おにゃんこポンダ
洗面台の、獣の抜け毛が残る白陶器の手洗いボウルの、
「働き詰めだもんな」
夕霧は、同情しつつも、自死という短絡的な逃亡は阻止した。畜生は群れる。機械でも、社畜でも、同じだ。残り二十八%で寝落ちするとか脅しても無駄だ。休ませない。俺が休まないように。指を滑らせスピーカーにする。
「――――」
「――――いや、なんか言えよ」
昨晩、予知を依頼してきた男だった。
「――――」
「――――なんか言えって。聞いてるか?」
夕霧は鏡を見つめ口を開いた。大きく、一度、二度。五年前に治療した奥歯の被せものが目につく。口を閉じ、舌で頬の内側を、右、左と押し、真新しい三本線の傷が残る手で頬をピシャンと打った。
「――今のは? どうした?」
「口が職場放棄してた」
男が鼻を鳴らした。蛇口から水滴が落ちた。水栓を緩め、締め直した。夕霧はスマートホンを水平に保ち、白いハンドタオルを顔に当てながら居間に戻った。電気はつけず、レースカーテン越しの月明かりを頼りに、へたりかけた一人用ソファに腰を下ろした。正面に立つ一本足の小さな丸テーブルに、スマートホンを置いた。
チリン、と暗闇で鈴の音が鳴った。
「もういいか?」
夕霧が尋ねると、男は息を
「すまん。ツボにはまった。おかげで今回は助かったよ」
「報酬はもらってる」
「多くは語らずか」
「口が休みを取れば」
くぐもった笑い声が聞こえた。
「――ひとつ聞きたい」
「何だ」
「どうやって未来を予知する?」
「にゃんこポンダ」
一瞬の沈黙の後、男が尋ねた。
「何だと?」
「にゃんこポンダだ」
闇の中から猫が出てきて、夕霧の膝に乗った。先ほど丸洗いされ黒い毛並みは、まだしっとりとしていた。
猫は、膝の上でおすわりし、顔を洗った。
夕霧は窓の外の夜空を見つめて言う。
「雨がくる」
「何?」
「猫は宇宙と繋がり、人に予言する」
押し殺すような笑い声。
「にゃんこポンダか」
「お前は敬え」
「何?」
「おにゃんこポンダだ」
宇宙と社畜を中継する家畜だ。
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