第20話 誘惑と覚悟

「おまたせしました、こちらにどうぞ」


 先に下りた山崎が、待っていた客を店の奥のテーブルに導いて行く。

 圭介はその背中に向かって「じゃあまた」と、頭を下げた。

 山崎が片手を上げそれに応える。


「おじゃましました」


 レジと店の扉の間ぐらいに立っている真に頭を下げると、そのまま店を後にしようとした。


「あれ、帰っちゃうんですか?」


 弾むような軽やかな声が、店を出ようと扉に手を掛けた圭介になげかけられる。


「はい、まだ解決してないみたいなので、また今度時間ができたら……伺いたいとおもいます」


 小さく微笑みながらそういった圭介の手を、真がそっとつかみ扉から離す。


「もうすぐお店も終わります」

「えっ!」


 デートの誘い文句のようなセリフに、思わず圭介の背筋がピンと伸びる。


「アリスちゃんが、もうすぐ帰ってくるので、少し会っていってはどうですか?」


 なんだ、そっちかとフウと額の汗をぬぐう。


「それに今日、ケーキ作ってきたんです。折角だし食べていってください」


 ニコリと微笑むその表情に、再び心拍数が上がっていく気がした。

 圭介は真の手を振る祓うこともできず、どうしていいかわからずしどろもどろになる。上目遣いで見上げてくる彼女に、耳まで真っ赤になりながら、ごくりと唾を飲み込んだ。


(か、かわいい)


 改めてまじかに見る真に、一瞬クラリと眩暈を覚える可愛さだった。


「えっ、あっ、……」


 小首を傾げる真。 


「いただきます」


 ほぼ無意識に言葉にしていた。刹那圭介の背中に冷や汗が噴き出た。


(――殺気!)


 鋭い視線を感じ、恐る恐る振る返る。

 ぬいぐるみ作成の客が書類にサインしているその先に、じっとこちらを見めている山崎と視線が交差する。

 山崎はの顔は営業スマイルを浮かべたままだった。しかしその目は、見るものを凍りつかさんばかりの冷たい光を放っていた。


「いや、でも、やっぱり……」


 ぎこちない笑顔で真のほうに顔を向き直す。


「何か予定でもあるんですか?」


 圭介は目の前の真の誘惑と山崎からの無言の圧力で、とめどなく変な汗が背中に流れているのを感じた。


 その時店の扉が、カランコロンと音を立てて開かれた。

 真には悪いが新たな客が来たこの隙に、帰る決意を固めた圭介は、真の手から自分の手を引き抜く。


(ごめんなさい真さん。でも僕はまだ命が惜しいんです!)


 心の中でそんな謝罪の言葉を残す。しかし、


「なんだ、圭介ではないか」


 扉のほうに足を向けた圭介のやや下のほうから声がかかった。


「アリスちゃんおかえりなさい」

「ただいま、どうした圭介なにかまたあったのか?」


 前の言葉は真に、後の言葉は圭介にそれぞれアリスが投げかけた。

 一瞬言葉に詰まった圭介より早く真の口が開いた。


「いま、ケーキを一緒に食べようって話ししていたんです」

「ケーキ」


 ケーキという言葉に小学生らしく、アリスが目を輝かした。


「そうか、じゃあ早く上に行くぞ」


 アリスの前をふさぐようなかたちになってしまっている圭介に、早く上に行けと目で訴える。


「いや、僕はもう帰ろうかと……」

「何だ、甘いものは嫌いか?」

「嫌いじゃないけど」

「じゃあよかったじゃないか、真のケーキは本当にうまいぞ」


 無邪気な笑顔に言葉が詰まる。


「あぁ、それとハルの居場所の見当がついたぞ」

「えぇ!」


 思い出したかのように突如言い放った言葉に、圭介が驚きの声をあげた。


「後で行こうと思うのだが、暇なら圭介も一緒に行かないか?」


 アリスの言葉に思わず頷く。


「そうか。じゃあ早くあがれ、ぐずぐずするな」


 アリスはそういうと圭介の横をすり抜け、暖簾の下から手招きしている。

 頷いてしまってから、ハッとして山崎を見る。

 あいかわらずニコニコとしているが「マコちゃんに変なことすんなよ、坊主」と、圭介には山崎が言っているのが聞こえた気がして、引きつった顔のまま大きく頷いた。

 そして圭介は再び二階の部屋に上がっていったのであった。



 二階に着くなりどこからともなく、こもった音楽が聞こえてきた。


「あっ、ちょっとすまんそこに座って待っていてくれ」


 先に食べていてくれとはいわず、アリスはランドセルから携帯電話を取り出すと、自分の部屋に消えていった。


「小学生が、携帯持ってんのか……」


 圭介は時代の流れを感じながら、再びこたつ机の前に腰を下ろす。


「甘やかされているなぁ」


 言ってからハッと気がつく。甘えも何もそもそもアリスには甘える両親などいないのではないか? 確認をしたわけではないが、圭介さっき山崎との会話で思ったことを再び考えた。

