第二幕・二十八『謁見 -エッケン-』



 セリアが話を通してくれていたのか、ご近所のスレイヤード城の大門を通ったところでミツル達は警守中の騎士の一人に城の中へと案内された。


 ついさっき見た帝国への入口を警護する熟練門兵二人が相手をあざむき油断させるために装着していた下級兵士の鎧に対して、スレイヤード城内の騎士達は全員洞窟で見た死体と同じものを着用していた。


 上品に仕立てられた純白の服の各関節部はプロテクターの役割を担う黒い金属で守られ、左胸のちょうど心臓のある位置には盾の形をしたエンブレムが縫い付けられている。そこには一人一人の名前が彫り込まれているため騎士としての証にもなり、唯一無二の胸章ともなる。それを見える位置に身につけているだけで騎士は様々な場所を通過する事が出来るし、国の生活安全を担っているという理由から物を買う際にも一般民よりも安くしてもらえるなどという優れものだ。


 そのため悪党の間では超のつくほどの高値で取引されているが、相手が戦闘のプロということもあり、入手は例の幻の木の実であるパッコの実よりもきわめて困難と噂されているそうだ。中には無謀にも挑戦したのち返り討ちにあい、未だ牢獄から抜け出せずにいる者も、という話もたびたび聞くほど誰もが欲しがる代物である。


 そんな話を聞いてしまえばとても挑もうなどという考えは思いつかないものだが、その一生の大半を檻の中で過ごすリスクをおかしてでも手に入れようと躍起になる輩がいることもまた事実だ。


「――こうして真下まで来て改めてみると、凄く高い建物ですよね」


 うわー、と感嘆を吐きながら、栗色の髪をした少女シエラは顎を限界まで上げて仰ぎ見る。


 彼女ら含むミツル一行は目の前を先導して歩く騎士について行っている最中だ。

 城の中庭横の外に晒された廊下は両端から等間隔に天井を支える柱がそびえ立っていて、縦に溝が彫り込まれた造りで石灰のような質感をしている。


「それはそうさ。この国では一番大きな建造物なんだからね。帝国を統べる皇帝の住む場所よりも高い所があってはならないという意味も含めて、ロエスティード学院よりも大きめに建てられた城だ」


 ローリアは横に並んで歩くシエラにそう言うと、続いて一番後ろから狭い歩幅でついてきているぺトラスフィルに顔と言葉を向ける。


「平気かい?」


「……なにが?」


 ぺトラスフィルはローリアの短い質問の意味が理解できず、疑問をそのまま疑問にして返す。

 今まで裸足だったことからまだ新しい靴の感触に慣れないようで、先ほどからもじもじしてどうにも落ち着かない様子だ。


「お腹が空いてはいないか――というのもあるが……。何というか、キミはボク達以上にこういった高貴な場に慣れてなさそうだからね。その年齢にしてはキミは少し冷静が過ぎるが、緊張してはいないかと心配しているんだよ」


 知的な彼女はぺトラスフィルを心配して話し掛けるが、それに応えたのはぺトラスフィルではなくミツルだ。


「こういう場所はぺトラよりも俺のほうが慣れてないぞ、多分」


 現実世界で家と仕事の往復だけの生活を送り続けていたミツル。当然休日も家から出ることはほとんど無く、あるにしても遊びではなく用事で外出するのみだった。


 周辺にこのような壮大な建物なども無く、これといって暇つぶしになるような施設も無い。せいぜいコンビニで雑誌を漁るか図書館で一日中文庫本を読むかという事しか取り柄のない町で、少し遠出をしなければショッピングもできない場所に住んではいたが、友も恋人もいない身であるから行く必要も無い。


