第二幕・三十三『愚かなる神の代行 -オロカナルカミノダイコウ-』


 〜 〜 〜 〜 〜



 白光りする視野の無い世界の中で、ミツルの意識は両の手に集中していた。


 いつからこんな事を受け入れる男になったのだろうか。

 暇さえあればおこなってきた自己分析を振り返ってもみれば、自分がどれほど彼女達を甘受しているのかがよく分かる。


 あの世界で過ごしていた自分自身を思い返せば、目まぐるしい成長と呼んでいいだろう。


 対人距離、パーソナルスペース。他人にこれ以上近付かれれば不快に感じるといわれている空間が常人より広いだけでなく、肌に触れられるのが極度に苦手だったみつる


 なのにそんな男が、今ではこうして何の躊躇いもなく手を握っている。


 感情を捨てたからできた、なんてことは無い。

 それ以前から、この世界に来てから何度もしてきたことだ。それも自ら少女達の頭に手を乗せて。


 もとの世界ではできなかったのに、どうして異世界に来ただけでまるで人が変わったようにできるのか。

 そんな自身でも理解できない疑問が脳裏を駆け巡る。


 良いことではある。喜ばしいことだ。信頼できる人がいるというのは。


 だがしかし、それは同時にミツルが最も恐れていることでもある。


 信用しているから裏切られるなんて思いもしない。そうやって無防備な状態で裏切られた時ほど、恐ろしいことはない。


 仲が良いから。身近な人だから。だから信じることができる。そうやって裏切られた人を、一体どれだけ見てきたことか。


 ミツルの中での彼女達への信頼パーセンテージは、既に九割は埋まっている。だけれど、どうしても残りの一割を埋められないでいる。


 これはミツルだけの問題ではない。きっと世界中の人々の内に秘められた、永遠の難題だろう。


『信じる』。この言葉には矛盾の力が働いている。

 信じるという定義は、何があってもその人の期待通りの人物像でなければならないということだ。


 求められている言葉を声に出し、行動で示し、決して何があろうともその人が幻滅するような態度を晒さないことが絶対的な条件である。それも、言葉にしなくても察しなければいけない。


