第40話 ぬいぐるみショー開幕
一台の黒塗りの高級車が滑るように海の近くの倉庫の前にとまった。
止まると同時に運転席の男がすばやく出て後部座席のドアを開ける。
年のころは六十はすぎているであろう、恰幅のいい体格に着物を着こなす姿はまさにヤクザの親分という貫禄の男が降り立つ。
ドアを開けた男の他に二人。ボディーガードのように脇につくと親分を先導していく。
「鮫島」
親分が低い声で運転手兼ボディーガードの男の名前を呼んだ。
さすがというか、堂本と違い倉庫にはいるまえに、その場に漂う不自然な何かに勘づいたようだった。
鮫島と呼ばれた男も、承知していますといわんばかりに、親分を背中に隠すようにして銃を構えて立つ。
「堂本いるのか!」
鮫島が倉庫の中に向かって怒鳴りつける。
ざっと見渡したが周りに人の気配はない。
「クソ、何かあったのか」
近くに人気がないのを確認すると携帯電話を取り出す。応援を呼ぶつもりらしい。
「あっ」
何かが携帯電話を持つ右腕をかすめる。すんでのところで直撃はかわしたものの、鮫島はそれによって携帯電話を落としてしまった。
「クソ」
携帯電話を拾おうと身をかがめた瞬間、
――パーン!
非常階段のほうから銃声があがった。
「親分」
思わず親分を抱きかかえるようにして、鮫島はとっさに開いていた倉庫の中に転がり込んだ。遅れて二人の子分も転がり込む。
鮫島はすぐに体制を建て直し、室内と外の様子をさぐる。
――バタン
その時飛び込んできた引き戸が音を立てて閉まった。
「親分、閉じ込められました」
子分の一人が情けない声を出す。
「そのようだな」
閉まった扉は大人の男三人が押しても引いてもビクともしない。
しかし親分はいたって落ち着いた様子でそう答えると、倉庫に入るとき倒れて汚れた着物の裾をパンパンと両手で払いながらゆっくりと立ち上がった。
「どこの組の者だ!」
「うろたえるな!」
親分の一喝で、それまで辺りをせわしなくうろついていた子分たちの動きがぴたりと止まった。
「すみません」
「鮫島」
頭を下げる鮫島に、目で合図を送る。
「…………」
「…………」
気配を探るが、人間が潜んでいるような雰囲気ではなかった。静かな倉庫、その奥には積み重なったダンボール箱が置いてあるいつもの光景だった。
「クソ、どういうつもりだ」
鮫島が苛立ったように眉間に皺を寄せる。
「俺たちを閉じ込めている間に、組に襲撃でもかけるつもりか?」
「監視されているな」
親分が静かな口調で呟いた。
その言葉に反応して、再び鮫島がキョロキョロとあたりを探る。
一見して監視カメラのようなものは見当たらない、しかし今の監視カメラは実に最小だ、どこにどんな風にしかけられていてもおかしくない。
親分の目が、一つの段ボールの上にとまる。
まるで
目が合ったというのはおかしな話である、それは明らかにぬいぐるみなのだから。
しかし親分はそのウサギのぬいぐるみを鋭い眼光で観察する。
きれいな深い緑色の宝石でも埋め込まれているかのような瞳に、サーカスの団長がきているような赤い燕尾服。
自分たちが扱っている安いウサギのぬいぐるみとは一目で違うものだとわかる。
親分の視線に気がつき、鮫島がそのウサギのぬいぐるみをつまみあげる。上を向かせたり下を向かせたりつぶしたりして怪しいものが仕込まれていないか探る。
しかしこれといって変わった特徴は見つけられなかった。
だが鮫島もさきほどからずっと誰かに見られている気配を感じてならない、おもわずウサギぬいぐるみの瞳を覗きこむ、あるとすれば、これが監視カメラなのかもしれないと。
──刹那!
「いいかげん、乱暴に扱うのは止めてください」
突然ウサギのぬいぐるみがしゃべった。ぎょっとして思わずウサギのぬいぐるみから手を放す。
「だから乱暴に扱わないでくださいって」
床に転がったウサギのぬいぐるみは、さっき親分がしたようにパンパンとズボンを叩くとゆっくりと立ち上がった。その時どこからともなくスポットライトがそのウサギのぬいぐるみを照らす。スポットライトを浴びたウサギのぬいぐるみは、驚いて言葉を失っている四人顔をゆっくりと見た後、優雅にお辞儀をした。
「申し送れました、わたくしエリザベーラと申します。以後お見知りおきを」
一瞬驚愕した表情を作った鮫島が、次には顔を真っ赤にして怒鳴声を上げた。
「変なもの使いやがって、姿を見せやがれ!」
不覚にも驚いてしまったその様子をなかったことにするかのように、大きな声でそう叫ぶ。
そんな鮫島の行動とは対照的に、親分はまったく動揺した様子もなく、じっと床の上で話すエリザベーラを見入っている。
「あなたがたが、わたくしの同胞を使って悪行を働いているのは知っています」
男なのか女なのか老人なのか子供なのか分からない声音で、一人わめき散らす鮫島を無視して、親分だけに向かって話しかける。
「それと、今日どうして子供をさらったかも、証拠は全て揃っています。もう逃れることはできません。だからせめて、最後は私たちの同胞に謝罪し、全ての罪を認め自首してください」
挑むように緑の瞳がそう問いかける。
「謝罪も自首するつもりも、どちらもない」
親分もきっぱりとエリザベーラとその後ろにいるであろう人物にそう答えた。
「妹さんがそう望んでいてもですか?」
その一言を聞いて、親分が眉がピクリと動いた。
「何を言っているのかわからないな」
視線が絡み合う。そして「残念です」と、一言呟いた。
「でも──」
まだ説得を続けようするエリザベーラだったが、鮫島が向けた銃口によってその口を閉ざした。
「親分さん。そちらの方に銃口をわたくしに向けるのをやめるように言っていただけませんか?」
しかし、親分もギュッと口を引き締めたままでそんなことはいってくれそうになかった。
「手荒な真似はしたくはなかったのですが、とりあえず彼らにはちょっと大人しくしていてもらいましょう」
はぁ、とため息をつくように肩をすくめる。そしてまるでサーカスの団長がショーの開幕を告げるように、その両手を高々と掲げ、それから片手を胸の前に持っていくと深々と挨拶した。
「あなたとはまた後ほどゆっくりお話したいと思います。それまで、ぬいぐるみたちのショーをゆっくり堪能してください。それにより貴方のお気持ちも変わることを願います」
言葉と共に照明が落ちる。それと同時に倉庫内の全て窓に暗幕が下りた。
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