第二幕・三十五『失敗は成功のもと -シッパイハセイコウノモト-』


 〜 〜 〜 〜 〜



「――戻ってきた!」


 人差し指でさしながら、ローリアは光の柱の上方からゆっくりと降下してくる黒尽くめの男へと走り寄る。


 シエラもローリアのあとに続いて駆け寄るが、地に足を着けた男の死人よりもむごたらしい表情を見て鋭く息を呑む。


「……ミツル、さん……?」


「…………」


 不安がりながら声をかけるシエラと、その様子を黙ってじっと見つめる半神リテ。


「な、にが、あったんだ……?」


 ミツルの尋常でない顔を読み取り、ローリアも恐る恐る囁きかける。


「終わった。帰ろう」


「終わったって……」


 泥を貪ったように酷い顔をしていながら、ミツルの声は事も無げにどこか晴れ晴れとしている。そんな人として壊れたように外面と内面がごちゃ混ぜになっているミツルを見つめながら、ローリアは言葉の意味が理解できず聞き返す。しかし、


「終わったんだよ、もう。――ほら、お前らもこんなとこで待ってるだけなんて苦だろ。さっさと帰るぞ」


 折れ砕けてまだ骨の繋がっていない腕を無理矢理に曲げるかのように、痛々しくその面体に笑みを浮かべるミツル。


 帰るも何も、今自分達は国に追われる身となっているだろうと反射的に突っ込みかけるが、その前の言葉を思い返しローリアは顔を歪める。


 終わった。


 その言葉が、どうにもローリアには深く突き刺さる。

 まるで、まるでアリヤを救う術など最初から無かったのだと、だからもういいと、そう言われているようで。


「待ってくれミツル!」


 早々にリー・スレイヤード帝国方面へと歩き出していたミツルに、たまらずローリアはミツルの袖を掴もうとする。が、


「……やめろ」


 指先が触れる直前、ローリアの手を葉でなぞるように非力な腕で払われた。


「どうしたんだ。さっきは凄くやる気になっていたじゃないか」


 そう言って項垂うなだれるミツルを覗き込んで、ローリアはその一抹の悲痛にまみれた顔を見て喉をひきつらせるように呻きを漏らす。


「失敗したんだな」


 後ろからリテが飄々とした声で、それでいて重苦しい両の目で振り返ったミツルを見てくる。まるで失敗することを見越していたかのように。


「失敗…………?」


「――……わかってたんだろ。こうなることが」


 囁くシエラを無視して、そんな言葉が口をついて出ていた。

 依然浮遊しながらこちらの顔を見下ろすリテに、ミツルは立て続けに、


「無力な俺が一丁前にアリヤを助けるなんて、お門違いもはなはだしい。お前がわかってなくても、俺自身本当はわかってたんだ。ただ、気付いていない振りをして……」


 がくがくとうるさく震える膝を叩いて、誰もが口を閉ざす中でミツルは嘆き続ける。


「昔みたいにもう弱くはないだなんて自惚れて、ありもしない自信を持って糞みたいな世界に飛び込んで、散々他人を傷つけておきながら失敗しました? 笑わせんな。無能過ぎんのにも限度があるだろ……ッ」


