第10話   ナゾの炊飯器寝袋おじさん

「待ってください、お二方ふたかた!」


 後ろから声がかかった。


 振り向くと、あの一本だけ車両の出入り口から、俺よりももう少し太り気味のおじさんが、慌てた様子で降りてくるところだった。何か小脇に抱えているが、なんだろうか……。


 おじさんが息を切らして駆け寄って来るにつれて、ソレは輪郭をはっきりとさせた。


 ……小さい炊飯器だった。


 俺たちの目の前に、炊飯器を小脇にした小太りのおじさんが、肩で息をしながら追いついてきた。


「ハァ、ハァ、よかった、間に合った、探偵さんですよね?」


「うん! 僕こそが世紀の名探偵、有沢姫乃だよ!」


 お、おい有沢、こんなに怪しい人にあっさりと名乗るなよ。何かあったらどうすんだ。


「ああ、よかった。事務所に直接伺おうとしたのですが、行き方がわからなくて、貨物列車の中に寝袋持参で、隠れて移動してたんです。いやぁ、無事に第二ビルへ到着できてよかったです〜」


 あの寝袋、依頼人だったのか!! わかるか、そんなの! さらっと無賃電車っぽいことも言われたし、もう俺はどこからツッコめばいいんだよ。


 有沢も行き方ぐらい丁寧に教えてやれよ。依頼人が困惑のあまり家電まで持参しているぞ。記憶喪失の俺よりもパニックになってるじゃないか。


 依頼人は炊飯器を大事そうに撫でながら、さらに歩み寄ってきた。怖い。


「じつは、お恥ずかしながら困った事態に、巻き込まれておりまして」


 依頼人は小脇の炊飯器をパカリと開くと、両手でしっかりと持ち直して、俺たちに中身を見せた。


「これ、なんだと思いますか?」


「え、えと、肉……ですかね」


 俺は思わず後退りしていた。茶色い脂の海に、なんの肉だろう、ちゃぷんと沈んでいる。怖い……。


「そうなんです。これは豚の角煮です」


「はあ」


「ローストビーフもできるんですよ。炊飯器は圧力鍋の代わりになるってネットに載ってました。保温機能もバッチリですし、なかなか便利です」


「はあ、ネットに……」


 うう、上手い切り返しができない。早くこの炊飯器おじさんから離れたい。


「今は情報共有が簡単にできるから、便利な世の中になったよね」


 有沢だけが笑顔で対応している。おじさんは爪楊枝の入った筒も持参していて、有沢は角煮を一片もらって食べ始めた。


「それで、おじさんが言う困った事態って、なぁに?」


 依頼人をおじさん呼ばわりするなよ。親戚の子供か。


「それがですね……」


 おじさんは炊飯器のふたをきちっと閉めて、小脇に抱え直した。


「いつものように、露店でローストビーフと豚の角煮を売っていたところ、変な二人組に絡まれまして。ここで商売を続けたかったら、明後日の夕方に、この地図に載っている店まで来い、と……」


 おじさんは空いた片手で尻ポケットをがさごそまさぐった。四つ折りどころかくちゃくちゃの団子みたいになった紙を、広げることなく俺に差し出すので、しぶしぶ手を出して受け取った。


 も〜、なんか醤油臭いしべたべたするし、自分で広げろよ……って、この地図、手描きだよ。紙面の随所に百均で買える水性ペンセットで子供が描いたような、虹やらキャンディやら拳銃やらのイラストが描かれていて、目に鬱陶しい。


 肝心の地図もお粗末で、黒いへろへろな線で道らしき一本線と、簡単な民家、そして、コーヒーとケーキを屋根に載せた店がある。この店だけ、赤いペンで二重丸がされていた。


「喫茶店……?」


「そうです。ここ、僕の店なんです。彼らは僕の店を待ち合わせ場所に指定したため、行かないわけにはいかなくて……」


 ふと、静かにしている有沢が気になって振り向くと、探偵っぽく革手帳を広げて、何ごとか書きこんでいる。彼女のスカートのボリュームがすごくて、私物をしまっている鞄が隠れてしまうため、俺よりも荷物が充実していることを忘れてしまう。


「おじさん、この地図をもらったのって、いつ?」


「一昨日です」


「え!? じゃあ約束の時間、今日じゃん! 急いでおじさんの喫茶店に向かわないと!」


 有沢は持っていた物を全て鞄の中に押し込むと、鍵を取り出して、キーホルダーの輪っか部分を人差し指にはめてくるくると振って見せた。


「車を出すよ。全員乗って!」



 有沢の実年齢は知らないが、自信満々に車の鍵を取り出した姿からして、無免許ではないと思う、たぶん。


 俺は今、財布を含めた私物の一切がなく、当然のように免許証もなかった。見知らぬ道を、代わりに運転してやることはできない。


 はたして有沢の車とは。第二ビル横の駐車場に何台か停まっているうちの、一番ぼろぼろの車だった。車検がとうに切れていそうな、年代物の、しかも、たぶんだが、改造車だった。外車の部品を組み合わせた、オリジナルの自動車といったところか。


 ……走るのか、これ。


 有沢は運転席側のドアを開けて、中に入った。遠目から見れば、黒の普通車なのだが……乗っているだけで警察に職質されないか心配になる。


 依頼人が後部座席に乗り込んだ。俺はー、有沢の助手らしく、助手席に座ったほうがいいかな……って、なんだこれ? バカでかいクマのぬいぐるみが助手席に座ってシートベルトを締められてるぞ。


 しかも、有沢のゴスロリな格好と、全くおんなじ服を着ている。これは相当な可愛がりようだぞ。


 ……俺はしぶしぶ、後部座席に乗り込んだ炊飯器おじさんの、隣に座ることにした。助手席に座りたいだなんて変に駄々こねたら、有沢がアクセルを踏んで、俺を置き去りにする未来が脳裏をよぎったからだ。こんな怪しい場所に置いていかれたら、たまったもんじゃないからな……。


「有沢、依頼人の店の住所は知ってるのか?」


「うん、あの辺りかなーっていうのは、わかるよ。狭い街だからね」


「俺を病院に置いていってくれないか」


「この島に病院はないよ」


 島? 今、島っつったか、お前。


 だったら、たとえこっそりと車を奪えたとしても、お次は船を見つけないと、脱出できないな。この痛む右足を引きずって、記憶が抜けたままどこまでも逃げ延びる自信が、あるかと問われれば……。


 有沢がエンジンをかける。オートマ車を誰かに運転してもらうのは、久しぶりな気がした。いつもは山ほど機材を詰めこんだトラックか、ワゴン車だった。移動時は後部座席を倒して、仮眠を取っていた。


 うん……? 移動時? 俺は、どこに向かっていたんだ?


 ……わからない……これさえ思い出せれば、自分が何者なのか突き止められるというのに。肝心な部分が、まるで最初からなかったごとく、ぽっかりと空白だった。


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