ASMR

ぱぎっ、ごっ、ごごり、ごぎゅり、ぎゅぎぎぎぎ、ばぎゅゎり。

ごりりっ、ごり、ぐちゃちゃぎゅちゅ、タむぢゅりりぎゅがっ、スぎゅケ。


 真由美まゆみは咄嗟に一時停止ボタンを押し、ひとつ唾を飲むように喉を動かしてから、大型のヘッドフォンを外した。


「……今、人の声が入ってなかった?」


 目頭を揉みつつ、画面の向こうの直虎なおこに尋ねた。同級生の直虎と同期をとってASMRを同時に視聴していたのだ。

 直虎は画面に薄く反射する真由美の渋面と似た顔で右耳からイヤホンを外した。


「どうだろ? ありえなくはないよね。だってこれ――」


【咀嚼】人間の右太ももを食べる音【TIGER】

 

 直虎という変な名前は両親が井伊氏のファンで生まれたのが娘だったからだ。なぜいま説明をぶちこんだのかと言うと他に入れるタイミングがなかったからだ。

 真由美はサラダ味こと塩味のじゃがりこを二本くわえ左の一本を舌で口腔に引き入れ前歯で挟んだ一本を割らないように噛み砕きつつ言った。


「タイトルがエグいだけだって」


 当然の判断だ。前歯が少し食い込んだ残り一本を吸い込んで咀嚼する。

 直虎は眉間に若々しい皺をつくった。


「なに? ビビってる?」


 夏休みを過ぎて冬休みに絶望し春休みに突入した中学一年生らしい発想だ。中二病の発症は中一の半分が終わった頃に始まる。新しい環境へのストレスに耐え抜きひとまずの長期休暇を迎えたあたり。やってみようと思いだす。人生に色をつけようと。

 多くの場合、進級時にクラス替えがありリスクも少ない。だから幻想入りを試みる。幻想入りの意味を知っている人間は少なくなった。直虎に言わせればアンダーワールドに迎え入れられることを言うらしい。

 いずれにしても、真由美はユーチューブの地下世界を知らなかった。


「……ビビってはないけど、ガチだったらどうする?」

「どうって?」

「私らヤバくない?」

「もっとヤバいの知ってる。続き。聞こうよ」


 口ぶりとは裏腹に直虎の顔は青かった。

 だが、真由美も同じだ。


「私らズレすぎ」


 つい笑みが零れる。直虎もほとんど同時に吹き出した。


「そりゃ友達できないわ」

「私は」

「なんだろ。相棒?」


 ふひゅ、と喉奥から息を抜くようにして笑い、直虎はイヤホンを押し込んだ。

めぎっ。ぐじゅぎゅりりりばぱきゃっ、ぐじょじょじょぎゅりっぴゃきっ。

かふぁぎゃぎっ、コロシみぎゃちゃちゃっ、コばきゃぎぎテ、ちゃびゅちっ。

 その音が本物であると二人が知るのは、もう少し後。

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