 怒鳴りこそしないものの、ミツルは矮小な己自身を卑下してかき消そうな声で誰に訴えるでもなく独白する。


 過去など見るだけ無駄だと誰かは言う。

 過去を振り返らず、前だけを見ているべきだと。


 そんな綺麗事を抜かす奴に言ってやりたい。お前は馬鹿野郎だと。


 過去の自分が無力な存在だと痛いほど思い知らされ、それでいてどう転べば未来の自分なら信じられるというのか。


 失敗した過去を振り返らず、今もまた失敗を積み重ね、次こそはやれると何の根拠も無くほざけられたなら、なるほど、それは確かに馬鹿の戯言だろう。


 未来は確定していないからこそ人生を楽しめるなどとイカれた教祖のように耳打ちしては、鵜呑みにした何人もの人達を奈落の底に落としてきたのだろう。


 先が見えないから人生は楽しめるだなんて、思い違いもいいところだ。そんなことは断じて、断じて無いと言い切ろう。


 未来が分かっていたほうがどれだけ安心できることか。

 未来が分かっていたほうがどれほど安全なことか。


 常に数歩先の未来をることができれば、物事はすべて良い方へ良い方へと流れゆく。

 失敗者は人生に楽しさなど求めていない。とにかく未来を見透かして、知って案じていたいのだ。


「俺みたいな軟弱者が、自分のことすら手一杯でいる俺が、アリヤを助けるなんざできっこなかったんだよ――……」


 足に力が入らず、ついにミツルは膝を地べたに着ける。

 周りを年下の女性に囲まれて、心配されて、それでいてなお大の男は不格好にひよわなことばかりを述べたてる。


 なよなよしく、第三者から見れば殴りたくなるような貧弱で後ろ向きな言動ばかりを繰り出すミツルに、しかしローリアとシエラはそんな仕草を微塵も見せることなくかがんでミツルにそっと寄り添う。


「向こうで何があったんだ。教えてくれればボク達も対策を考えられる。一人で悩むことは無いさ」

 

「ミツルさんにはローリアもペトラちゃんもセリア先生も、頼りないですけど、私だってついてるんですから」


 デキア洞窟の前でしたやり取りを彷彿とさせるように、またミツルは年下の女の子に無様に慰められる。


「ついてる……? ついててこのざまじゃねぇか」


 まただ。――やめろ。


「感情論で、言葉だけでいくら励まそうが物事ってのは何一つ解決なんざしねぇんだよ――……」


 慰めてもらっておきながら、よくもまあぬけぬけとこんな口が叩けるもんだと、我ながら心底呆れる。


 口では偉そうにぼやいているくせして、心の奥ではいつだって優しい彼女達に甘えて慰撫を求めているというのに。


「お前達の事は信頼してる。けど、今回ばかりはどうしようもない」


 向こうの世界へ行けるのは、向こうに自分がいるミツルだけ。ローリアやシエラも連れて行くことはできるが、そうしたところで何か変わるわけでもない。


「一度目を失敗したなら、今度はそれを避けられるじゃないですか。もう一度やってみては?」


「策くらいは一緒に考えられるだろう。キミがあっちで何をしようとしているのか、それだけでも聞かせてくれないか」


 ミツルの肩を抱きながら、シエラに続いてローリアまでもが後押ししてくれる。酷いことを言った相手に、それについて一切を咎めず心から心配してくれている。どこまでも温かな声色で。慈愛に溢れた眼差しで。


