第一章:『剣の都』-③


 新しい時代の名は ──第五章。


「私を含めた《再来の世代第四世代》の主役たちは今、第五章の担い手となるような次世代の卵たち ──《種子の世代第五世代》の育成に躍起になってるの」

「っ」

「私たちは、次世代を担うに足る新しい主役の種子を求めている」


 お前もその一人だ、とでも言いたげに話すベルお姉さん。その真剣な表情を前にして、僕は思わず後退ってしまう。


『気持ち、変わってない?』


 ベルお姉さんから受け取った手紙の内容が脳内で鮮明に再生される。


「つまり……僕を次世代の担い手の一人として育て上げようと思ったから、あの手紙を送ってきたってこと?」

「まっ、そういうこと!」

「ッ」

「それを踏まえた上でもう一度言うよ。アイルちゃん、私の弟子にならない?」


 混乱してばかりの僕を前にして、ベルお姉さんは再びその提案を口にする。

 それは、願ってもなかった提案だ。ベルシェリア・セントレスタの名前を知る者が聞いていたら、卒倒してしまってもおかしくないほどの誘いだ。

 首を縦に振る以外の選択肢、あるわけがない。

 ……だけど、


「どうして、僕なの?」


 僕の口から零れ出たのは、そんな言葉だった。


『お前には無理だ』『身の程を弁えろ』『お前なんかいつまで経っても端役のままだ』

『お前はベルシェリア・セントレスタとは違って、誰からも期待されていない』


 これまでに浴びせられてきた言葉の数々が蘇る。

 それは、僕の中に刻み込まれている傷。頭蓋の裏にこびり付いて離れない呪い。


 特にこれといった取り柄なんてない、短所にまみれた平凡な人間。自他ともに認めている端役。それが僕 ──アイル・クローバー。

 対するベルシェリア・セントレスタと言えば、僕とは正反対に位置している存在だ。


 曰く、それは目にもとまらぬ速さで戦場を駆け巡る銀の豹。

 曰く、それは宙に舞う鮮血すらも凍てつかせて魔獣の群れを呑み込む吹雪の化身。

 曰く、それは「姫」の名を冠するに相応しい戦姫。

 主役の中の主役 ──【じん】ベルシェリア・セントレスタ。


 そんな雲の上にいるような存在と僕なんかとが釣り合うわけがない。

 ……ベルお姉さんと再会した時、僕は一瞬で理解した。否が応でも理解させられた。この一〇年間で、ベルお姉さんがどれだけ遠い存在になってしまったのかを。アイル・クローバーとベルシェリア・セントレスタの器の違いを。

 こんな僕でも、僕たちの間に存在しているその溝の深さを感じ取ることができたんだ。ベルお姉さんがそれを感じ取れていないはずがない。


「僕はベルお姉さんと違って……一〇年前から何も変わってないんだ」


 絞り出すようにして、その言葉を零す。

 変わってない。僕は昔から何一つとして変わっていないんだ。

 才能のなさを嘆くしかない弱虫のまま。大衆の面前で恥を晒すような臆病者のまま。

 そんな僕に「弟子にならないか」なんて提案をしてくるベルお姉さんの考えが分からない。「次世代の担い手となる主役になれ」なんて無茶を押し付けてくるベルお姉さんの意図が理解できない。

 分からなくて、理解できなくて……こわい。


「どうして、僕なんかを」


 段々と弱々しくなっていく口調。俯きがちになっていく顔。

 ベルお姉さんはそんな僕を見て、


「どうしてって ──期待してるからだけど」


 きょとんとした顔でそう告げた。


「き、きたい……?」

「そ。ってものが、私にはある。そのイメージに一番近いのは誰かなって考えた時、一番に浮かんだのがアイルちゃんの顔だったの」


 ビシッと人差し指を差し向けられ、肩がビクリと震える。


「そして『この手でアイルちゃんを一から育ててみたい!』っていてもたってもいられなくなったから、その手紙をアイルちゃんに送ったってわけ」

「っ」


 その正直な言葉をぶつけられて、僕は息を呑む。

 きっと、ベルお姉さんは嘘うそなんて言っていない。今の言葉は全部、本音なのだろう。

 ベルお姉さんという人間を昔から知っている僕だからこそ、それが分かった。

  ──でも。


「そ、そんなの」


 この約一〇年間で培われた臆病者の性が、擦り切れかけている自尊心が、ベルお姉さんの言葉を受け入れることを拒む。彼女の言葉を大人しく聞き入れようとしない。


「信じられない?」

「……うん」


 少し躊躇った後、消え入りそうな声でそう答える。

 すると、


「じゃあ、はっきりと言ってあげる」


 ベルお姉さんはそう口にして、こちらに歩み寄ってきた。


「私は、に嘘をつかない」

「 ──」


 どこまでも真っ直ぐな視線を向けられ、息が止まる。


『お前には無理だ』


 かつて向けられた蔑みの言葉が蘇る。


「アイルちゃんならできる」


 その言葉を否定するように、ベルお姉さんは言った。


『身の程を弁えろ』


 かつて向けられた貶みの言葉が蘇る。


「アイルちゃんには資質がある」


 その言葉を覆すように、ベルお姉さんは言った。


『お前なんかいつまで経っても端役のままだ』


 かつて向けられた哀れみの言葉が蘇る。


「アイルちゃんは強くなれる」


 その言葉を塗りつぶすように、ベルお姉さんは言った。


『お前はベルシェリア・セントレスタとは違って、誰からも期待されていない』


 かつて向けられた嘲りの言葉が蘇る。




 「私は ──アイルちゃんに期待してる」




 それら全てを一蹴するように、ベルお姉さんは告げた。


「ぇ、ぁ、ぇ」


 言葉が喉につっかえて出てこない。

 滲む視界。徐々に熱をもっていく身体。

 誰からも期待されていない端役。それが僕、アイル・クローバー。

 だけどたった一人、僕が一番認めてもらいたい主役だけは、僕に期待してくれている。その事実が、何よりも熱い炎となって胸に灯った。心を揺さぶってきた。


 そして ──報いたい、と。そんな柄にもない言葉が、頭の中に浮かんでくる。

 報いたい。何の取り柄もない僕を唯一認めてくれているベルお姉さんに。

 報いたい。一〇年間、ずっときっかけを待っているだけだった僕に手を差し伸べてくれたベルシェリア・セントレスタに。


「じゃあ、もう一回言うね」


 こんな僕にもやれることがあるのならやってやる。唯一アイル・クローバーに期待してくれている、この人のために。


「アイルちゃん、私の弟子にならない?」


 そして僕は、その言葉に大きな頷きを返した。



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