第二幕・三十二『王さえ知らぬ秘密 -オウサエシラヌヒミツ-』
登ってきた螺旋階段を降りて一度学院を出たあと、実技科棟とは真反対に位置する第二大図書室に入って行く。その間あちらこちらの生徒の目線がクラウディアスへと注がれていた。
ロエスティード学院の学院長であるクラウディアスはここの所ずっと自室に閉じこもっていたらしく、そのため久方ぶりに姿を現したことに皆関心を向かされているようだった。
――第二大図書室とは言っても年月は結構経っているからか、中へ入っても新しさはさして感じられなかった。それでも第一図書室よりも大きいと褒めそやされているだけあって、遥か上のドーム状の天井までは巨人がすっぽり入れそうなほどに高く造られていた。
走り回れそうな広い図書室の空間はまったりとしており、所々で本を探したり読んでいる者達は自粛しているため非常に
四階まである高い壁には各階にびっしりと本が敷き詰められていて、第一図書室だけでは収まりきらない理由が目に見えて分かる。第一第二共に合わせれば、総数など軽く五千万は超してしまうだろう。
ミツルは初めて入った第二大図書室に目を奪われながらついて行く。先頭を歩くクラウディアスの足取りは迷いなく中央の受付へと向けられていた。辿り着くと、ミツルはクラウディアスの背後から顔を覗かせる。
そこに座って机の上の紙面と睨めっこしていたのは、シャープな眼鏡をかけた一人の女性。髪色こそ白髪ではないが、お世辞にも若々しいとは言えない、小皺の入った四十から五十くらいの歳の女性だった。
亜麻色の緩くカールの入った髪は後ろで縛られたあと前へと持って来て垂らされている。細身の眼鏡を隔てた向こう側の瞳はわずかに青のかかったエメラルドグリーンで、ふと、その双眸が下から上へと持ち上げられた。
「これは……、アーカツヴァイグ学院長」
おっとりとした本の似合う女性はクラウディアスに気が付くと、親指と人差し指で眼鏡の丁番辺りを
「久しいの。――こちら、薬草学とこの図書室の司書を務めているハルベリータ・ベート先生じゃ。知っておろう?」
クラウディアスは短く挨拶を済ませるとミツルに振り向き女性を紹介する。しかし図書室に来たことの無いミツルは軽く首を横に振り、
「ここに入ったこと自体初めてだ」
そう言うとクラウディアスは「ふん?」と呆けた表情で返す。
「私の記憶にも残っていませんから、そうでしょうね」
まるで図書室に来た者の顔はすべて把握しているとでもいうような返しに、ローリアもシエラもわずかばかりに目を見張る。
「ですが、かねてより存じてはいましたよ。なんでも、クラトスさんに勝ったとか」
「なんでそれが俺だってわかる?」
ミツルが聞くとハルベリータは噂を耳にしたのか、申し訳なさそうに苦笑いをする。
「身なり、ですね。真っ黒な人だと」
周辺に一人としていない個性的なミツルの黒尽くめの服装を見て第二大図書室の司書であるハルベリータ・ベートはそこまで言うと、次にぞろぞろと五人で何事かと思い訊ねる。
「それで、いかがなさいまして?」
「おお。――折り入って頼みがあっての」
ハルベリータの問いにクラウディアスはそこで言葉を切ると顔を少し近付けて、
「石版を使わせてほしいのじゃ」
周りに聞こえないよう小声で告げる。
何か事情があると踏んだ司書ハルベリータは手に持っていたペンをそっと置く。
「学院長の頼みですから、もちろんそれは構いませんが……」
言うと、後ろの四人に目を配ったのち、
「よろしいので?」
心配そうな表情でクラウディアスへと再び顔を向ける。
「無論じゃ。話はしてある。だから連れて来たんじゃよ」
それを聞いたハルベリータは疲労が溜まっているのか、はたまた年齢から来るものなのか、眼鏡を取ると眉間をきゅっと摘む。それから眼鏡をかけ直すと、
「……わかりました。ではこちらへ。――さ、皆さんもどうぞ」
後方のミツル達にも手を招いて、司書ハルベリータはそそくさと歩き出した。
「――どこ向かってるんだよ。オルメデスとやらに行くんじゃないのか? なんだよ石版って」
前を歩くクラウディアスに追い付きながらミツルは横に並ぶと、質問攻めのように要求する。しかし、
「
もったいぶっているのか、一言だけそう言うとクラウディアスはそれ以上何も言わなかった。
不満の残るミツルはこいつに聞いても無駄だと後ろを振り向くが、どうもローリア達にもさっぱりなようで、彼女らは肩をすくめていた。
――仕方無しに黙々とついて行くと、ハルベリータは壁側に並ぶある本棚の中途半端な位置で止まる。そして、
「皆さん、近くに人がいないか確認して頂けますか?」
不意にそんなことを言った。
「……?」
クラウディアスを除く全員が突然の言葉に首を傾げるものの、ひとまず周囲に無関係の者がいないかを確認する。
偶然か計算されてか、この場所は四方八方からは見えにくい、
「今なら誰もいないよな?」
「そう、ですね」
一通り見渡して確認し終えたミツルの言葉にシエラが応じる。
「では、誰か来る前に早くこちらへ」
こちらも何も道なんて無いだろとミツルは一瞬思ったが、それは本当に一瞬で、直後にクラウディアスが自分の部屋の本棚から出てきたことが脳裏をよぎった。
――滑らかに音も無く開いた本棚の隠し扉。日々知識を蓄えているローリアはこの図書室をよく利用している分、他の誰よりも驚愕する。
扉の奥では石造りの階段が下へと続いており、壁には蝋燭が取り付けられてはいたが随分と長い間人が入っていないらしく、火は灯されていなかった。
「図書室の下にこんな地下があったなんて……」
「――地下の存在を知っているのは、学院長と司書ベート、そしてこの私だけだ」
驚愕の事実に目を見開きながら呟くローリアの背後で、不意にセリアの声が聞こえた。
「来たかセシリエ。用意はできたかの」
「はい」
クラウディアスの言葉に短く返事をするセリアの左肩には何が包まれているのか、細長い布が担がれていた。
「では、さっそく入るとしよう」
そう言ってクラウディアスは地下への階段を下り始める。
「誰かに見られる前に、お前達も早く入れ」
周辺を警戒するセリアはミツル達に先を促す。
ミツルがクラウディアスに次いで入ると、ローリアも後に続く。シエラもぺトラスフィルの背中を優しく押して入っていく。
「後は私が」
「はい。お気をつけなさって下さいね」
最後にセリアが入り口へと入ると、振り向いてハルベリータに告げる。ハルベリータは挨拶すると、本棚でできた扉をゆっくりと閉めた。
扉が閉められたと同時に図書室の明るい光は遮断され、たちまち階段は暗黒と化した。
暗闇に包まれた階段は人二人が横に並べる程度の幅しかなく、デキア洞窟で強烈なトラウマを植え付けられたローリアとシエラはミツルに抱きつくように密着する。恥ずかしいなど言っていられないほど本気で暗がりの階段を恐れているようで、叫びこそしないものの、二人とも身体が尋常ではないくらいに小刻みに震えていた。
その様子を後ろで見ていたぺトラスフィルがセリアの裾を軽く引っ張るとセリアもそれに気付いたらしく、光のマディラムを使って照らしてくれた。
「――なあ、秘密主義なのか知らないけど、いい加減教えろよ。石版ってなんだ。どこ向かってんだよ。危険な場所ならこいつらを連れて行きたくない」
しがみつく少女二人を驚かせないようあまり大きな声を出さずにミツルは発するが、ここまで来て何も教えないクラウディアスにさすがに少し強めの口調で話しかける。
「危険ではない。――ほれ、着いたぞ」
階段が終わった先は明るみがあり、円形につくられた空間が広がっていた。ここの蝋燭だけは消えること無く、円形の部屋の中央にあるモノリスのような一枚岩の石版を照らし続けていた。
孤立する石版は横幅よりも縦に長い長方形をしており、表面はヤスリで擦られたように滑らかだった。そしてその身体には、明らかに文字と思しきものが一面にびっしりと羅列して彫られていた。
「これか、石版って」
そう言ってミツルは石版に近付いて文字を読もうと試みるが、簡単な字しか読めないミツルは解読することを諦めてローリアに振る。
「ローリア。これ読めるか」
「…………これは古代文字だ。古い文献で見覚えはあるが、ボクには読めないよ」
震えは止まっていたがまだ恐怖心を完全には拭い去れないローリアは、細々とした声でミツルに返答する。
ローリアの答えにミツルはクラウディアスに顔を向けるが、彼も首を左右に動かすと、
「わしにも読めんよ。――ただ、この石版の存在を知れば、対立国だけでなく世界各国がこぞって奪いに来るじゃろう」
「そんな凄い代物なのかこれは」
言いながらミツルは再度石版を見直す。
ミツルの目からは、どうにもこの石版の価値や凄さが伝わらない。それは石版の何たるかを知らされていないからというのもあるが、せいぜい遺跡の発掘物程度にしか思えないミツルは納得のいかない顔で見つめる。
「ミツルといったかの。君は何故、こんな図書室の真下に地下があるか考えたか?」
突拍子もないクラウディアスの質問に、ミツルだけでなくローリア達も思考を巡らせる。
確かに改めて言われれば、図書室の下に狭苦しい地下があるのは不可解だ。それもあるのは第一図書室よりも真新しい第二大図書室。その点から鑑みてもおかしいのは分かる。
各国が欲しがるのならば石版が相当な貴重品であることは自明の理だ。ならば普通に考えれば石版は歴史的文書や代物の集まる第一図書室に置かれるべきはずだ。なのにあるのは、第二大図書室。
――しばらく時間をもらったが答えを導き出せないでいるミツル達に、クラウディアスは閉じていた口を開く。
「仮にこの国が侵略された時、歴史的文書の集まるロエスティード学院の第一図書室の書物はまず間違いなく押収されるじゃろう。制約で傷つけないようにするとは言っても、それならばと自国の物として取り扱うはずじゃ」
両腕を後ろの腰にまわし、教師らしくクラウディアスは説明を続ける。
「じゃがそれは、逆説的に言ってしまえば第二大図書室は新しいがゆえに大したものは無いと、臆断で決め付けていることにもなる」
「貴重な品は第一図書室に寄り固まっていて、第二大図書室には価値の無い本しか置いていないと……?」
「事実その通りじゃ」
ミツルの推測にクラウディアスは頷きながら、
「思慮の浅い者ほど騙されるじゃろう。古い図書室に保管される聖遺物ばかりに気を取られて、新館には大したものは無いのだと」
「……つまり、歴史ある第一図書室を
近頃驚きの連続なローリアは、一再ならず目を見開いてそう呟く。
「書物を犠牲にしてでも守らなきゃならないもの、という事でしょうか……」
「で、結局のところこの石版は何なんだ」
シエラの言葉に続きミツルが
「転移石じゃよ。――世界樹オルメデスまでのな」
「転移……って。……まさか、ご冗談でしょう」
クラウディアスの言葉を聞いたローリアは事実を受け入れられないのか、後ろのシエラと同じく戸惑いと喫驚に顔を塗りたくられていた。
「こんな場所で冗談を言うほど、わしも暇ではないんじゃが?」
クラウディアスはいたって真面目な表情で、ローリアの目を真っ直ぐに見つめる。
転移。類語としては移動。
だがおそらくこの場合、瞬間移動またはワープと呼んだほうがより正しいだろう。
地点Aから地点Bまで、その間にいかな距離があろうとも、対象者は物理に反して瞬時に移動する。
転移石など、それこそ漫画やゲームではありきたりな便利道具だ。その概念を知っているだけでもこうして理解する度合いはローリア達の比ではない。
対してローリアとシエラは石版の能力を聞いて理解はしたらしいが、特に研究大好きっ子のローリアは納得がいかない様子だった。
ミツルにはローリアの気持ちが身に
今のローリアは、マディラムの原理をまったく理解できないでいるミツルと同じ立場にいる。
なぜこんな現象が起きるのか、なぜこのような現象を起こせるのか。
魔法なんてものが実在しない世界で生きてきたミツルからしてみれば、ここからオルメデスに転移できるなんてのは到底信じられない。
人間は光速で移動なんてできないし、仮にできたとしても負荷に耐えられる肉体ではない、はずだ。
魔法ありきなこの異世界でさえ瞬間移動が非常識というのだ。膨大な知識量を努力のみで培ってきた凡人なミツルになど、解析できようはずもない。
「――さて。わしは君達をここまで連れて来ただけじゃからな。何せ地下へ入るにはわしだけの許可がいる。厄介にな。――では、あとは頼んだぞ」
クラウディアスが言葉後ろにセリアに言って帰りだそうとするのを、ミツルは反射的に呼び止める。
「あんたは行かないのかよ?」
「行っても構わんが、そうするとお前さんらを探しておる騎士達が来た時、はぐらかす者がおらんでな。年老いたわしよりもセシリエがついた方が安心じゃろ」
言って再びミツルからセリアに視線を移す。
「それにセシリエも追われる身じゃ。どのみち今は学院におらん方がええと思うてな」
「……承りました」
学院長に忠実なセリアは、その冷静な佇まいに似合う落ち着いた声でもって返答する。しかし高齢なクラウディアスが内心心配なのか、セリアの応答には極わずかな間が見えた。
その一瞬の躊躇いをクラウディアスは気付いていたはずなのだが、それを表に出すこと無く
たった今降りてきた階段を軽快に登って立ち去るクラウディアス。見た目に反して身体年齢は若いようで、クラウディアス本人の話によると常人より長生きな分、身体の衰退速度も遅れているそうだ。
――クラウディアスの背中が見えなくなるまでしばし見送ると、セリアはミツル達へと振り向き直した。
「そういう事だ。今から石版でオルメデスへ向かう。いいな?」
「俺ならいつでもいい」
確認にミツルは即答すると、セリアは次いでローリア、シエラ、ぺトラスフィルにも目を配る。
少女達が無言で頷くのを捉えたセリアは一旦担いでいた荷物を地面に置くと、
「全員、手をとれ」
短くそう言ってミツルに右手を差しのべてきた。
一人一人が憲兵数人分の戦力を担うスレイヤード騎士団を鍛え上げるだけあって、セリアの健康的な白い手はすらりとした女性らしさはあるものの、鍛錬に鍛錬を積み重ねた結果が滲み出ていた。
ミツルは躊躇いなくセリアの片手を握ると、言われた通りの指示に従って空いているもう片方の手をローリアに差し出す。
ローリアは最初気恥ずかしさで頬を少し赤らめていたが、理性が働いたのかすぐに小綺麗な手を繋いでくる。それからローリアもシエラに、シエラもぺトラスフィルに、そして最後にぺトラスフィルがセリアの手を握って石版の周りを囲うように円を描いた。
傍から見れば仲良しこよしな輪の光景にミツルは嫌気がさすが、複数人で転移するとなればどうやら連結のように当事者に繋がらなければいけないらしく、ミツルは渋々諦めるとセリアの整った横顔を見る。
「――転移、オルメデス」
目を伏せながら抑揚のない声でセリアが呟くと、途端に石版に書かれた古代文字が眩い輝きを放つ。
その輝きは狭い地下の部屋を直視できないまでに照らし、ミツルは耐えきれずに両目をぐっと閉じた。
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