人のセイ
「やめだ、やめ! もうやめた!」
手にしていた紙束を頭上に放った。文字で埋め尽くされた紙片がエアコンの吹き出す風に乗って四方八方に散らばりながら降り落ちる。
「ちゃんと拾っといてよ」
鎹は苛立ちながら首をそっくり返す。
「俺はやめる。やめた。もうやめたんだ」
「お疲れ」
葵は抑揚と気持ちと温かみを欠いた返答をし、ぺろり、とページをめくった。
鎹はもたれかかった背もたれの狭い可動範囲を限界まで利用して上体を揺らしながら尋ねる。
「それ、面白い?」
「つまらんね」
「俺のより?」
「いい勝負かな」
ッッッッッックァッアアアアアアアアアアアアアアアアア!
と、鎹は机に置いておいた赤まみれになっている原稿の束のクリップを外して宙に撒いた。散らばる紙。葵は胸元に落ちた一枚を迷惑そうに拾い上げ、ソファの背もたれを越して鎹の領域に、ぺろり、と落とした。
「ちゃんと拾っといてよ。滑って転んだりした嫌だし」
「ダメだ」
「なにが?」
ぺろり、とまた一ページ進んだ。
鎹は領の手のひらを自分の頬に叩きつけ、そのまま顔を洗うように擦りながら椅子に腰を落とした。
「ダメだ。全然ダメだ。書けない。葵のせいだ」
「私のせいかね」
「間違いない」
「間違いないかい」
「責任とってくれ」
「もう取った」
葵がぺろりとページをめくった。鎹はエアーフェイスウォッシュを止め、肩越しに振り向く。真剣とは言い切れない横顔。大きな目は細かく上下を繰り返しているので読んでいるフリではないのだろう。ため息が出た。
「……そっち行っていい?」
「そっちってどっち」
ページが、ぺろり、とめくられた。
鎹はふてくされたように首を突きだして言う。
「葵の傍」
「ここは傍じゃないというのかい」
「二十センチが遠いことだってある」
葵が本から目を離し、ソファーの背もたれを一瞥した。鎹のばらまいた紙束には興味を示すことすらないのに。
「葵のせいだ」
「私のせいかい」
「葵のせいで二十センチが遠くなった」
「じゃあ、責任を取ろうか」
言って、葵は見開きに指を挟んで本を閉じると、背もたれに手をついて身を乗り出し、睫毛を伏せ、顎を少し上に向けた。
色素の薄い唇に魅入られ鎹も両目を閉じながら口先を寄せると、ぺろり、と小さな舌に舐められた。
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