「…………自分、殺し」


 淀んだ目で地面に生える青い花を見つめながら、ミツルはそっと、ゆっくりと喉の奥から絞りだす。


「……過去の俺を、今のこの俺の手で殺せば、自分で自分を殺したことになるから、世界は自殺と観測する」


「――だから過去の自分を殺したあとに他人から殺されれば、過去の自分となって代わりに戻れるはずだ、と」


 掠れた声で呟くミツルの言葉の後ろをリテがつむぐ。

 ミツルはそれを聞くや、リテを一瞥することもなく小さく頷いた。


「俺の姿までは視認できた。あとは背後から刺すだけだった。なのにその直前、警官が邪魔に入って……」


 そこまでミツルが口にし再び頭が下がりかけた時、後ろでずっとぺトラスフィルと共に無口を貫いていたセリアが、細いおとがいに手を添えながら口を開いた。


「――むしろ、のではないか?」


 セリアの冷静な、飄々としたそのあまりにも無遠慮な発言に、ミツルの肩を抱いていたシエラの手がぎりっ、と強く握られた。


 一瞬抜け殻にでもなったのかというようにシエラの顔は無機質に呆然としていたが、シエラ自身気が付きはせず、刹那の間には愛らしい面様を激情に染めていた。


「先生! それはあまりにも冷た過ぎますよっ!」


 ――知り合ってから初めて見た、シエラの怒りに満ちた顔。

 目をかっ開き、堪えきれずパチパチと身の回りに静電気をはじけ出しながら、どうしてそのような事が言えるのかと、口にはしていないながらも伝わってくる、そんな叫び声。


 だが、シエラの言葉尻を遮るようにしてぺトラスフィルもまた、


「オレも! …………そう、思う」


「ペトラ、キミまで……ッ!」


 二人して並びながら言うセリアとぺトラスフィルに、ローリアとシエラは信じられないと失望の想いを表情に滲ませながらミツルをかばう。


 しかし直後にぺトラスフィルは前に突き出した両手をぶんぶん振ると、


「ち、違ぇよ! そういう意味じゃねえって」


「じゃあどういう意味なんだ!」


「落ち着け。早とちりするな」


 声を荒立てるローリアを抑えようと、セリアは静かに話しかける。


 息も荒く震わせる二人――特に知的なローリアに向かって、半神リテは小刻みに笑いながら両手を挙げて匙を投げる仕草をとる。


 ローリアはこの雰囲気の中なぜ笑っていられるのかとリテを睨み気味に見るが、


「その男に気を回し過ぎて、頭の方が回らんか? ん?」


「「……?」」


 冷静さと理性を欠いたローリアは、目前でしてやったりと不敵に笑みを浮かべるリテをしばらく見つめたあと「あっ」と声を上げてシエラの顔を見る。


「なに、ローリア、どういうこと……?」


 しかしシエラまではどうやら未だ理解できていないようで、その幼い顔に困惑を浮かべながら説明を欲するようにローリアを見返す。


 セリアとぺトラスフィルの発言の真理を悟ったローリアが、さっきとは打って変わって朗らかな声でミツルの名前を呼ぶ。それからリテも便乗して呼び、


「ミツルよ。お前が死んだ日を今一度よく思い返してみろ」


「死んだ日……」


 リテに言われたのと、自分とシエラ以外の全員がなぜだか明るい表情をしているのに疑問を持ちつつ、ミツルは胡乱げに顔を上げながら日に日に薄れつつある記憶を再び懸命になって掘り起こす。その間シエラも彼女なりに答えを導き出そうと頭を働かせていた。


 夕飯を買うために家を出て、会計を済ませ、レシートを見て、高いなと感じて…………。


 そこまでは先ほど向こうで思い出した。それから、


 光の柱が伸びているのに気付いて、そこへ向かっている途中、車に轢かれて死んだ、はずだ。


「重要なのは細かい記憶の断片だ。記憶と記憶の狭間はざま。もっとだ。もっと深く思い出せ」


 リテはミツルの頭の中が目に映ってでもいるのか、催眠術でもするかのように入り込んでくる。


 ミツルはより集中できるよう両目を固く閉じ、自分の深淵に眠る記憶とこれまでの行動を照らし合わせる。


 ――夕飯に何を買ったか。

 ――レシートにはどう書かれていたか。


 違う、そうじゃない。もっと先だ。


 ――光の柱を目指して、早歩きで向かって。

 ――信号は点滅していた。けれど待てずに飛び出した。


 次。その次は確か――



 ――……音だ。パン、と乾いた音が鳴り響いた。車の前輪がパンクした。


 あれをやったのは――――――――俺だ。



「なぜわたしがお前に方法を教えなかったか。それは先に口にしてしまっていたならば、お前はこの世に存在しなかった事になったやもしれんからだ。一発で成功しては意味がないどころか、お前の全てが無にす」


 いつの間にやらリテは足を地に着け、至って真剣に語る。


「どういう事だ?」


「お前の世界の言葉を借りるなら、所謂いわゆる『親殺しのパラドックス』だ。この場合、『自分殺しのパラドックス』とでも名付けようか」


 そこまで言われて、ミツルは昔本で読んだ覚えのあるその言葉を頭の中で吟味する。


「我はお前がという事だ。そうしてお前が為損しそこなった事により、過去のお前は未来のお前に殺されること無くメルヒムへと来れた」


「わざとミスらせたってのか――……?」


 自身の中で全てが繋がったミツルの驚愕に満ちた問いかけに、リテは何度目かの頷きを入れる。


「より言葉を崩して言おうか。――そうさな……」


 腕を組み、大人ぶった口調に反して幼さが残った顔を歪ませるリテ。

 苦慮にしばらく頭を抱え、どうにか凡人なミツルにも伝わるように言葉をひねり出す。そして、


「まず、最初の自分殺しに失敗。過去のお前は運転手に殺され、これが他殺と判断された。この時もしも自分殺しに成功していた場合、自殺者と見なされ過去のお前は転生されなかった。だから今回失敗したのは正しい。これでお前がメルヒムへ転生した理由ができた。これがお前の原点だ」


