第2話   冗談じゃない、俺は脱出する!②

 両開きの大きな窓が、裏側から雨に打たれている。二つの取っ手に指をかけて引き開けようとしたが、何かがガタガタと引っかかって動かない。


 取っ手を改めて見下ろすと、二つの取っ手を大きな錠前ががっちりと一まとめに施錠していた。


 これでは、開けられない。外の景色だけでも確認しようと、窓を凝視したが、水滴だらけで、ぼやけて見えない。


 窓がダメならば、次は扉を試すか。あの少女と鉢合わせするかもしれないが、もしそうなったら、申しわけないが抵抗させてもらう。……でも、できるのか、今の俺に。まだ頭がぼんやりしている上に、全裸なんだが。己を防御できる物を身に付けていないのは、いささか気を弱くさせる。


 やっぱり窓から、こっそり逃げ出そう。


 俺は再び右足にパンツと鎖を巻きつけて、錠前で固定された窓の取っ手部分を、何度も攻撃した。窓ガラスをド派手に蹴破る方法も考えたが、ガシャーンと音がして、誰か駆けつけてくるかもしれないから、却下した。


 うぅ、もう右足が上がらない。取っ手と鎖がぶつかるたびに大きな金属音がどうしても鳴るから、一撃加えるごとに心臓が縮む思いだ。それでも、まだ大丈夫だ、大丈夫まだ気づかれていない、と自分を励まし、かかとを落とし続けた。


 お、ようやく取っ手がぐらついてきた。引っ張れ引っ張れー!


 よっしゃ取れたー!


 この足枷と鎖、最高だー! って、どこの変態だよ。


 扉の外から誰か接近してはいないか、聞き耳を立てて確認した。


 ……なんの音もない。それはそれで少し不安だった。動けない俺を放置して、餓死するまでそのまま、なんて平気で考えるやつが俺を捕まえたのかもしれない、そう思うと……う、悪寒が。


 いや、今は犯人の異常性を想像している場合ではない。恐怖で動けなくなってしまう。


 さあ窓を押し開けたぞ。雨で冷めきった外気が、肺いっぱいに満ちてゆく。打ちっぱなしのコンクリートでできた愛嬌のないバルコニーは、水浸しだった。一歩進むと、裸足の裏が、めちゃくちゃ冷たくなった。


 バルコニーの手すりから頭を出して、地上を眺めた。


 おお……見渡す限りの、森林が広がっている。天気も天気だから、薄暗いことこの上ない。


 五階建てだと、言っていたか、有沢は。そんなもんじゃない、もっと高さがあった。


 視界の右端に、長い橋が見えた。流れる川ははるか下に。地球にひびが入ったら、こんな感じの深い谷になるのだろう。距離的に、俺の歩いていた橋というのは、あそこだ。俺はどこかに向かおうとしていたのか? それとも、道なりに逃げていただけか?


 わからない……。用事があっても、その用事があったことすら忘れて、なんとなく何かを忘れてるような気がするな〜と真剣に思い出そうとするあの感覚の、五十倍は気持ち悪い状況に陥っている。


 うう、今は悩むな、考えるな。時間だけが過ぎてゆくじゃないか。


 ここから外に出るのならば、なんの準備もないまま飛び降りるのは、あまりに無謀というもの。

 さすがに足枷と鎖もお手上げだ。下に下りるためには、頑丈なロープが……あるか? あの部屋に都合よくロープなんて。俺の首を絞めたり縛ったりする程度の長さじゃ足りないぞ。


 うわ、すごい風だ! 斜め降りの雨が、激しさを増した。俺の全身がずぶ濡れになる。いったん部屋に入って、何か探すか。


 お、風に吹かれてカーテンがスカートみたいにふくらんで揺れている。


 そうか、これを使おう。


 思いつきで勢いまかせに引っ張った。落ちてきた二枚の大きな分厚いカーテン。どこかにハサミはないか? これを細く裂いて結んで、紐状にしてロープの代わりにしてやる。


 カーテンが無いおかげで、外の稲光が部屋に入り、さっきより視界が良い。俺は部屋の中を漁ることにした。黒いレースのかかった天蓋付きのベッドに、外国の骨董屋が扱っていそうなごてごてしいゴシック調のデスク、そのデスクの上には、雑誌の束とコーヒーカップ。