 けれど、そんなのは互いの脳に画期的な読み取りマシーンでも埋め込まない限り不可能だ。


 自分に見せている姿と、周りから聞く姿、一体どれが本物なのだろう。現代社会に生きる人間であれば、誰もが思ったことがあるはずだ。


 そうやって疑問視している時点で既に『信じる』の定義からは外れているし、「こういう人だろう」という自分の勝手なイメージを当て付けて一方的に期待しているに過ぎない。

 イメージとは異なった言動を相手がとれば裏切られたと感じるし、何より、自分が真実だとかこつけていたイメージが違ったんだということに、自分自身が傷つく。


 だから『信じる』の対義語は『期待』だ。

 期待なんてしていなければ、相手の新たな一面を知ることができたな、というだけで済むから。


 そんなややこしくて疲れるだけの関係を凌駕してくれたのがアリヤだったのだ。

 何も言わなくても伝わって、何もしなくても理解してくれる。ミツルの夢物語にしかいなかった理想像がアリヤだったのだ。


 ローリアもシエラも大切ではある。それは断じて嘘ではない。しかし、やはりミツルにはアリヤがいなくてはならない存在だ。


 やっとの思いで出逢えたそんな少女が今この輪にいなくて、一体これから何を支えにしていかなければならないというのか。


 ――唯一無二は消え失せた。

 純白の彼女が戻ってこない限り、ミツルの無は久遠にある。



 〜 〜 〜 〜 〜



 まぶた越しですら眩しい閃光に、眉間が勝手に谷をつくる。


 眩しさに気を取られて意識していなかったが、いつの間にか硬い地面を踏みしめていた足裏が少しばかり沈んでいる感覚にミツルは気付く。


 知っている感触。――そう、誰もが知っている感触だ。


 伸び伸びと懸命に空へと突き出している草を当然のように踏み潰すこの感触は、きっと誰しもが知っている。

 視界が遮られているため、その他の感覚が敏感になる。


 草花を潰す足下の罪悪感と、両手に伝わる温かな安心感。そんな対照的で複雑な感覚を味わっていると、輝きが徐々に引いていくのがわかった。


 開けるに開けられなかった瞼をゆっくり持ち上げると、視界に見覚えのある絶景が広がる。


 上には白殺しの別称を持つ藍白の空。

 下ではウルトラマリンブルーの花々がひっきりなしに淡い光体を飛ばしている。


 そして目前に佇むのは、何を用いようとも決して傷つかないとされる、ミツルがこの世界で一番初めにその目に映した大樹――、世界樹オルメデス。


「――着いた、な」


 凛とした声が右側から聞こえてミツルが横を見ると、辺りを見渡すセリアが立っていた。


 ミツルはセリアの姿を見るや、しばらく握ったままでいてすっかり慣れてしまった手を思い出し、反射的に右手を開いた。


「ミツル……」


 今度は左から小さく声が聞こえ、ミツルは振り向く。そこにはシエラとぺトラスフィル、そして可愛らしく上目遣いでミツルを見やる、ローリアの姿。彼女の顔はほんのり赤みがかっており、その原因が咄嗟に右手を離した勢いでローリアの手を握っていた左手に力が入っていたからだとミツルが気が付くと、「ああ、悪い」と一言挟んで左手も離した。


 ローリアは気晴らしに周囲をきょろきょろと見渡すと、


「……本当に、転移したんだな……」


 そう言って感嘆を漏らした。


「これがオルメデス……」


「見たこと無かったのか?」


 ローリアの横で同じように驚嘆するシエラにミツルは声を掛ける。


「ありますけど、村から移住するときに遠くから一度見たことがあるくらいで」


 あの礼儀正しいシエラがミツルには目もくれずに、オルメデスへ顔を固定したまま喋る。

 ミツルはそんなシエラを真似て世界最大の木樹を見上げながら、


「それで、リテとかいう奴はどこだ」


 枝葉の隙間を縫って探していると、ミツルの冷めた声を聞いた皆もそれぞれ視線を様々な方向へと巡らせる。するとしばらくして、


「――――半神相手に奴呼ばわりとは、随分と不敬なものだな」


 天高くから声が聞こえ、一同の顔が上空へと向けられた。


 ミツルが淀みに淀みきった目を凝らして注視してみると、朝から追いかけては追いかけられる、二羽の小鳥が大樹の前を羽ばたいているのが見てとれた。ミツルは一瞬だけそんなのどかな様子を眺めてから、再び巨大な傘をつくる木を見据える。すると葉を揺らしながら、人型をした物体が降りてくるのが見えてきた。


 空中であぐらをかきながらのんびりと落ちてくるその身体は存外小さく、言うなればシエラと同じくらいしかない。

 限りなく白に近いうっすらとした水色の髪を揺らしながら、を名乗るそれは地面すれすれで浮遊して止まる。


「あんたがリテか」


 クラウディアスの部屋で想像していた半神と随分容姿が異なり、思いがけずミツルは微妙に目を見開く。

 幼い風貌から少女とも捉えられるが、逆に少年にも見れる、中性的なぺトラスフィルに近い童顔だ。


「ああとも。そして汝等うぬらはクラウディアスのつかい。だろう?」


「遣いなんかじゃない。けど、なんで知ってるんだよ」


 ミツルの素朴な質問にリテは若々しい肌をした頬を上げる。


「神は何でもお見通し……というのは戯言たわごとだ。転移石を使って来たろう」


 言うと、リテはミツルの返事を待つこと無く続けざまに、


「人の子が遠方から瞬時にオルメデスへ来るとなれば、それは転移石を使う以外に無い。そもそもあれはわたしがクラウディアスに譲った物だ。我と彼奴あやつよしみでな」


 クラウディアスもそうだが、古風というべきか、リテは喋り方がいささか古い。ミツルとローリア、そしてセリアの三人は理解しているが、残るシエラとぺトラスフィルの二人は晦渋かいじゅうな言葉に眉をすぼめている。


「誼みって……。一体何歳なんですか」


 これまで話を聞いていただけのローリアも気になったのだろう、ミツルがしようとしていた質問を先に口にする。


「クラウディアスの奴は確かこの前二百三になったと言っていたな」


「二百……!?」


 それにはシエラも驚いたのか、彼女は小さくではあるが声を出しながらセリアの顔を見る。と、セリアは黙ったまま線の細い顎を引いて頷く。

 リテは仰天するシエラを横目で見つつ、


「どうにも古い記憶でな。間違えていなければ、わたしは今年で八百と十一になる」


「…………」


 途方もない数字を聞いて、全員がその場で固まる。


 太陽暦では、地球は三百六十五日で一年とされている。だがミツルがしばらく住んでわかったこの異世界メルヒムにおいては、どうやら一年はもっと長いようなのだ。それがミツルが転生してから程よい温かさの季節がずっと続いている原因の一つでもある。


