幻想的な恋

幻想的ファンタジックな恋がしたいと思うのだよ」


 昼過ぎの学食、メルヘン北原きたはらを自称する郷禅堂沙也加ごうぜんどうさやかが言った。

 特に何者を自称するでもない侘助わびすけは両目をパチクリと瞬く。


「幻想的って……一目惚れとかって奴すか?」


 沙也加は苛立たしげに目を細め、赤いヒールの尖ったつま先で侘助の向こう脛を蹴った。


「――デッ! なんすか!?」

「一目惚れのどこが幻想的だと言うんだ侘助」

「ええ!? いや、だって、一目惚れとかないっすよね?」


 侘助は脛を撫で擦りながら沙也加の胸元に目をやった。大きく開いた開陳シャツ――もとい開襟シャツを着ていた。


「堂々と覗く奴があるか」


 ガッ! と真っ赤なネイルが侘助の喉元を突く。当然ゲホガハゴッホと咳き込む。

 沙也加は窓の外を行き交う学生たちに憧憬の眼差しを向けた。


「彼ら彼女らを見たまえ。幻想的だ」

「……どこがすか? どこにでもいる学生じゃないっすか」

「そこがだよ」


 鼻を鳴らし、沙也加は胸の下で腕を組んだ。


「どこにでもいるんだぞ? 幻想的だ」

「……何の話をされてます?」

「幻想的な恋の話だ」

「ですよね」

勿論もちろんだとも」


 沙也加は茶色いプラスチック箸を手に取り、エスニックどんつついた。日によって辛さが違うそぼろ状の赤が乗った丼で、どこがエスニックなのかは誰も知らず、かつてトルコの留学生メフメト・デミルが辛すぎて腹を壊したという伝説だけが大学に残っている。

 侘助は突かれるエスニック丼を羨ましく思いながら尋ねた。


「つまり、一般的な恋がしたいということですか?」

「君の耳は壊れたアイフォンの純正イヤホンか?」


 壊れたはどこにかかるのか。イヤホンではダメか。というかイヤホンは発音する側では。侘助は沙也加の胸元を見つめながら二の腕を揉みほぐす。


「幻想的な恋のたとえを頂けますか」

「例えか。そうだな――」


 沙也加はエスニック丼のそぼろ状の赤をひとつまみ口に入れ、首を傾けた。


「苔生した巨木に囲まれる十字架の奥に鎮座する河馬のような恋でどうだ」

「……分かりかねます」


 侘助は腕立てしすぎたことを後悔しつつあった。絶対こんなに硬くはない。


「では、深海に膨らむ水泡の中で花を咲かせるゼラニウムのような恋でどうだ」

「もう一歩です」


 沙也加は自身の胸元を見つめながら二の腕を揉みしだく侘助の姿に息をつく。


「どう考えても恋の対象にならなそうな男に恋するのは幻想的だろうか」

「普通すぎませんか?」

「じゃあ、やめておこう」


 沙也加は窓の外に視線を投げた。

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