第8話   貨物列車で大脱出②

 よし、ネジは二本だけ残して、窓枠だけが壁にぶらさがる形にした。ご丁寧に全部外す必要はないからな。


「ねえエルジェイ、ネジはぜんぶ外そうよ」


「え?」


 振り返ると、眉毛をハの字にして立っている有沢が、窓枠のネジを指さしていた。


「もしもこの二本が折れて、窓枠が硬い床に落下したら、すごく大きい音が鳴るよ。外の連中に気づかれちゃうかも」


「さすがに、それは考えすぎじゃないか? こんなにでかくて太いネジだぞ」


「ゲームオーバーになりたいの? 来世でニューゲームする?」


 有沢の呆れ顔に、俺も不安になってきた。たしかに、この窓枠は重量がある。壁の質も年代も、わからないしな、ボロッと落下するかもしれない。


 可能性がゼロじゃないから、心配になってきたぞ。命がかかってるんだ、大雑把に済ませることはやめたほうがいいか。


「わかった、全部外そう」


 五百円玉をネジの溝に差し込んだ、そのときだった。


「オイお前ら! 妙なマネしてねーだろうな!」


 扉の外から、拳で鳴らしたらしき豪快なノック音が。まずい、今この場に入られたら非常にまずい。木箱の後ろに隠れようにも、この狭い車両内じゃすぐに見つかる。


 有沢がくるりと扉に向き直った。


「妙なマネなんて、なんにもできないよー。だって僕たち、縛られてるんだもん」


「おお! それもそうだな!」


 有沢の機転に、あっさりと納得するゴロツキ。ああ、よかった……。


 よし、ネジを外す作業の再開だ。


 このネジで、最後だ。あとは床に落下させないようにキャッチして……げ! しまった、緊張で汗ばんでいた手がすべって、床に落としてしまった!


 重たい窓枠が床に落下した。念のために真下に敷いておいた俺のジャケットのおかげで、くぐもった音だったが、それでもドゴンとでかい音が鳴った。


「なんの音だ!」


「エルジェイのおならー」


「そうか! あんまし騒ぐんじゃねーぞ! ぶっ殺すかんな!」


 ……いやいや、ちょっと待てよ、人体で生じる音じゃないだろ。ドゴンだぞ。


 まあ、いいか……。オナラと命なんて、天秤にかけるまでもない。


 有沢が窓を指さして、はしゃいでいた。


「僕が先に出るね。この窓、きみのお腹だとつっかえちゃうから」


「大丈夫か? 先に外に出て、それからどうするつもりだ」


「脱出できないきみを置いて、自分だけ逃げる」


「せめて警察に連絡だけでもしてくれよ!」


 俺の本気で頼む様子がおもしろかったのか、有沢がけたけた笑った。


「冗談だよ。僕はけっこう強いから。さっきは油断したけど、今度はゴロツキなんかに負けないよ」


「ええ……なに言ってんだ、そんな細っこい体で。しかもスカートだろ。さっきケガしたくないとか言ってなかったか?」


「そんなこと言ったって、きみじゃここから出られないんだし、僕に任せてみてよ。しっかり助けるから」


 ……うぬぬ。まだまだいろいろ言いたいことはあるが、今はこいつしか頼りにできないしな、任せてみるか。


 俺は丈夫そうな木箱を選んで積み上げて、窓の下に設置した。


「これを踏み台にするんだ。気をつけて行けよ」


「スカートん中、見ないでね。短パン履いてるけど」


「履いてるんなら気にするなよ」


 有沢が嫌がっているので、俺は窓から離れていることにした。有沢は意外と運動神経がよくて、するすると窓をくぐり、なんと列車の屋根の上まで登ってしまった!


「おいおい! 大丈夫なのか!?」


 すでに俺の声が届かない位置にいるようで、返事はなかった。列車はかなりの速度で動いているのに、大丈夫なんだろうか。


 俺も木箱に乗り、窓から顔を出して辺りを確認してみた。高速で過ぎ去っていく森林が見える。もしも彼女が転落したら、優しく受け止めてくれそうな物は何も見当たらない。


 外がにわかに騒がしくなった。何かの打撃音と、ガラの悪い怒号。まさか有沢の脱走がバレたか!?


「おまたせ! さあ脱出だよ!」


 出入り口の扉が勢いよく開かれたのは、急停止した列車につまずいた俺が床に倒れて、呻いていたときだった。


「なにしてるのー?」


 返り血まみれの釘バットを肩に乗せている有沢が、不思議そうに俺を見下ろしていた。


 俺はしたたかに打ちつけた肋骨あばらを押さえながら、ようやっと立ち上がった。


「列車……お前が停めてくれたのか?」


「うん、適当にレバーを操作したら当たったんだ!」


 満面の笑みで喜ぶ有沢。俺が彼女にバイト志願したのは、こういう部分に惹かれたからだろうか。


「すまない、助かった。こんなに頼りになるとはな」


 俺はおっかなびっくり、貨物車から一歩踏みだした。新緑色の丘を裂くようにしてのびる茶色い線路に、青い空、白い雲。景色だけ見れば、大変のどかだ。


 ……って、なんだこの短い車両は!? この貨物車一本しかないぞ!?


 子供がオモチャの線路に載せてブーブーやる感じの、短い一本だけ。俺はしゃがんで、貨物車の車輪辺りを観察した。大型のモーターが見える。運転席のスペースが無いようだから、自動運転のようだ。


「これはねー、第一ビルからあの第二ビルまで、荷物を運ぶための貨物車なんだ。本当は人が乗る物じゃないんだよ」


 有沢の声に振り返ると、第二ビルらしき灰色のビルディングが、どどーんとそそり立って俺を見下ろしていた。


「……お前、この車両とあのビルのこと、知ってたのか」


「うん。第一ビルに探偵事務所があるからね」


「……どうして言わなかった」


「へえ? 自分の雇用先も忘れちゃってるの? そりゃあ大変だ」


 有沢は釘バットを、線路の向こうにポーイと投げ捨ててから俺に向き直った。


「とりあえず、探偵事務所に帰ろうよ、エルジェイ」


「第一ビルにか」


「違うよ。この第二ビルにも、うちの探偵事務所が入ってるんだ」


「二つの事務所が、線路一本で繋がっているのか?」


「あんまり深入りすると、長生きできないぞ〜?」


「どういう、意味だ」


「悪党の考えることなんて、僕ら正義の味方にはとうてい理解できないものなんだよ。それらに対抗するために、僕たちもいろいろと用心しなければいけないってわけさ。おわかり?」


 その車両が、さっきまで悪党に占領されていたんだが。


「これは、何かのドッキリ企画なのか?」


「ふふ〜ん、探偵業なんてそんなもんだよ。普通の人生だって、そんな感じのイベントに遭遇するときもあるじゃない?」


 答えになってないぞ。……このお気楽さ、なんだか、前にもこんな感じの、女の子に会ったような、気がする……。


 そのときは、俺には【はい】か【いいえ】の二つしか選択肢がなくて、どっちを選んでも、有沢の煙に巻いた答えしか返ってこなかった気がする。


 ん? 【はい】か【いいえ】……? 俺はこの二択を、どのように選んでいたっけか。


 思い出せない……。リアルな人間同士のコミュニケーションでは、二択での楽しいやり取りなんて、あり得ない。むしろ二種類しかない状況がストレスになる。


「なあ、やっぱり以前にもどこかで会ったか? その、子供のときとか」


「え? 助手と雇用主として、毎日会ってるじゃないか」


 そうじゃなくてだな……。


 もしかしてこいつ、答える気ないのか?


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