 一年が長いということはそれだけ一月も長いということ。

 呼び方こそ違えど、メルヒムでは全部で二十ヶ月、一月が四十日あるのだそうだ。

 そのためローリアの誕生日は十五月の三日、シエラの誕生日が四月の三十三日と、地球とは違った聞き慣れぬものになっている。


 ゆえに単純計算でこの世界での一年は八百日。地球換算にすればいかに八百年が長いのかがよく分かる。この場の誰もが呆気に取られるのも仕方あるまい。


「年齢など何の自慢にもならんさ。歳の数が多いからと言っても、無駄に過ごせばそれは単なる怠惰に過ぎん。生きている時間の長さではなく、どのような人生を歩んできたかでその者が聖者か否かが決まる。そこいらのふんぞり返った老人なんかが、その良い例えだろう?」


 嘲るようにリテは言いながら鼻で笑う。


 ――リテの言っていることは正しい。長生きしているから、若者たちの倍は生きているからと年齢でマウントを取ってくる年寄りというのは、得てして大した成果も上げていない死に損ないが多い。


 年上を敬えと、高齢者は大切にと、そういった都合のいい言葉を利用しているだけのただの老いぼれに過ぎない。


 だから本当に敬うべきは『年配者』ではなく、血の滲む努力を積み重ね、後世にまで知恵や技術をのこしてきた『先人』だ。そこを間違えてはならない。


わたしは不老だが、クラウディアスはそうではない。長寿とはいえ少しずつ衰えは進行している。あいつも随分と老けたものだ。言うなれば、ある種の呪いだな」


「そんな莫大な年月、よく覚えてるな。普通忘れるし、理性だって保てないだろ」


 皆が思い思いに驚く中でミツルは冷静に返す。

 リテはミツルの言葉を聞くとオルメデスを見上げながら幼い顔にふっ、と微かな笑みを浮かべ、


神擬もどきも暇でな。世界を傍観するか、年を数えるしかする事が無い。わたしは此処から離れられんのさ」


 その顔は笑っているが、自嘲していると言ったほうがしっくりくる、リテはそんなどこかもの悲しげな、あるいは昔の後悔を思い返すような表情をしていた。


「――神擬き? あんた神なのか? さっきも半神とか言ってた気がすんだけど」


 神嫌いのミツルは、つい刺々しい口調で話す。


「正確には違う。神なんてものは実在せん。あんなものは寄る辺が欲しい人間が勝手に創り上げた、言わば空想上の都合のいい全知全能の生物だ。――わたしはこの世で最もそれに近しい存在というだけであって、決して神でも全知全能でもないのだよ。……だから、半神だ」


 言うと、リテはまるで透明な床でもあるかのように、空中でだらしなく寝そべりながら蔑んだ目線を向ける。


「……しかしまあ、実在もしないものに膝をつきこうべを垂れ、貴重な食糧や自らの命を捧げ出すなど、人間とははなはだ滑稽よな。そのような粗末な物みたい、貰った所で嬉しくもない」


「俺に聞くな。それについては俺だってつくづく共感してんだから」


 吐き捨てるように神の話を無理矢理打ち切るミツルに、リテはそれ以上追求せずに本題へと入る。


「――それより何用だ、定命じょうみょうの者ら。此処でわたしの名を呼んだ以上それ相応、世迷言次第で首をねるぞ」


「俺らがわざわざ初対面のあんたと雑談するために来たとでも?」


 手刀を自分の首にとん、と当てて見せるが、リテの口振りは真剣そのものだ。しかしミツルは怖気付くことなく淡々とした口調で言う。


「無のマディラムについて教えてほしいんです。アーカツヴァイグ学院長からあなたに聞いたほうがいいと言われて。それで来ました」


 リテはローリアの話を聞くや「ほう」と小さく唸って関心を見せる。


「あいつがな。――確かに無のマディラムなら奴より知っている。この目で見届けてきたものでもあるからな」


 見届けてきた。それはつまり、


「……伝承によれば、最初の無のマディラム使いが現れたのは八百年前……。ということは、当時十一歳だったリテさんは無のマディラム使いと同じ時期にいた……?」


 シエラは顎に手を当てながらリテの年齢を照らし合わせて推測する。


「正解だ。それもただ同じ時期にいただけでは無い。仲間と言い合える間柄だった」


 喋りながらリテは再び哀愁漂う顔つきを垣間見せるが、それはほんの一瞬で、


「……して、無のマディラムの一体何が知りたい」


 すぐに愁眉を開いて元通りの表情に戻るとつっけんどんに問いかけてきた。


「使い方だ」


「あ?」


 投げた問いに即答するミツルに、リテは間の抜けた声を言い漏らす。


「知ってどうする? ――それにだ。そもそもマディラムに説明書など無い。使い方なぞ人の数だけあるわ」


「…………」


 リテの言葉を聞いて、ミツルは今一度改めて考えてみる。


 マディラムの種類はその人の心象風景によって決まってくるが、そこから実現させるために必要な発生源は想像力だ。思考の中でいかに鮮明に独創的に妄想できるか、それが重要になってくる。


