腫瘍脳

「あなた最近おかしいわよ?」

 と妻に言われたのはいつだったか。

 何がおかしいのか聞くと、たまに支離滅裂なことを話したか思うと、とうとつに学生時代の喋り方で口をききつつ、当時のようにボディタッチをしてくるのだという。なるほど、それは尋常ではない。

 記憶や言動の問題なら頭の医者かと病院でMRIを受けると、

「ははあ……こりゃ、でっかい腫瘍だ」

 医者の言葉に目の前が真っ暗になった。物理的にだ。

「腫瘍? どれですか? 私は死ぬんですか?」

 もちろん、MRIの映像なんて物理的に見えない。

 すると医者が電気をつけ、ハハハ、と軽く笑った。

「そりゃ人間はいつか死にますな。ただ今ではありません」

「腫瘍の話はどうなりました」

「ほら、これです」

 ぱっと見、よくテレビで見る脳の写真と大差ない。

 医者がレーザーポインタで脳の縁をたどるように赤点を動かした。

「なんとこれ全部が腫瘍」

「……は?」

「もう脳じゃなくて腫瘍で考えてるようなもんですな」

 医者が、ハハハ、と軽く笑った。

 脳の全域が腫瘍になったと知った日から、私の症状は急激に悪化していった。

 日々の記憶は曖昧になり、覚えたものを忘れ、忘れていたことを思い出すようになった。最初のうちは恐怖しかなかった。

 しかし、面白いもので、熱い風呂を冷たく、甘みを苦く、悪臭を良い匂いと感じたりするようになると、恐怖という感情の意味がわからなくなった。もしかしたら楽しいに置き換わったのかもしれない。

 結局、人間という生き物は、脳という器官を通して世界を認知しているので、脳が腫瘍に置き換わると、世界の有り様まで変わってしまうのだ。

 たとえば私の目には今、妻の姿が高校時代のままに映っている。現実は違うらしいのだが、私はその違いに気づけない。

 私が描いた時計の絵は、私の目にはハッキリと丸い文字盤を備えた時計に映っているが、妻や子供(実際はいないらしい)に言わせると、私が好きだったダリの絵のように溶けているのだという。私はダリなど好きでなかったし、部屋にはピカソの画集しかないが、妻が言うには逆らしい。

 もう私には真贋を判定する脳力がない。

 そしてまた、誰がやったことなのかも分からない。たとえば今、私は支離滅裂な文章を打っているのだが、君の目にはどう映っているだろうか。妻は読めないという。では君はどうか。

 もうひとつ。

 君は、この文章を自分が打ち自分が投稿したということを、覚えているだろうか。

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