 パソコンなどの機械製品は見当たらない。電気のスイッチもないときた。唯一の光源である黒いユリのシャンデリアには、短い蝋燭がゆらゆらと揺れていて、危ない。


 俺はデスクの引き出しを一つ一つ開けたが、からっぽだった。ここは有沢女子の所有する部屋なのかもしれないが、そんなことを気にしている場合ではない。命がけなんだ。クローゼットも開けるさ。


 ……ああ、無い。ハサミがない。それどころか、この部屋はただ表面だけをゴシックに飾っただけで、中身が無かった。誰もここでは生活できないと思う。じゃあ、俺を監禁するためだけに用意した部屋? 怖。


 とにかく、ハサミだ、分厚いカーテンでも切れるハサミがいるんだ、俺には。


 あ。ハサミじゃなくても、カーテンが裂ければいいじゃないか。このコーヒーカップ、使えるんじゃないか?


 でも、音が鳴るよな。


 よし、次の稲光が起きたら、雷鳴が轟くと同時にカップを壁に投げつけよう。稲光と雷鳴の間隔は、この部屋で過ごすうちに、なんとなく掴めてきていた。


 よし、きた、光った! 来い雷鳴!


 俺は腹に響く雷鳴を感じながら、コーヒーカップを壁に投げつけた。一回では形良く割れなかったから、もう一回だ。


 よし割れた! いい感じに鋭利だ。


 足に巻いた鎖でコーヒーカップを割る方法も思いついたんだが、もう足が上げられなくて、却下した。もたついていたら、有沢が戻ってきそうだしな。


 ってか、あいつ遅くないか? 俺に逃げられるわけがないとタカをくくっているのか、それとも俺を置き去りにして、自分だけ暖かい部屋で新しい雑誌でも読んでいるのか。勝手にしろ。俺は脱出する。


 カーテンをカップの破片で力任せに裂いていった。おお、よく切れる。無心でどんどん裂いてゆくぞ。


 ……よし、できた! そこそこの幅で、わりかし綺麗に裂けたぞ。これをどんどん依り合わせて結んで、細長い紐状に。我ながら素晴らしい即席サバイバル術だ。


 さて、これをバルコニーから下まで垂らすためには、端っこをどこかに結ばないとな。有沢の座っていた、この重そうな椅子の足にするか。これまた木製の、いかにも外国製という感じがする年代物だ。有沢はこういうのが好きなんだろう。


 それじゃあ椅子もバルコニーに運び出さないとな。う、重い、持ち上がらない。だるい体に、負傷した足を引きずりながら、なんとか、椅子を両手で持ち上げてバルコニーまで運んだ。


 椅子の足にカーテンを巻きつけて……よし、できた!


 あとはこれを下まで垂らして…………あ、俺の体重って……何十キロあるんだ? 六十以上はあるな、じゃあ七十キロ……? 腹の肉や太ももをつまんでみる。そこそこぷよってる。


 この布に、一般の成人男性が全体重をかけて掴まって平気なんだろうか? 椅子も持ち上がらないか心配だ。


 う、なんだ? 手の平に髪の毛みたいな物がびっしりくっついてるぞ。げ! カーテンの繊維だ! カップで雑に裂いた箇所から、はらはらとほつれている。


 せっかくここまでやったのに、脱出か転落死の二択だと? うそだろ、だれかうそだって言ってくれ。


 うう、ふらつく。こんなときに立ちくらみが……いつになったら体調が回復するんだ。部屋の中に戻って、めまいが治まるまで待つことにした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る