第1話 冗談じゃない、俺は脱出する!①
薄暗い部屋だ。デザイン性重視の、黒ユリの形をしたシャンデリアは、申しわけ程度に有沢を照らし出していた以外は、ほとんど役に立たない。なんで黒ユリにした。白ユリのほうが明るいだろう。
そもそも、有沢って誰だ。俺はどうしてこんな部屋にいる。ここに至る経緯を思い出そうとしても、記憶が不自然なほどすっぽり抜けていて、よくわからない。
土砂降りの中、気づいたら、俺は外を歩いていた。だれもいない橋の上だった。空は分厚い雨雲に覆われて、暗く重たい空気だった。
俺は全裸で歩いていたが、そのときの自分の格好の不自然さには、まったく気づいていなかった。雨が激しくて、前後左右の景色の輪郭が、よく見えなかったのを覚えている。
おそらく外には、誰も歩いてはいなかった。世界中に、自分だけが取り残されたかのような気分になっていた。だからだろう、裸でも恥ずかしくなかったのは。
橋の終わりも見えないほど、雨が激しく降っていた。
今も頭が、寝起きのようにぼーっとしていて、自分が何をどうすべきかも、わからない。体もだるい。言われるままに着替えたが、何に足を通したかぜんぜんわからないままにパンツとジーパンを履いていた。
こんな状態だ、あの有沢とかいう少女の助手にだけは、なりたくない。それだけは、はっきりと感じることができた。
有沢が部屋に戻ってくる前に、脱出しなければ。
……俺の背後に、軽自動車ならすっぽり覆えるだろうか、やたら立派な赤いバラみたいな色したカーテンが下がっている。……だるくて立てない。腕、伸ばしたら届くだろうか。ダメ元で腕だけ伸ばしてみたが、届かない。しかも体勢を崩して、床に倒れてしまった。
這いつくばってカーテンの下をのぞきこんだら、とても大きな両開きの窓が、裏側から激しく雨に打たれているのが見えた。
外だ。
ここからこっそり逃げ出そう。
希望が見えたせいか、俺は重たい体を持ち上げるようにして、立ち上がることができた。
もっと窓に近づいて……ん? なんだ? 何かが右の足首を引っ張ってるぞ……イヤな予感がするが、確認しないわけにもいかない。おそるおそる右の足首を見下ろした。
げ! なんだこれは、足枷か!? 鉄の足枷が、俺の足にはまっている。いつの間に。パンツを履いたときは、なかったのに。
ぼーっとしている間に、付けられたのか。ありえない話じゃなかった。
一本の太い鎖が、俺の足と、部屋の太い柱とを短く繋いでいる。まるで人を犬みたいに……人道的に問題のある行為だ。
まさか、俺は殺されるのか!?
臓器を全てくり抜かれて、皮だけ橋の下にポイと捨てられるのか?
じょ、冗談じゃないぞ。逃げないと。
まずは、この鎖だ。これをどうにかしないと。足枷から都合よく足だけ抜けないだろうか。しばらく引っぱってみたが、俺のくるぶしを削り取らない限り無理だと思い知らされた。皮がむけて痛い。
鎖を掴んで力任せに引っぱってみたが、びくともしなかった。
困ったぞ……鎖を固定している金具も、四つのビスで柱にしっかりと固定されているし。
ん? この柱、木製だ!
これは勝てるかもしれない。
鎖を固定している金具は、木の柱に固定されている。俺は右足に鎖を何重にも巻いて、かかとを保護した。足首にはまっている足枷が、いい感じに鎖のとぐろを押し固めてくれる。よし、絶対に成功させるぞ。
俺は右足を振り上げ、柱の金具にかかと落としを思いきり食らわせた。
いってえええ!
鎖でかかとを保護したのに、その鎖がかかとに食いこんで痛い。これじゃあと三回くらいしかやってられない。何か、クッションになる物はないか、分厚い布とか。カーテンはダメだな。利用したくても、ここからじゃ手が届かない。
お、あるじゃないか。鎖とかかとの間に挟めそうな、丈夫い布が。俺は鎖をほどき、壁のハンガーにかかった有沢の私物らしき革の上着へ……手が届かない!
くっそ、なんにも手が届かないぞ。どうしよう、他に分厚い布は……うげ、あった。今、履いているずぼんだ。うぬぬ、ジーパン
仕方ない、やるか。
俺は鎖をほどき、ずぼんを脱ぐことにした。足枷のせいで右足だけ脱げなかったが、この右足のかかとさえ覆えればなんでもいい。ずぼんを右足のかかとに巻いて保護。その上から鎖を巻き直した。
よし、できた。今度こそやるぞ。
俺は金具に狙いを定め、高く上げた足を一気に振り降ろした。
いっでーーー!!
思わず口から、声が出そうになった。
ずぼんのごわついた生地が、さっき皮がむけた傷口を強くこすったのだ。いだだだだ、地味に痛い、しみる。
もうちょっと柔らかい布地はないものか。
……あった。パンツかぁ……。これ脱いだときに有沢が戻ってきたら警察呼ばれる……いや、むしろ呼んでくれ! 警察来てくれ!
ということで、パンツ含む作業工程を以下略。
俺は右足で何度も、金具にかかと落としを食らわせた。一般の成人男性より太っ……いや、体格が良い俺の、手加減なしのかかと落としは、雑な動きでも少しずつ金具を柱から動かした。
ほどける鎖を、何度も巻き直し、ただここから逃げ出さねばという焦燥感だけで、かかとを振り下ろす。
数えてないけど三十回目だろうか、疲れてきた……。堅いな~この柱。栗の木か?
金具もビスが四つも付いていて、厄介だしな。
お、触ってみたら、けっこうぐらついてるぞ! 金具を両手で持って、片足を柱につけて、全力で引っ張った。
抜けた!
そして背中と後頭部を床に強打。うぅ、今は、ぶつけた体の節々なんてどうだっていい、これで自由に歩けるようになった!
扉から出るのは、よしたほうがいいだろう。有沢と鉢合わせしたら厄介だし、そもそもあんな小柄な少女が、俺を担いでこの部屋に放りこんだとは考えにくいから、俺を運べる力持ちの仲間が何人かいるはずだ。そいつらとも鉢合わせしたら、二度目のチャンスはないかもしれない。
よし、窓から、飛ぼう。有沢が五階建てだと言っていたが、嘘かもしれないだろ。本当は二階建てとか、悪くて三階建てかもしれない。可能性はゼロじゃないなら試さないとな。
俺は紫紺色の大きなカーテンと、向き合った。窓ガラスはぴったりと閉じられているのか、布地は隙間風に揺れる素振りもなく、静止画のように立ちふさがっている。俺はカーテンを、片手で勢いよく払った。
稲光が、俺の全身を包んだ。パン一ですらない俺を。
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