 そんなインドア派だった自分が今や毎日外に出て、不本意ながらこうして問題まで起こして国のトップと顔を合わせるというのだから、人生何があるのかわかったものじゃない。


 そんな事を考えつつミツルが何気なく右目に軽く手を当てていると、ローリアがその行動に気付いて心配げに鮮やかな翠色の瞳を覗き込んでくる。


「まだ痛むのかい?」


「ん、まあ。痛むというか、違和感がな」


 ミツルの左の黒眼は淀み、右の翠眼は透き通るように煌めいている。


 片方だけにコンタクトレンズを付けているような感覚だが、数日もすれば慣れるだろう。それよりも気になるのは、視界に映る鮮やかなモヤだ。


 空や地面、空気などといった景色には何ら変わりない。しかしローリアやシエラ達に視線を向けてみれば、身体の中央に色づいたものが見えるのだ。


 それだけではない。洞窟の前で目覚めてからというもの、言葉を交わしてきた全ての者達が話すたびにその言葉が嘘か真か、何故だか直感的に見破れるのである。


 だからローリアとシエラも信用できるようになったと言ってもいい。


 これまでは相手の顔の強ばった筋肉や目の泳ぎ、口のひきつり方から声の震え、言葉遣い、仕草などありとあらゆる部分から嘘を見抜いていたミツルだが、どうも今は全くもってその必要性が無いのだ。


 これが仮に移植したアリヤの右目から起因するものだとするならば、彼女がミツルの嘘を初見で見破っていたのにも合点がいく。


 とはいえこのアリシャの翠眼という未知数な力に頼り過ぎると本来のそういった見抜く技術(今となっては癖だが)が衰えてしまうのも事実。


「兄貴の右目、すげぇ綺麗だよな」


「ああ。とても大切な目だ」


 ぺトラスフィルが隣まで早歩きで近付いてきてそう言うと、ミツルはオッドアイとなった目をぺトラスフィルに向けながらもの柔らかに返す。


 ぺトラスフィルはこの四人の中でただ一人、アリヤという人物と面識がない。それでもミツルの右目を見て綺麗と素直に言ってくれるということは、仮にもしぺトラスフィルがアリヤと出会えていても、きっと彼女と仲良くなれたはずだ。


「前からそんなだったっけ? ずっと閉じていたような気がすんだけど」


「ああ、確かに前はそうだった。けど今はちょっと逼迫ひっぱくしてるからな。――だから落ち着いたらお前にも話す」


 そこまで言って、今更ながらミツルはローリアとシエラに気になっていた質問をする。


「そういえば、そもそもどうやって俺にアリヤの目を埋め込んだんだ? あんな森の中じゃ何もできないだろ。器具も何も無いんだから」


「それも薬さ。お腹に使ったが半分と少し余ってね。そしたらセリア先生がミツルの眼窩がんかにアリヤの目を入れてその上からかけたんだ。すると驚き、すっかり治ったってわけさ」


 びっくり、というような仕草で話すローリアだが、それはこちらのするところだ。神童とはローリアのような子を言うのか、本当に万能過ぎる薬を作ってくれたものである。

 以前バッドグリム討伐戦で矢の傷を受けた際に、アリヤは切断された身も致命傷も治癒術では限界があると言っていたというのに、この可愛らしい少女の発明した万能薬はそれすら可能にしてしまうのだから。


「……本当に、ローリアには頭が上がらないな。抱き締めたくなる」


「いっ、いきなり何を言い出すんだこんな場所でキミは!? き、きき危機感が足らないんじゃないのかッ!?」


「冗談半分だろ。真に受けるその辺はシエラと変わらないよなお前」


「ど、どうしてそこで私が出てくるんですかミツルさん!」


「冗談半分ってこたぁ、半分は本当なんだな」


「ああ」


「茶化すなペトラ!」


 ミツルの何気ない言葉にそれぞれがやいのやいのと口を開く。


 ――こんな光景いつぶりだろうか。冗談を言って、言い合って、彼女達が無邪気に心から笑って。


 そもそもミツルは集団の中心になるような人間ではなかったはずだ。なのにいつからか、こうして少女達の間に立って苦手だった冗談まで口走っている。


 まだ無のマディラムしか使えないけれど、それでもこの約束された数少ない仲間が、向こうの世界では一人として見つけられなかった非常に明るく暖かな存在に思える。


 もし。もしもまた死神が迫って来たのなら。

 刺し違えてでも、この貧弱な身を肉の盾にしてでも今度こそは彼女達を守ると、談笑する中で一人密かに思いを強める。


 アリヤの時といい、これまで後悔ばかりをしてきた。だから今後はそうならないようにと何度となく決意を固めてきたはずなのに、いつも直面すると足がすくんでしまって結局何も出来ずじまいで終わっていた。

