幻想的な河馬
エンプリオ・ディラ・ゲンジェンスキ――現地語で新緑に住まう暴君を意味する。
鬱蒼と茂る苔生した巨木の集合。人の侵入を拒否する悪路。雨が降れば奔流が生まれ、陽が照れば濃霧に包まれる幻の大地。
――クロスエッジ・ヒポポタマスカ。
十八世紀初頭、美しい馬の地を意味するカッパドキアに生まれ冒険家として名を馳せたイスハーク・デミルが、いずれ覇権を取る言語として英語を参考に名付けた。
クロスエッジは、彼の地が存在する場所が、切り立った二つの崖のちょうど交差する様から命名された。そして、ヒポポタマスカは――
「河馬だ」
「……カバ?」
「そうだ。丸の
「俺は奴に父を殺された」
「……嘘ですよね?」
「嘘だ」
冒険にしろ探検にしろ、旅行には金がいる。スポンサーありきだ。金は耳目に堆積し、人は事実より物語に耳を傾ける。
悲しげな、執念を感じさせるストーリーに。
「日本人は復讐譚が好きだ」
「……故郷の人をバカにしてません?」
「感動はポルノだ」
「誰の言葉です?」
「知らん。何とかいうディレクター? だったか?」
「僕に聞かないでくださいよ……」
ユミルのため息に、ゴンゾーは首を回した。
「集中しろ。奴は近いぞ」
「……奴?」
「河馬だ。そう言った」
「……え?」
ユミルは頓狂な声をあげ、辺りを見回す。見るからに熱帯雨林。ゴンゾーに倣って日本の土地に例えるなら屋久島が近い。
「こんな環境にカバなんて……あいつらサハラ砂漠の――」
「南だ」
「……は?」
「サハラの南には熱帯雨林がある。荒野の河馬はテレビ屋が作った」
「……マジですか?」
「見ろ」
ゴンゾーは前を指差した。
「……階段?」
高く、急な、天への梯子を思わせる苔生した石階段の頂上に、
「――十字架!?」
「あの奥に、奴はいる」
「……なんですか、その、知ったような口ぶり」
「知ってるのさ」
ゴンゾーはユミルにカメラを回すよう指示を出し、石階段に足をかけた。
「父を殺されたというのはテレビ向けだ。――本当は、一度だけ見たことがある」
階段を登りきり、ゴンゾーは熱狂の笑みを浮かべた。
「あいつをな」
十字架の奥に、大口を開いて木漏れ日に暖を取る河馬がいた。体長七メートル。枯木を思わせる鋭い牙。血の汗とも称されるピンクの汗――のはずが。
「なんだ、あれは……」
ユミルはカメラを震わせた。
暴君は、鮮血を浴びたか如く真っ赤にぬめ光っていた。
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