 無のマディラムも八つ目のマディラムと呼ばれるからには、その本質は変わらないはずだ。だとするならば、


「まさかな……」


 ミツルは疑心にさいなまれながらも、かつてその手で消し去った者達を己の中でできるだけ鮮烈に思い出す。

 そして思い出すと同時に光と闇のマディラムを使っていた頃のように念じると、自身の前に当時と何一つ変わらない形をした影が一人、いや、一体出現した。


 影と呼んでいいものか、可視できるがその肌に色は無く半透明。何一つ変わらないとはいったもののそれはシルエットにおいての話で、当然顔に眼球も口も付いていなければ、喋ることも無い。


「こ、これは――……?」


 突如として出現した謎の透明人間に、シエラが驚きと恐怖を交えた声を出す。


「ミツル、お前が出したのか?」


「ああ。……なんか、出た」


 警戒して柄に手を添えるセリアにミツルも困惑気味に返す。


 本人ですら予想外の事が目の前で起きる中で、リテだけはまるで線と線が繋がったかのように張りつめた表情をしていた。


「無のマディラム……」


「そうだ。無のマディラムが使える。不本意ながらな」


 集中力を切らして目前で突っ立っている透明人間を消すと、物思いに耽るリテにミツルは語りかける。


 リテは流れ落ちるように消えた透明人間からミツルの顔に双眸を合わせると、


「……やっと、やり遂げたんだね」


「……?」


 ぽつりと、ミツルではなくミツルの目を見てそっと呟いた、気がした。


「聞こえなかった。もう一回言ってくれ」


 耳を澄まして再度聞こうとするが、リテはミツルの問いかけには応じない。


「いや、独り言だ、気にするな。――それよりあの日転生してきたのは、やはりお前だったのか」


 話を逸らせて別の話題に意識を持っていくリテ。そんなリテの言葉に、ミツル以外の者達が大きく目を張る。


「――転……生……?」


 おそらく今日散々驚いてきた内容の中でも一番衝撃を受けているであろうローリアの顔を見て、リテはきょとんとした表情をミツルに向ける。


「何だ、知らんのか。そんな事も教えずに仲間とはよく呼べたものだな」


「言う機会が無かっただけだ。黙ってろ」


 ミツルは驚愕と困惑に顔を歪ませるローリア達に向き直ると、メルヒムに来て初めてアリヤ以外の者に正体を明かす。


「――俺はメルヒムとは違う、別の世界から来たんだ。……だから記憶が無いってのも、その、嘘だ」


「どうして嘘なんて……」


 理由を求めるローリアの知的な蒼い瞳を真っ直ぐに見つめて、ミツルは自身の臆病さをさらけ出す。


「人間は探究心が根強い生き物だろ? 下手に言うと妙なとこに報告して研究の対象にされると思って……」


 どこの世界にも犠牲を厭わない研究者がいる。メルヒムも例外ではないのだろう、ローリアは困惑から悲痛な表情に顔を変えると、首を左右にぶんぶん振る。


「研究対象になんて、このボクがさせないよ! あいつらは根本的に間違っている。生物の研究において一番重要な理性をそこなわせてどうするんだ。あれは研究者の皮を被っただけの、ただの拷問だ。実験とは程遠い」