 本当に情けない男だ。確固たる決意よりも、恐怖のほうが勝ってしまうのだから――。


 けれど弱き強者となった今は、その恐怖心ですら遥か彼方へ消え去った。レィ・ドワールを殺した時だって、微塵たりとも畏怖をなさなかった。

 だから今までとは決定的にそこが違う。死の味を脳に揉み込み、無駄な感情を排斥し、僅かに残っていた慈悲心さえ吐き捨てた。


 ――もう、臆することなど何も無いのだと。



 〜 〜 〜 〜 〜



 ロエスティード学院も学校らしくないほどに広々としているとは思っていたものの、この城――スレイヤード城はそれ以上に壮大だった。


 皇帝の居る玉座の間は城の中でも随分と上にあるため、これでもかというくらいの階段を登らされた。

 鍛えられたミツルでさえ参るほどの段数を踏み、いっそエレベーターをローリアに開発してもらおうかと相談にさえ乗りかけたが、どうも似たような物はこの城にも存在するらしい。しかしそれを使用できるのは一定の位以上の者に限られており、皇帝も当然そこに含まれる。底辺の者は自分の足で登ってこいと、そう言われているようで、そういったところからでもこの国のヒエラルキーが目に見えるようで憎たらしいことこの上ない。


 ――そんな大階段も息を切らしながらやっとのことで四人登りきると、前方にこれまた巨人が通るのかとでもいうかのように無駄に横に長い廊下が広がっていた。

 ミツルとローリア、そしてシエラの三人はあきれに呆れ果て、残るぺトラスフィルはくだらない所に大金をかけている事に内心苛立っているらしかった。


 そしてその最奥に、細かい装飾と彫刻の施された大扉がどんと佇んでいた。


「――……嫌味か」


 思わず溢れ出た一言にぺトラスフィルも「悪趣味過ぎんだろ」と付け加える。


 ミツルはそれぞれ三人の顔を直視して全員が意を決したのを見てとると、


「入るぞ」


 そう言って取手の無い大きな扉を押し開けた。


 階段下で案内を終えた騎士の言うところでは、ここが皇帝の居る部屋――所謂いわゆる玉座の間のはずだ。


 実際誰の目から見ても、扉の向こう側はそう思わせるような景観をしていた。そしてその中に見知った姿が一人。ひと足先に来ていたセリアだ。


「――貴様ら何用だ! 無言でこの場に入るなどとは不届き者め!」


 大扉より内側へ一歩踏み入った所で、いきなり左右から槍を突きつけられた。反射的に止まってちらりと見てみると、憲兵が二人焦った様子で立ち塞がっている。


「双方得物を下げよ!!」


 ミツルとぺトラスフィルを除きローリアとシエラが両手を挙げて無抵抗の意志を伝えていると、だだっ広い部屋に図太く大きな声が響き渡った。その直後に槍を向けていた憲兵は素早く武器を引いて直立する。


「その者らの入城は耳に入れておるわ。余が差し許す。入るがいい」


 言われて、どこまでも落ち着きを見せるミツルは堂々と、その他の三人はどきまぎしながら後ろから付いてくる。

 ミツルは前方で立ちながら皇帝に背中を見せず首だけをこちらに向けているセリアの隣まで来ると、彼女と同じようにして直立する。その真横にぺトラスフィル、シエラ、ローリアの順で並んでいく。


 ミツルは顔を前に固定したまま目だけを周辺に巡らせる。立っている場所から七メートルほど離れた左右には、それぞれ十人ずつスレイヤード騎士団の騎士達が立っている。剣を鞘に納めた状態で床につき、柄頭の部分に両手を乗せていた。全員顔は凛々しく逞しく、自分がこの場にいることに自信を持って威風堂々としているようだ。