 しばらくすると閉店は山崎に任せた真が上がってきて、そのまま台所に向かい、紅茶とケーキを乗せたお盆を持って、圭介の横に腰を下ろした。


「アリスは携帯で部屋で話してますよ」と真に教える。


「山崎さんが、買ってあげたんですよ。他にもパソコンも使いこなせるんですよ、アリスちゃん」


 それを聞いて、圭介の顔から何かを読み取ったのだろう。真は手を合わせながらそんなことを言った。そして──


「この店のホームページも、アリスちゃんが作ったんですよ」

「そうなんですか。それはすごいですね」


 素直に感心する。

 圭介もここのホームページを見たから知っているが、結構手の込んだ作りになっていた。

 プロに頼んだといっても頷けるのに、それが、小学生が手がけたものだとは。

 アリスに比べ、大学生になっただけでなにか特別な能力も得意な技能も持っていない自分が、少し情けないような気がして圭介は小さくため息をもらした。


「おぉ、今日は苺ケーキか」


 そんな暗い空気を一掃するように、明るい元気な声が部屋に響く。

 たぶんアリスがそんな明るい声で話すのを聞いたのは、圭介は初めてのような気がした。

 おもわず、じっとアリスを見つめる。


 ケーキを前に目を輝かす姿は、どこにでもいる小学生だった。

 しかしその本当の姿は、すごい能力を持ち、パソコンを使いこなすスーパー小学生なのだ。

 圭介は改めて尊敬の念でアリスを見詰めた。


「おいしい!」


 アリスが一口ケーキをほおばると、とろけるような微笑を浮かべた。

 よほどケーキが好きなのだろう。

 それを見て圭介も「山崎さんに何かいわれるんだろうなぁ」と、思いながら目の前に置かれたケーキを一口食べた。


「うまい!」


 先ほどまでの憂鬱が吹っ飛ぶほどのおいしさに、思わず叫ぶ。


「よかった、気に入ってもらえて」


 真もうれしそうに微笑んでいる。そして、圭介の前に紅茶を差し出す。


「砂糖とミルクは」

「いえ、大丈夫です」


 真はいまだメイド服のままだ。


(これじゃあ、本当にメイド喫茶だよ)


 心の中で呟く。

 しばらく和やかなで楽しい時間が過ぎた。


「圭介さんは大学生なんですか」

「はい、今年入ったばかりです」

「大学は楽しいですか」

「はい」

「フフ、いいわね青春って感じで」

「真さんだって、そんな変わらないじゃないですか」

「そんな、私今年で二十四ですよ」

「えぇ!」


 高校卒業後すぐ鍼師の資格と取ったと聞いてはいたが、一つ二つ上かなと思っていたが、まさか五つも年上とは。

 ちょこんと座ったその姿は、やはりとてもそんな年上には見えない、肌つやだけみたら高校生でもまだ通りそうな瑞々しさだ。


「お姉さんって、呼んでいいですよ」


 ニコリと微笑みながらそんなことを言うものだから、圭介は思いっきりケーキを喉に詰まらせてゴホゴホと咳き込んだ。


 真は茹蛸のように真っ赤になった圭介をみて、おかしそうにクスクスと笑った。圭介はそんなふうに笑う姿まで、かわいいと思ってしまいまた赤くなった。

 山崎が骨抜きにされるのも、わからなくはない。と圭介は目を閉じる。そしてそのまま紅茶を啜る。

 これ以上は本当に惚れてしまいそうだった。


 ――ダン! ダン! ダン!


 階段を一段飛ばしで駆け上がってくるような轟音と共に、勢い良く襖が開けられた。


「おまたせ」


 そんなに長い階段ではないだろうに。肩でゼエゼエ息を切りながら、真に向かって微笑みかけたのは、もちろん山崎だった。


「誰も、待ってなどいないぞ」

「なんだよ、反抗期か」

「馬鹿もの、誰が反抗期だ」


 くしゃくしゃとアリスの頭を撫ぜながら、アリスの隣にドカリと腰を下ろす。

 アリスは髪を直すと山崎を睨みつける。


「いいかげん、子ども扱いするな」

「はいはい」と答えながら、圭介には真とアリスに変なことしてないだろうなと言わんばかりの視線を送って来る。


「山崎さん、お客様は?」

「あぁ全然大丈夫、打ち合わせは無事終わったから、ちゃんと店の鍵もかけてきた」

「いつもより打ち合わせ、早く切り上げただろ」


 アリスのセリフに圭介にはわからないがなんとなく頷く。


「それに閉店時間はまだだぞ」


 アリスは部屋の時計を指差し文句を言った。

 時計は二時十分前を指している。


「あれは十分遅れているんだ」


 圭介がちらりと自分の時計を見る。

 十分前だった。


「私の携帯の時計も十分前だぞ」


 圭介は相変わらず口を閉ざしていたが、アリスは容赦しない。


「じゃあ店の時計が十分進んでいたんだな」


 山崎もあくまでシラを切る様子だ。


「もう一度店を開けて来い」

「いいじゃねぇか、十分ぐらいどうせ今日はもう客はこないんだし」

「来たらどうする」


 まるでどちらが子供だかわからない会話である。

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