ピンポイントに恋して
始まりは陳腐な称賛だった。
「すごい綺麗な目をしているね」
続く言葉は少し珍しかった。
「写真、撮らせてもらってもいい?」
女は浮かれ気分を悟られたくなくて、精一杯、面倒くさそうに「えー?」と言った。綺麗だと言われた瞳を伏し目がちに隠して焦らし、もうひとつのウリにしている長い髪に指を通してみせる。
ナンパというのは、最初で決まる。
話してみたらダメだった。そんなことは、まず起こらない。歩いている人はよっぽど何かがないと止まりはしないし、待ち人は先になされた約束を優先する。興味が生まれたにせよ、暇つぶしにせよ、会話がなければ何もおきない。
言い換えれば、二言目まで会話が続けば、ナンパは七割、成功しているのだ。
男は手にしたミラーレス一眼のレンズを女に向け、気付いて顔をあげた瞬間にシャッターを落とした。
「いいね」
モニターに映る瞳の、黒い鏡面のような虹彩に、男はつぶやく。
女の美しい双眸が大きく瞬く。
「撮るって、スマホじゃないんだ」
「撮ると言ったらカメラでしょ」
一匙の驚きと、砂粒ほどの興味、くわえて謎という名の神秘性。これらが二割。
あと一割を埋めればナンパができる
必要なのは、言い訳だ。
声をかけられ、ホイホイとついていってもいい、都合のいい理由がいる。それは長いあいだ待っていたせいで躰が冷えているからでもいいし、約束をすっぽかされたからでもいいし、
「近くにスタジオがあるんだ。不安なら友達も一緒にどう? これ名刺」
というような、身元がしっかりしてそうで、変人ではなさそうで、友達が一緒でもいいなら約束をすっぽかすわけでもない、なんて理由でもいい。
なんなら、女が言うように、
「今、カメラとか写真とかちょっと興味あるんですよね」
ナンパに応じたのではなく自分の興味を優先したのだとしてもいい。
ともあれナンパが成功すると、いっとき、恋のような時間がはじまる。厳密には恋ではない。恋心がない。声をかけた理由は最初に言ってる。
「ほんと、すごい綺麗な目をしているね」
男は一眼レフにバズーカみたいに長大なレンズを取り付け、女の瞳を映した。
黒く美しい鏡に映る、カメラを構える俺。
「すっごい、いい」
興奮してくる。
女が笑う。
自分を見つめる大きなレンズの、黒く美しい鏡に映る、私の顔。
「すっごい、いい」
興奮する。
二人は、いっとき、恋のような時間を過ごす。
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