 ――視線を目前に戻すと、そこには非常に高そうな豪華な椅子に腰掛けている人物がいる。このリー・スレイヤード帝国で一番の権力者である皇帝だ。


 意外に思えたのは、想像していた体貌とのその違いだ。

 髭を長く生やしていかにも王様らしい年増な形相を想像していたのだが、それとはほど遠い。


 髭は少し顎に生えている程度で、顔にも年齢を思わせる皺はほとんど見られない。皇帝の隣に立っている家臣らしき人物のほうがずっと歳上のようだ。


 軽く見積もっても三十半ばくらいにしか見えない若人で、頭の上に乗っかっている王冠も悪趣味な椅子に比べて随分とシンプルなデザインをしている。冠というよりティアラと呼んだほうがしっくりくる、そんなすらりとした皇帝と同じように銀色の細々とした形をしていた。


(若いな……)


 ミツルが想像とかけ離れていたのに内心驚いていると、家臣がえー、と前置いて口を開く。


「――揃ったな。では定刻通り、始める事とする」


 そう言うと、セリアとローリア、シエラはひざまずいてこうべを垂れる。ミツルとぺトラスフィルは勝手がわからずおくれを取るものの、真似して片膝を地に着ける。


 家臣は皇帝に「お名前を」と耳打ちすると、


「余はリー・スレイヤード帝国皇帝代三十四代目、レフェイル・シュレーディング・トリニエラ・ヴァン・レメリオス・トルメリ・モルニアーノ・スレイニテッド・ル・ド・スレイヤードである。――まずは一行統括、名乗りでよ」


 アリヤの名前も長いとは思っていたがそれ以上にリー・スレイヤード帝国皇帝の名前は長く、その呪文のような長ったらしい名に顔を床に向けたままミツルは顔をしかめた。


 それぞれの語になんの意味が込められているのかは分からないが、知らされているものではリー・スレイヤード帝国のリーはこのメルヒムの世界で『広大』という意味があるらしい。つまり直訳すると【スレイヤード家の広大な国】となる。


 実際のところリー・スレイヤード帝国の領地は手が回らないほどに広く、そのほとんどが草原だが、それよりもこの皇帝が一度も噛むことなく言えたことに素直に拍手を送りたいと思えた。

 きっと数々の場面で名乗ってきて、もはや慣れているのだろう。


「はっ」


 ミツルは自分が名乗り出なければならないものかと危惧したが、隣のセリアがさっと立って迷いの無い返事をすると黙ったままひっそり溜まっていた息を吐き出す。


「リー・スレイヤード帝国在住、ロエスティード学院実技科教員兼、スレイヤード騎士団教導官兼、スレイヤード騎士特務隊所属、特務筆頭、セシリエ・アーカルディア=アーカツヴァイグであります」


 苗字は知らなかったがセリアも略名だったのか、とミツルは思うが、それよりも意識を向けられたのは明らかとなった彼女の肩書きだ。

 普通の教師でないことはこれまでの態度から察してはいたが、『スレイヤード騎士団教導官』と口にしたのは間違いない。加えて『特務隊筆頭』とも言った。


 つまり。


 セシリエ・アーカルディア=アーカツヴァイグを本名とする彼女は、スレイヤード騎士団を立派な騎士へと育てあげ、かつ特別な任務を請け負う部隊の隊長でもあるということ。


 むしろロエスティード学院実技科の教師なんてものは副業に近いだろう。

 スレイヤード騎士団は帝国の誇る軍事力だといわれている。ならばミツルの隣にいる彼女こそがこの国の武器であり地盤だと言っているに等しい。現状この場での最強は、紛うことなきセリアだ。


