第7話 貨物列車で大脱出①
うう……ううぅ……頭が、痛い。気持ち悪い……なんだ? 風邪でもひいたか?
ん……? なんだ? 地面が揺れてる。足元が、ガタンゴトンって……ん!? これ列車か!?
「うおわあ! なんで列車に乗ってるんだ!?」
立ち上がろうとしたら、足がもつれて転んだ。受け身のための腕も取り出せなかった。俺は両腕と両手首を、後ろ手に縄で縛られていたのだ。
「おはよう、ライトニング・ジュニア」
同じくお縄になっている女性がいた。ライトニング・ジュニアア?
「俺はそんな名前じゃない。名前は、えっと……」
「覚えてないの? 犯人に頭をガツーンとやられて、記憶が吹っ飛んじゃった?」
「はあ!? 俺、殴られたのか?」
「このままじゃ二人とも消されちゃうかも」
「消される!? お、お前はいったい」
「もう、しっかりして! 僕はきみの雇い主、有沢姫乃だよ。探偵業やってる僕のもとで、きみはアルバイト兼助手をやってるでしょ」
「あり、さわ……?」
……どこかで、聞いたような名前だ。悪役にも見えるゴシックな衣装も、どこかで……会ったような……
「消されるって……俺はなんの事件に巻きこまれてるんだ?」
「覚えてないの〜?」
「す、すまない。本当におかしなことを言っている自覚はあるんだが、俺は名前も、住んでた所も、本当にわからないんだ。こんなところにいる理由も」
なんて恥ずかしい事を言っているんだ、俺は。まるでマンガかゲームの記憶喪失モノの主人公そのものじゃないか。いや、そのものだ。
「俺は日本人だ。それだけは、うっすらだが覚えている。ライトニング・ジュニアって名前は、人違いだと思うぞ。俺は日本の大学を卒業した記憶がある」
「きみの最終学歴なんて、知らないよ」
「探偵業に興味を持っていた時期も、手伝っていた記憶もない。やっぱり人違いだ。俺はライナンチャラなんて名前じゃない」
有沢が「シッ!」と鋭く制して、室内を見渡し、聞き耳を立てた。
鉄格子のかかった窓から、明るい日差しが差しこんでいる。数多の木箱に、段ボール、どうやらここは貨物列車の中らしい。俺と彼女の他に、誰かいないかと辺りを見回した。
寝息を立てて転がっている、黒く大きな寝袋が、呼吸で上下している。この人(?)も寝袋越しに縄でぐるぐるに縛られていて、自力では抜け出せない状況に置かれていた。
キャンプしていたら、誘拐されたんだろうか? 低く太いトロンボーンみたいないびきを掻いていて、たぶん、中身は中年のおっさんだ。
「有沢、この人は爆睡しているようだ。今は警戒しなくていいんじゃないか?」
「違うよ、この車両の扉の外に、誰かいる。僕らを閉じこめた犯人の手下かもね」
「なんだって?」
俺も聞き耳を立ててみたが、ガタンゴトンがうるさくて、人の気配がまったく探れない。
「脱走するなら、そこの窓しかないね。さすがに犯人も、窓の外にまで見張りを立てられないだろうから」
鉄格子越しの窓から見える景色は、けっこうな速さで過ぎ去っている。生身で窓から外へ飛び降りて、無事である可能性は低い。だからって、このままどこぞへ運ばれてゆくのも恐ろしいことだ。
なんとか脱出しなければ……って、すぐ横の木箱の後ろに、まるで使ってくださいと言わんばかりの丁寧さで、いろいろな道具が置いてあるんだが。
「なんだコレは。まるで脱出ゲームだな」
「え? そーお? 僕にはそう見えないけど」
ちょっとした日曜大工セットが、不自然なほど綺麗に並んでいる。これは何かの罠か?
なんにせよ、遠慮なく使わせてもらおう。お、さっそく刃物を見つけたぞ。
「小さいナイフだ」
「果物ナイフだね。これで縄が切れないかな」
安っぽいナイフだな〜、切れ味はどうだろうか。俺も縛られてるから、口でくわえて使うしかないな。その場合は、俺が有沢の縄を切ってやる流れになる。非力そうな有沢じゃ、口が疲れただの首が痛いだの言って、途中であきらめそうだ。
お、そうだ、この木箱の板と板の隙間に、ナイフの柄を差し込んで固定できれば、俺がくわえなくても縄が切れるかもな。えーっと、隙間、隙間……お?