 最初から殺していれば、みつるはメルヒムに来ることができなかったと、リテはそう言う。


 過去のミツルをA、現在のミツルをBとするならば、ミツルAが転生できたのはミツルBが失敗したからである。

 ミツルBがミツルAを刺し殺していれば、世界は自殺行為と見なし、メルヒムへ来る条件が揃わなくなる。これがミツルAは転生されなくなるという所以だ。だから今回ミツルBが失敗したのは正解だと。


「今のお前が此処ここにいられるのは、。失敗した自分に感謝しろ。『失敗して良かった』とは、卑屈になってばかりのお前にはお似合いの着飾らない言葉だろう?」


「…………」


 リテは意地悪でも薄情でもなく、初めからこれが目的でミツルを送り出した。


 今になって考えてもみれば、博識なミツルならタイムリープの話や理論をもとに冷静に考え、容易にそこまで辿り着けたはずだ。


 アリヤに会いたいその一心で無計画に飛び出し、思慮の浅さを披露し、結果としてミツルは大々的に赤っ恥を晒したのだ。


 つまりは、次にミツルが過去の自分を殺せばいいと。


「失敗し、過去のミツルの転生は約束された。今度は自分を殺していいぞ。いや、殺せ。確実にな」


「――――ああ」


 拍子抜けしたミツルの顔には精気が戻り、と同時にやる気もみなぎってくる。いつの間にか笑っていた膝の震えも止まっており、ミツルはすっくと立ち上がる。


 リテは今日出会ってから初めての無邪気な顔をしていた。


「単純な奴よな。ついさっきまで死にそうな顔つきをしておったというのに」


 そう言って再び宙に浮きはじめると、リテは不意に


 探すように目を上方にきょろきょろと泳がせながら、何やらごそごそと空間の中を漁っている。本当に何でもありなぶっ飛んだ世界だ。


「これか。掴んだぞ」


 ミツルはわけも分からず呆然とその様子を眺めていると、リテはおもむろに綺麗に畳まれた何枚かの黒い生地の布を取り出した。


 少しばかり埃を被ったそれを顔を背けながら軽くはたくと、ミツルに差し出してくる。


 ミツルにはその布が何かが分かりきっていた。


 受け取ると、手に馴染みのある懐かしい感触が伝わってくる。

 一番上の生地を広げると、ちょうどミツルの上半身と同じ大きさになる。

 薄過ぎず厚過ぎず、ほど良い滑らかさも兼ね備えた、前側中央の縦にチャックの付いた一枚の柔らかいパーカー。


 その他にも、メルヒムに来た当初履いていたチノパンツに靴までもが、今まさしくミツルの手もとに戻ってきた。


「アリヤの家に置いてきた……」


 ミツルが無意識に呟くと、


「お前がケイカンとやらに呼び止められたのも、ひとえに文化の違いだろう。そんなぼろけたコートなど身に付けていては、誰の目にだって止まるわ」


 呆れたように眉を下げるリテにミツルは「恩に着る」と一言置くと、女性陣のど真ん中で着替えるわけにもいかないので颯爽とオルメデスの裏まで行って着替えはじめる。


 ものの一分ほどで変身し終えると、元の場所へと戻る。久しぶりのラフな格好は非常に軽々としており、軽い体重がさらに減ったのかと錯覚に陥るほどだった。


 これまでずっと一張羅として着ていたコートをローリアに手渡すと、リテに向き直る。


「――それで? 再挑戦を受けるか?」


 半神らしく、神々しく両腕を広げながらリテは問うてくる。

 ミツルは「もちろん!」といつぶりかの元気な声で言い放とうとしたが、それはローリアの一言で叶わなくなった。


「ちょっと待ってくれないか」


 失ったはずの高揚が込み上げてくるミツルとは反対に、ローリアの声は凍えそうなほどに震えていた。


「どうしたの、ローリア?」


 ミツルの回復を悦びはすれど、その真逆の反応は場違いだ。


 まるでミツルとローリアの中身が入れ替わったように気分の落ち込みを見せる彼女にシエラは戸惑い声を掛けるが、次の言葉にミツルの高揚感は一気に打ちひしがれた。


「過去に行くということは、もうここへは、戻ってこないのか――……?」


 その一言で、静寂が周囲を支配した。

 そよ風だけがさらさらと草原と青々とした花を、そしてそれぞれの髪を揺らして。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る