第4話 大道具さんに、小道具さん
しまった、きみのシャツのサイズを聞いておくべきだった……。
今まで男の人に服をプレゼントする機会がなかったせいだな、きっと。腕の長さに、肩幅に……こんなに細かい部分のサイズを気にしなきゃならないだなんて、思わなかったよ。
「で、どれにするの?」
シャツの提供者「気取り屋ローレル」の店主が、電子たばこを吹かしながら尋ねた。ローレルはいろんな味を試すことが好きなんだ。センスもブームもすぐ変わる。高価な葉巻にこだわりだしたかと思えば、誰でも手の届く安物をたしなんだり、珍しいフレーバーが発売されれば、すぐに飛びつく。
だからかな、彼女が仕入れたシャツコーナーにたたまれている数も種類も、超~豊富。装飾コーナーにも、エレガントなコサージュから道化師を連想させる原色の小物まで、それはもう幅広い。
「えっとぉ……どれにしようかな」
「貴女のペットなんだから、貴女好みに着せ替えてあげなさいな」
ローレルがにっこり笑った。
「あたし譲りの貴女のセンスなら、どんな野良犬もきっと素敵な紳士になるわ」
ハハハ……。僕自身の服には自信があるんだけど、あのお兄さんには、何を着せてあげたら似合うのやら。
「ローレルは聞かないの? 僕が誰を部屋に閉じこめているのか」
「ええ。貴女を信じているもの」
「信じるって……信用とかの問題なの?」
「もちろんよ」
ローレルは真っ赤なソファから立ち上がった。
「子供を信じて、自由に行動させるのも親の役目よ。貴女だって、いつまでもあたしの監視下に置かれてちゃ苦痛でしょ? 全部の責任を一人で負ってみなさい。そして、自分が決断した道が正しいかどうか、自分の目と頭で判断しなさい。あたしたちのしている仕事は、とっさの判断で命運が決まるの。今からでも、決断力を鍛えるべきよ、マイドーター」
血は繋がってないけどね。でも、そう言ってもらえるの嬉しいよ。
「ありがとう、ローレル。ううん、僕のお母さん」
「あら、ここではボスって呼んでほしかったけど、でも今日はお母さんでもいいわよ」
「今日はそういう気分なの?」
「今日は生意気娘に呼び捨てされようが、甘えられようが、許してあげたい気分なのよね」
「ご機嫌だねぇ」
さ、早くシャツをきみに届けてあげなきゃ。風邪引かれて具合悪くなったら、ここに連れてきた意味がないからね。
「うーんと、じゃあ、シンプルな感じの下着と、シャツと、これと、これを持ってくね。サイズは、たぶん合ってると思う」
「肩幅と腕の長さは?」
「う……たぶん、これでいいと思う」
「合わなかったら、また来なさい。今日はオフで一日中、ラップを聴いていたい気分なの」
ローレルは真っ赤なドレススーツの裾や袖のドレープを揺らして、魚みたいに踊ってた。よく見ると片耳にイヤホンを差してる。
今朝に会ったときは、バッハな気分って言ってたけどね。
「ありがとう、持ってくね」
僕は着替えを抱えて、ローレルの部屋を後にした。
「ただいま、えっとー、お兄さん!」
僕はきみをそう呼ぶことにした。
だって名前で呼んだら、きみが思い出しちゃうかもしれないじゃないか。きみがいったい、誰なのかを。
あれ……?
うそ、お兄さんがいない! 足枷と鎖で固定してたのに。
鎖を固定していた金具が、柱から引き抜かれてる。ちょ、ちょっと怪力すぎじゃない? どうやって抜いたの?
「お兄さんどこいったの!?」
返事の代わりに、窓が大きい音を立てて全開した。一瞬お兄さんが開けたのかと焦ったけど、暴風雨に押されて開いただけだった。
って、どうして窓が開いてるの? 窓の取っ手を固定してる錠前の鍵は、この部屋には置いてないのに。
窓から入る暴風と雨で、部屋がびしゃびしゃだ。
……あれあれ〜? この部屋の
あ、やばい……。僕はスカートのポケットから、スマホを取り出して確認した。この部屋に異常が発生したときに表示される画面が、ずっと点いていた……。しまった、マナーモードにしてて気づかなかった。振動は僕のスカートのふわふわレースに受け止められて、伝わってこなかったんだ。
僕は警戒しつつ、窓に近づいた。施錠されてたはずの、取っ手まで無くなってる。
ああ、あったよ、取っ手。窓から引きちぎられて、びしゃ濡れのバルコニーで雨ざらしになってる。
そして、これまたナゾなんだけど、びっちゃびちゃのバルコニーに、僕の座ってた椅子が運びこまれてる。
え……? まさか、そこのバルコニーから飛び降りちゃったの!?
