割合で――」
「下らん! 生五割、乾き五割で生乾きだとでも言う気かね!?」
叩きつけるような声にも、女は動じる素振りを見せない。
「それを今から決めるんでしょう、センセイ?」
今日も長い会議になりそうだ。初老の男は重い息をついた。
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