ポリコレ棒
緊急で相談したい、と
普段の楠丸は思考の痕跡が感じられない声で話し、緊急の代わりに暇かと尋ね、相談の代わりに飲もうと言う。
――それが。
借金か。連帯保証人か。ありえない。楠丸の実家は裕福で、結婚相手の家もほとんど貴族かと思う富豪だ。
私の脳裏を一つの言葉が過ぎる。
――不倫。
ありえなくはない。風呂嫌いで不潔だが、なぜかモテた。親しくなる前は――なった後でさえ――実家が金持ちだからだと思いがちだが、違う。金持ちの実家を誇らないからモテるのだ。そのくせ金払いはよく、喧嘩っぱやく、親しい人と話す時の熱意と陽気さは素晴らしい。私自身もファンである。
「……いったい、なんだってんだ」
私は冷めてしまったカプチーノを取り、外に目をやった。
「お。」
そのまま口をつけずにカップを置いた。楠丸がきていた。真っ青な顔で、マスクの端から立派なヒゲを零し、腹の贅肉を揺らしている。何をそんなに慌てているのか。
ふたたびカップに手を伸ばすより早く入店し、彼は私の前に座った。
「久しぶりだな楠丸。どうしてた」
「あ、挨拶はいい! 凄いものを手に入れたんだ!」
「へぇ?」
私がカップを持ち上げると、楠丸が喉を鳴らした。
「ポリコレ棒だ」
私は一滴も飲まずにカップを置いた。
「何?」
「ポリティカル・コレクトネス棒だ」
「……病院には行ったか?」
「ほ、本当なんだ!」
突然の大声にウェイトレスがミニスカートを押さえて振り向いた。
私は苦笑いで会釈し、楠丸に尋ねた。
「ポリコレって、政治的に正しい――」
「それだ」
「だが棒ってのは比喩だろ?」
「違ったんだよ!」
なぜか小声になり、楠丸が懐から棒を出した。
見た目には寸足らずの角材だ。管理番号なのか黒字で一九一七と書かれている。
私の疑義まじる視線に気づいたか、楠丸が説得的に言った。
「本当なんだって……!」
「……じゃあ今ウェイトレス呼ぶから、それで叩いてみてくれよ」
「何……!?」
「見ろよ。あんな短いスカートでさ。時代錯誤だ。叩いて直してやれよ」
「お前は何を言って……!」
「ポリコレ棒なんだろ?」
私はウェイトレスを呼び、カプチーノに手を伸ばした。
楠丸が低く唸りながらポリコレ棒でウェイトレスを叩いた。途端。
「労働者は立ち上がらなければならない!」
そっちか、と私は思わずカプチーノを零した。
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