 セリアの自己紹介を聞いた皇帝は「ふむ」と一言、次いでセリアに問いただす。


「実技科教員であり騎士団教導官であると。そんな戦いに特化した者が、何故戦闘に直接加わらぬ特務の長なぞ拝命しているのか、疑問だな」


「教えを生業としている以上、戦闘を避けた戦闘というのも当然出来なくてはなりません。劣勢に立たない事は大前提ですが、仮にそうなった場合に有効なのは相手の不意をつくこと。隠密、暗殺、苦肉の計。戦闘を始める前に終わらせる。戦わずして勝つというのも、時として立派な戦闘です」


 そう言って国の長に対して特務隊の長は自論を展開する。


 両側に立つ騎士達は日頃世話になっているセリアの言葉を骨身にしみ渡らせるが、騎士でもないレフェイルは自分で問い掛けていながら興味なさげに別のことへと関心を向ける。


「……アーカツヴァイグ。はて、聞いた名だな」


「はい。私の曾祖父に当たるクラウディアス・ペールディオング・ブライアス・アーカルディア=アーカツヴァイグは、三十二代目、三十三代目皇帝と面識が御座います」


 疑問に顎を手で撫でていた皇帝は、セシリエもといセリアの淡々とした返答に一人納得する。


「なるほど、理解した。貴殿はロエスティード学院現学院長の曾孫ひまごであったか」


「はい」


「余がまだ幼い頃、少しではあるがマディラムの使い方を教授してもらった事がある。あの御仁ごじんにはなかなかどうして、関心を持っていかれる。――流石は前世紀及び今世紀最強のマディラム使いだ。それとも叡智の秀才と呼ぶべきかな?」


「……お褒めの言葉、痛み入ります。彼に聞かせれば、さぞよろこぶことでしょう」


 セリアは軽く頭を下げ続けたまま無難な返事でてきぱきと応じる。ほか四人はただ喋ること無く、ずっと足下の床を見つめているだけだ。


 皇帝は「良い良い」と含み笑いを浮かべていたが、やがてその笑みも上っ面だけのものだったと思い知らされる。


 皇帝レフェイルは直後に表情を戻して目をすっ、と細めるや、小さく口を開く。


「……して、そんな御方の孫ともあろう者が一体何をしでかしたのだ」


 先ほどのおおらかな声とは明らかに違う、重圧な、人の背中に岩でも乗せるかのような声質に場の空気が一変する。

 しかしそれでもセリアの落ち着きようは一切ぶれること無く、そんな押し潰さんとする皇帝の質問にも静穏に応えていく。


「はい。実は以前よりこの国から西に位置するスレイヤード平原、その場所にあるデキア洞窟内に魔人が住み着き通る人々を襲うといった事態が発生しておりましたので、騎士を十人ほど向かわせたのですが壊滅させられまして」


「騎士十人を……」


 そう呟いて皇帝は片眉を上げる。より正しく言うのであれば皇帝を含めた家臣、両側の騎士達も眉を寄せていた。


 そういった表情になるのも当然なはずだ。

 皇帝自身を現在守護している左右の二十に渡る者達こそは、今セリアが口にしたスレイヤード帝国の誇る騎士そのものだ。しかもこの場の半数がたった一体の魔人に殺られたというのだから、それを聞いて眉のひとつも動かさないでいることのほうがおかしい。


 皇帝は戦闘力の高さが強みの騎士に守られ、その騎士は皇帝を護衛できている己に絶対的な自信と誇りを抱いている。

 それがセリアの今の言葉で崩されたのだ。


「その第一発見者が隣の若者達です。内三人は私がロエスティード学院の実技科で教えている生徒でもあります。そしてこのミツルという名の青年に、実戦経験も踏まえてのバッドグリム討伐を任せた次第。討伐後、魔人レィ・ドワールと対面したのです」


「……続けよ」


「この者は千五百四十二回、ロエスティード学院公式決闘での勝者でもあります。相手は同じく実技科所属のクラトス家長男――セルムッド・クラトス」


 セリアの言葉の最後に出た名前を聞いた皇帝はいまいちぴんと来ない様子だったが、周りの騎士の間では通った名であるらしく、騎士達は口を慎んではいるものの一様に目を見開いていた。