「わかってる。けど会ったばかりの素性もわからないお前達に言うわけにもいかなかっただろ。今はお前達のことを充分知ってる」


「――っ」


 ローリアという人間が、シエラという人間をどういった人物なのか今は知っているから打ち明けた。

 そんな声にならない想いをんでくれたのか、ローリアは不意をつかれたように顔を少しばかり赤らめながら押し黙る。


此奴こやつの世界は、メルヒムと比べてだいぶ先を歩いていてな。――お前もがなすきがな、疑問に思っていたのだろう?」


 言葉を探して口を結んでいるローリアにリテはミツルの世界を教えると、次いでミツルにも問いかけてくる。


「何が」


「メルヒムの世界をだよ。マディラムなどという人智を超越した力を大半がその内に秘めていながら、何故自分のいた世界よりも発展していないのか」


「まあ、それは確かに……」


 この世界にもマディラムを応用した独自の物はある。

 ミツルの着ているコートにも風のマディラムが含まれているし、ローリアの家にも一風変わった照明具が設置されていた。


 しかし科学的に説明のつかない魔法が当たり前のように蔓延はびこっているくせに、文明は地球に遠く及んでいない。


 メルヒムでは日常生活で使用している物の数々が、マディラムを基盤としている。


 例えば料理をするうえで欠かせない火は、キッチンの着火部分が火のマディラム、水道やシャワーなんかには水のマディラムが使われている。


 端的に言ってしまえば、マディラム=電気やガス、石油なのだ。


 きっと自然の四大元素を己の内から自由に操作できるがゆえに、この世界の住人達はマディラムに依存し過ぎているのだろう。そしてその甘えが裏目に出てしまい、結果としてこうした創造力の欠落した発展途上な文明が出来上がってしまった。


 ミツルのいた世界は魔法ありきな便利な世界ではない。だからこそ知恵を振り絞り、分け与え、引き継ぎ、途方なまでの計算と血反吐が出るほどの場数を踏んで先人達が長年発展させてきたのだ。それが怠惰の世界と努力の世界との違いだ。


 いくら天才的な頭脳をもつローリアが突飛な理論を提唱しても、形にできる技術を持った者がいなければ開かずの金庫でしかない。


「お前の世界で例えるならば、せいぜい中世あたりといった所か。ざっと三、四百年は遅れているな、この世界は。まだ我の時代の方が発展していたぞ」


「そ、そんなにっ……?」


「ミツル、キミの世界は一体どうなっているんだ」


 全種のマディラム使い、世界樹の半神、異なる世界から来た人間、そして異世界の文明の高さ。

 たった一日にして驚きにさらなる驚きを重ねられ続ける彼女達に、ミツルは嘘偽りなく自分の育った世界を説明する。


「俺のいた世界には魔法――、マディラムなんて奇々怪々なものは存在しない。けど、それでも馬の何倍もの速さで走れる乗り物はあるし、空も飛べるし、なんだったら星の外側にだって出られる」


「…………」


「リー・スレイヤード帝国を指一本で滅亡させるほどの武器だって、各国が所有してるんだ」


 語彙力を失ってもはや開いた口から声すら出ないでいる少女達の後ろで、ずっと話を聞いていたセリアが口を挟む。


「それほどまでに技術の進んだ世界から何故、どうやってメルヒムへ来たんだ?」


「……俺は一度死んでるんだよ……、多分。意識が戻ったとき、ちょうどこの場に倒れてた。ここでアリヤに助けられたんだよ。なんで異世界に飛ばされたかなんて、俺が聞きたい」


 二度目の人生、輪廻転生なんてクソ喰らえと思っていた本人がその対象となったことに不満を漏らすミツルの前で、その様子を見ていたリテはなぜだか急に高らかに笑いはじめた。


「……何だよ」


 なんとなく馬鹿にされている気がして、ミツルは重く鋭く尖らせた声でリテをめつける。


 一頻ひとしきり空中で笑い転げたあと、リテは目尻に溜まった涙を指の側面で拭いながら、


「――はあ、いや悪い。しかしよもや、メルヒムの世界へ訪れたのは偶然だと、そう思っているわけではあるまい?」


「……違うってのか」


「んー、偶然とも取れるし、必然とも言えるな」


 言うとリテは表情を正してからミツルしか知らないはずの事実を告げる。


「お前は先程死んだと口にしたが、正確にはのだろう?」


 今となっては古い記憶を掘り起こして、ミツルはかつて車に轢かれたことを思い出し今さらながらに鈍臭かったなと自分を卑下する。


「何が言いたいんだよ」


 メルヒムで過ごしていたことも元の世界で起きた出来事も全てを見透かされているようで、ミツルは内心気味悪がりながらもそれを顔色に出さず、虚勢を貫く。


「自ら命を捨てるような甘ったれた輩が、来世など期待して良いと思うか? そのような奴はメルヒムに来る資格など無い」


 リテは、自殺者はこの世界メルヒムには来れないと、つまりはそう言っているのだろう。しかし逆説的に言えば、他人から殺されたのなら来れる、とも。


「……俺は車に轢かれたから、それは他殺に捉えられると?」


「ああ。それがまず偶然になる。だがそれだけの理由で来られる世界ではない」


 そこで一旦言葉を区切る半神リテ。そしていにしえの記憶と観測した異世界を照合して、推測が的確であることに間違いが無いと一人再確認したリテは告白する。


「お前の血縁者――つまり、遠い祖先は――――八百年前の無のマディラム使いだ」


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