五階建てだって、言い忘れてたかな。
んん? 椅子の足に、臙脂色の太い紐みたいなのが結んであって、それがとなりのバルコニーへと伸びていた。
ああ、そういうことか。もう、お兄さんったら、ほんの二十分でなんてことしてるのさ。
「お兄さーん、風邪ひくよ」
きみはとなりの部屋のバルコニーで、窓枠をどうにか外せないものかとガタガタやっていた。
「そんなことしてもムダだよ。その窓をどうにかできるのは、お相撲さんぐらいじゃない?」
「なんなんだ、この建物は」
「うーん、簡単に言うと、ちょっと特殊な療養所って感じ。きみはここで体調が良くなるまで、ずっと居るんだよ」
「イヤだ」
もう、ガンコなんだから。
「イヤだって言ったって、記憶が無いんでしょ? どこに帰るのー」
「わからない」
「思い出すまで、ここにいなよ」
「……」
きみはため息をついて、窓に背を向けると空を見上げた。ちょうど稲光がピカピカッて輝いて、ごろごろと不気味な音が鳴り響いてゆく。
「雷が」
「今日はたまたま天気が悪かったんだ。明日になれば、キレイに晴れるよ」
きみは空に視線を投げたまま、首を横に振った。
「俺は、この輝きに近い場所に、居たような気がする。それこそ、打たれてもおかしくないような距離に」
「へえ、危ないよ。焦げちゃうよ?」
「軽傷の火傷は負うだろう。しかし、それでも……」
きみは空を、力強く見つめた。
「それでも、俺はかまわないと……本気でそう思っていたんだ」
ハァ……雷がこんなに激しくなければ、そんなこと思い出さなくて済んだのにね。
「雷がスキ?」
きみは、少し自信のなさそうな横顔でうなずいた。
「たぶん、俺はとても興味があった」
「ねえ、となりの部屋は開けるわけにいかないから、もう一度こっちに飛び移ってもらえるかな」
「無理だ」
「一度できたでしょ? 次もできるよ」
「さっきより、雨も風も強くなっている」
きみはもじもじと、うつむいていた。フフフ、そっかぁ、そこまで行くの、怖かったんだね〜。
「そう。じゃあ、今度は手錠を持ってきてあげる。ちゃんと片方の手首にはめてくれたら、はしごを持ってきてあげるね」
なんだと。
絶対にイヤだ。
「わかった」
今は了承するふりをしておいた。有沢がバルコニーから部屋の中へ消えた。さっきまで俺と会話していたせいで、彼女の髪も服も濡れてしまっていたが、罪悪感など抱いてやらない。
俺はずっと我慢していた体の震えを解放した。さ、寒い……全身ずぶ濡れで、また着替えが必要だったが、有沢の帰りを待つわけにもいかない。
しかし、この窓も開かないし、飛び降りて無事な高さではないし……。
「持ってきたよ〜」
早いな。有沢に投げ渡されたそれは、刑事ドラマで見た手錠よりも、もっと鎖が太かった。有沢が片手首だけにはめろと言っていたのは、もう片方の輪に、長ーい鎖が。犬の首輪とリードよろしく、鎖の端は飼い主である有沢側へと伸びていた。
「ちゃんと片手にはめた?」
俺は返事の代わりに、しっかりはまった手錠を見せた。
おとなしくはめるに至るまでに、俺はいかにいろんな法律に引っかかる行為を有沢が強要しているのか、それをコンコンと説明して聞かせた。体感時間で十分くらい。
「だったら、ずっとここで雨に打たれてれば〜?」
少女の冷たいジト目にさらされ、俺は無言になった。
「それじゃ、僕が今持っている鎖の端っこを、どこかに固定してくるね」
「は? また固定!?」
「次ははしごを持ってくるから、飛び降りないで待っててね~」
有沢が再び部屋へと消える。一度に持って来られないあたり、やはり非力なんだろう。
おとなしく待つのは癪だが、ここから飛び降りても、はしごから手を滑らせて落下してしまっても、どこかに固定されたらしき鎖のせいで宙ぶらりんになり、あげく脱臼ものだ。こんな土砂降りの中で、とんだてるてる坊主だな……。
ん? 脱臼と言えば……俺は未経験だが、大学の頃に所属していた登山部メンバーが転倒して、脱臼したから、急いで下山したのを思い出した。痛そうだったし、当人も泣いていた。
……そうだ。俺は、あの大学で、あることを研究していた。俺の書いた論文が評価されて……雷だ、たしか、そうだ、雷だ。
落雷を、まるごと閉じこめて、巨大な電力と利益を生み出す研究だ。
ああ、そうだ、俺は戻らないと。
戻らないと、戻らないと、戻らないと
戻らないと戻らないと戻らないと戻らないと
……どこにだ?
……それは、えっと……う、頭が痛い。おもに、ひたいの周辺が痛い。側頭部も痛いし、後頭部も痛むし、頭頂部も顎も、手首も足首も。なんだこの状況は。
「はい、はしご」
ガシャンと音がして、俺はハッと顔を上げた。
いつの間にか、俺は膝を抱えて座っていた。濡れたバルコニーで、一歩も動けず。か、体が震えて止まらない。
低体温症になったかもしれない。
ぐぐぐ……おとなしく、はしごを使用させていただくことにするか。俺は二つのバルコニーにかかる橋を、四つん這いになって必死に渡った。
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