ちょうどナイフの柄が突っ込めそうな穴が、床に空いている……。
「有沢、この穴が使えそうだ。今から、ナイフの柄を差し込んでみる」
「ああ、これ、僕がピンヒールで空けちゃったんだ。本当は手下たちの足を踏みつける予定だったんだけど、はずしちゃってさ」
「おいおい、ぞっとさせるなよ。でかいヒールだな、よく捻挫しないもんだ」
うげー、この穴の深さ、けっこうあるぞ……。
「じゃ、じゃあ、さっそくやってみるぞ」
俺は床に肩をつけて、道具の中からナイフの柄を選んで口にくわえると、体を起こして、ナイフを足元に落とした。なんとか両足の靴の裏で、挟んでキャッチできた。
そのまま足だけを動かして、ナイフの柄を穴にぐっと刺した。
「よし、はまった!」
「すごーい!」
「ナイフの刃に縄をこすりつけていれば、いつかは切断できるだろう」
ナイフは穴から抜けてしまったり、回転して刃が逆を向いたりと、手こずらせてくれたが、なんとか切ることができた。
俺は立ち上がり、穴からナイフを引き抜くと、有沢の両腕と両手首を縛っている縄を切った。
「ふぅ、痛かった」
「手首が真っ赤じゃないか。怖かっただろ」
「うん、まあ、ピンヒを外した頃から怖かったかな」
しゅんとしている有沢の、頭のてっぺんを、紫のレースの重なる洒落た帽子が飾っていた。細部までぎっしりと細かく作られていて、びっくりした。この衣装、全部で幾らぐらいするんだ? 女子ってすごいな……。
あ、そうだ、忘れるところだった。この黒い寝袋に入ったままのおっさんの縄も、切っておくか。大きな寝袋だなぁ、特注品か?
……よし、全部切り終えたぞ。この寝袋の人、まったく起きないんだけど大丈夫か? まあ、騒がれても困るから、おとなしく寝ててもらうか。
俺たちは立ち上がった。視野も高くなり、座って見上げるよりも詳しく窓が観察できた。ああ、やっぱり鉄格子が下りているな。有沢の腕でも入らない隙間だ。窓の外では青い空に浮かぶ白い雲と、背の高い針葉樹林が、高速で後ろに流れてゆく。
「出口は手下が見張ってるんだってな」
「うん、ドアから普通に出たら刺されちゃうかもね。窓から出たいけど、鉄格子がはまってる。ライトニング、ねじ曲げたりできない?」
「できないな。それと俺はライトニングなんて名前じゃない」
「そんなこと言われても、きみはライトニング・ジュニアだよ? じゃあ略してエルジェイって呼ぶね」
「頭文字だけ取ったのか。じゃあ、もうそれでいい。呼びやすいしな」
それにしても、俺の腕のどこを見て鉄をへし曲げられると思ったのか。案外、引っぱったら取れるのかもしれないが。アホなことでも、試してみるか。
俺は鉄格子の真ん中あたりの二本を、適当に掴んで引っぱった。
お、ちょっと動くぞ。少しなら手前に引ける。
おお!? 窓枠を固定しているネジが、数本ゆるんでるぞ。でかいネジだな、俺の親指の爪ぐらいあるぞ。溝はマイナスだ。
「どこかにマイナスドライバーはないか」
「いいね、探してみよう!」
さっきの日曜大工セットの中にあるかと思いきや、ちょうどよく無かった。
「箱の中になら、何かあるかもよ」
有沢が率先して、貨物室内に転がる段ボールのふたをどんどん開けて、ひっくり返して探し始めた。
空箱ばかりだな。
俺も隅に積み上げられた木箱を持ち上げて振ってみたが、音は鳴らなかった。なんのための木箱だ? 丈夫そうではあるから、これを踏み台にして何かできそうだな。
「無いみたいだね……」
有沢が困り顔で、窓を眺めていた。鉄の窓枠を固定しているでかいネジ、あれさえなんとかできればな……。そうだ、あのマイナスの形にぴったりはまる物で代用するのはどうだ?
たとえば、小銭だ。日本の硬貨が浮かんできたぞ、やっぱり俺は日本人だ。
「有沢、小銭あるか」
俺もズボンのポケットを漁りながら尋ねた。
「コインみっけ」
ふわふわのレースを何枚も重ねてできたようなスカートに、すっぽり埋もれた黒い革ポシェットを開けて、有沢が一枚の硬貨をつまみ出していた。
ああ、あの模様は、日本の五百円玉だ。やっぱり俺は日本人だ。
「有沢、この大きなネジの溝と、五百円玉の横幅が合うかもしれない。貸してくれ」
「ちゃんと返してね?」
俺の差し出した手の平に、一枚の硬貨がちょんと置かれた。うわっ、こいつの手、つっめたいな……。
ネジの溝に硬貨をはめて、俺は指に力をこめて、じっくりじっくり、ネジを回していった。
「よし取れた。あと七個」
「すごーい! さっすがこの僕の助手だね」
「浮かれるのは、まだ早い。この速度の列車から外に飛び降りたら、まず大怪我が避けられない。できるだけ安全そうな場所で飛び降りよう。たとえば、底の深そうな川とかな」
「え〜? 濡れるのもケガするのもやだー」
「しかたないだろ。ケガと命、どっちを優先する」
「お肌の傷は乙女の一大事なんだけど」
「お前なぁ、置いてくぞ」
大丈夫なのか、こいつ。なんかのイベントサークルに参加しに行くみたいな格好してるが、本当に探偵業で食っていけてるのだろうか、心配だ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます