第一章:『剣の都』-②


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 精霊序列一位 ──【氷霊】のギルド本部。

 それは、この都の象徴とも言える建物。まるで王城のような外観を誇る建造物。


 一寸の狂いなく積み上げられた赤レンガ。空を仰ぎ見なければ天辺が見えないほどの高さを誇る尖塔。入り口から絶えず漏れる明かりと喧騒。そして、氷を纏った乙女の紋章が刻まれた旗。

 僕は今、その建物内にある豪奢な応接間へと足を踏み入れていた。


「あ、お茶用意するからアイルちゃんは好きな場所に座ってて!」


 ベルお姉さん ──ベルシェリア・セントレスタに連れられて。


「う、うん」


 僕はぎこちない動きでイスへと腰を下ろし、お茶を淹れているベルお姉さんを見る。

 メイド服に身を包んだ女の人が「私がやります!」と慌てた様子でベルお姉さんに声をかけているが、お姉さんは「いいのいいの!」と言って聞く耳を持たない。

 しばらくすると、メイドさんは諦めた様子で部屋から出ていってしまった。

 そして、部屋の中は僕とベルお姉さんの二人だけになる。


「気分はどう? まだ吐き気する?」


 僕の目の前に湯気を立てているカップを置いて、ベルお姉さんは言う。


「えっと、もう大丈夫」

「ほんと? よかった~」


 懐かしい笑顔を向けられ、僕は涙ぐみそうになってしまった。


「あ、そ、その……迷惑かけてごめんなさい」


 下を向きながら、そう告げる。情けない顔を悟られたくなくて。


「迷惑?」

「……うん」

「あんな場所で吐いてしまって」と消え入りそうな声で付け加えると、ベルお姉さんは困ったような顔になって笑った。


「気にしない気にしない。そんなことより、吐いた分の栄養を取り戻すことの方が大事!」

「むぐ!」


 無理やり机の上のケーキを僕の口の中へと突っ込んでくるベルお姉さん。

 僕は「あっぷ、あっぷ」と情けない声を上げながらそれを喉の奥に押し込んでいく。


「ほれほれ、まだまだあるよー。アイルちゃん、昔から甘いもの好きだったからねー」

「んえっ」


 ハッとなって、山盛りのケーキの奥にあるベルお姉さんの笑顔を見た。

 ……僕が甘いもの好きだってこと、覚えててくれたんだ。

 嬉しくて頬が緩みそうになる。その表情を悟られないように下を向くと、僕は残すわけにはいかないとケーキの山に手を伸ばしかけ、


「……あ」


 途中で動きを止めた。ベルお姉さんに会いに来た目的を、不意に思い出したからだ。

 そうだ、ケーキを食べている場合じゃない。僕は『ベルシェリア・セントレスタがアイル・クローバーを《剣の都》へと呼び寄せた理由』を知りたくて、ここに来たんだ。

 勢いよく顔を上げ、ベルお姉さんの顔を見る。


「あ、あのっ」

「そんなことよりも聞きたいことがある、って?」

「 ──」


 そして続けようとしていた言葉を先に言われ、目を見開いた。


「それ」


 そう口にするベルお姉さんの視線の先にあるのは、僕のバッグからはみ出している一枚の羊皮紙 ──『気持ち、変わってない?』と書かれたベルお姉さんからの手紙。


「『なんでこの手紙を僕に送ってきたの?』 ……今のアイルちゃん、そう聞きたくてたまらないって顔してるよ」

「えっ」


 う、嘘。僕、そんなに分かりやすい顔してた?

 慌てて両手で顔に触れる。それを見ていたベルお姉さんは「ふはっ」と吹き出し、愛おしいものを見るような目で僕の頭を撫でてきた。


「考えてることが顔に出るところ、昔から全然変わってなくて笑っちゃった」

「う」


 なぜか恥ずかしくなり、口を何度も開閉させる僕。

「うん、じゃあ教えてあげる。私がなんでアイルちゃんをここに呼んだのか」


 ベルお姉さんはそんな僕の瞳を紅の視線で射抜いて、


「それはね ──アイルちゃんを私の弟子にしようと思ったからなの!」


 一際大きな声でそう告げた。


「……え?」

「って突然言われても、そんな反応になっちゃうよねー」


 舌をペロッと出して笑うベルお姉さん。


「ちょっと長くなるかもしれないけど、私の話聞いてくれる?」


 そう付け足すと、彼女は疑問と混乱に板挟みにされて動けなくなっている僕へと背を向けた。部屋の隅にある本棚の元へと歩み寄っていき、その直前で足を止める。


「これ、なんだ」


 そして本棚にぎっしり並べられている書物の背表紙を指さし、僕にそう問いかけてきた。

 僕はその問いかけを受け、すぐに口を開く。


「それは ──」


  ──【英雄録の写本】

 それが、そこに収まっている数百冊の書物の呼び名。


 で生まれた英雄譚の全てが記されている書物。それが【英雄録】。

 この世で最も貴重な宝だと呼ばれているその書物の原本は、図書都市ララパイア ──《本の都》にて厳重に保管されている。僕たちの手元へと届けられるのは、その写本。

 今ベルお姉さんが見ている本棚に並べられている書物が、まさにそれ。


「うん」


 僕が口にした答えに頷きを一つ返して、ベルお姉さんは続ける。


「【英雄録の写本】には……いや【英雄録】には、一〇〇話ごとに区切りがあるの」


  ──《始原の世代第一世代》と呼ばれる主役たちが生きていた時代。

 第【一】話から第【一〇〇】話までの英雄譚が紡がれていた期間が、第一章。


  ──《修羅の世代第二世代》と呼ばれる主役たちが生きていた時代。

 第【一〇一】話から第【二〇〇】話までの英雄譚が紡がれていた期間が、第二章。


  ──《静寂の世代第三世代》と呼ばれる主役たちが生きていた時代。

 第【二〇一】話から第【三〇〇】話までの英雄譚が紡がれていた期間が、第三章。


  ──《再来の世代第四世代》と呼ばれる主役たちが生きていた時代。

 第【三〇一】話から第【四〇〇】話までの英雄譚が紡がれていた期間が、第四章。


 「第一章、第二章、第三章、第四章……私たちはね、主役たちがこれまでに積み重ねてきた歴史を、そうやって四つに区切って呼んでいる」


 それを聞いて、僕はコクリと頷いた。

 知っていたから。……いや、それは知っていないとおかしいことだったから。

 誰もが赤ん坊の頃に子守唄を聴かされるようにして読み聞かされる書物。それが【英雄録】。つまり今ベルお姉さんが語ったことは、常識も同然のことなのだ。


「ベルお姉さんは第四章の主役……《再来の世代第四世代》」


 そして、これも知っていて当然のこと。


「そ。凄いでしょー!」

「う、うん」


 食い気味に頷くと、ベルお姉さんは誇らしげな顔になる。

 しかしそれも一瞬。すぐに表情を引き締めて「ここからが話の核心だ」とでも言いたげな雰囲気を纏うと、彼女は本棚から一冊の【英雄録の写本】を取り出して言った。


「そして今、時代は変わり目にある」


 ベルお姉さんが手に取ったのは、【四〇〇】話目の物語が記されている写本。最も新しい英雄譚が綴られている書物。


「第【四〇〇】話が紡がれたことで第四章が終わって、新時代が幕を開けた」


 新しい時代の名は ──第五章。

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