 その反応に気付いた家臣は向かって左の騎士へと顔を向けると、


「今の名に覚えのある者、前に出よ」


 そう言って右にも視線を巡らししばし待つ。が、皆この場で名乗り出ることに躊躇いでもあるのか、動こうとする者はいない。


「一同の表情からして、知らぬ存ぜぬでは通らんぞ。揃いも揃って騎士とは名ばかり……。この場に歩み出る勇ましさのある者はおらんのか!」


 皇帝よりも遥かに年上の老人に等しい家臣だが、衰えを知らないのか、皇帝に負けず劣らずの猛々しい声で一喝する。


 すると左側の騎士の中から一人、一歩前へと進み出る者がいた。


「スレイヤード騎士団皇帝直属親衛隊隊長、ルベルト・ハーツヴェルトです」


 若さの残る凛々しい声と顔つき。目元はつり上がり気味で、細く柔らかそうな髪はかき上げられている。どこか妖艶さのある佇まいから、若い女性陣から人気のありそうな雰囲気だ。

 この場の騎士全員年齢は近いだろうが戦闘力はやはりそれぞれ違うのか、ルベルトと名乗る騎士が隊長として務めているらしい。


「ハーツヴェルト。何ゆえ直ぐに出なかった。理由を申せ」


 家臣は鋭い眼光で言うが、隊長は取り乱すこと無く口を開く。


「出ようと思ってはいたのですが、私以外にも名乗り出る騎士が複数いれば指名するのにお手間がかかると踏み、こうしてこの目を見澄ましていた次第です」


「だが誰も出なかったことで逆に手間がかかっているのを分かっておろうな?」


 家臣は頭の回転が早いのか、それとも単なる嫌味か、刺々しい口調でルベルトをおとしめる。


「申し訳ありません。以後、留意致します」


「……まあ良い」


 堂々と怯むことなく直立不動に家臣を見返す彼に、家臣は一度だけうむと頷いて問い直す。


「それで? セルムッド・クラトス。其奴は誰だ」


「はい。現在ロエスティード学院の実技科に属している青年で、火と水のマディラム、剣を駆使することを得意とする者です。ちまたではロエスティード学院最強とうたわれており、また、我々の間でもスレイヤード騎士団候補生として注目している人物です。そのセルムッド・クラトスを打ち破ったとセリアさ――セシリエ特務筆頭が仰られたので、一同少々驚愕しているので御座います」


「なるほど。――――ミツルとやら、おもてを上げよ」


 家臣に言われてミツルはセリアの真似をしつつ跪いてから初めて顔を上げて立つ。前のミツルであれば、ローリアとシエラ以上にびくびくして体中が大袈裟なほど震えていただろう。冷汗で全身は濡れ、歯音が鳴り止まず、足は立てないレベルにがくついて。しかし今のミツルはもはや別人だ。セリアのように、騎士隊長のように何慌てることなく冷静に行動する。


「黒髪黒眼とは稀有なものだな。何処の出身だ?」


 家臣はミツルの顔を凝視するように述べる。皇帝もまた、珍しいものでも見るかのように肩肘を豪奢な玉座の肘置きについて睨めつけている。


「…………記憶喪失なので、出身地は分かりません」


 この場での話をしたところで、アリヤのように信じてはくれまい。逆に尋問を受けるだろう。

 ならばここは下手に吐露などせず、大人しく最低限の常識と応答のみでくぐり抜けるのが妥当だ――と思ったが、家臣は用心深い性格なのかミツルの返答に満足せず、少しだけ口調を強めて再び開口する。


「皇帝の面前での軽率な虚偽の答弁は厳罰に値するぞ」


「虚偽だなんて滅相もない。事実ですよ。ある日草原で目覚めて戸惑っていたところを、この娘達の親友に助けてもらったんです」


 言いながら、ミツルは右手でローリア達を指し示す。


 嘘だと見抜かれないようにあえて家臣から目を逸らさず見返すミツル。しかし記憶喪失というのは嘘であっても、アリヤに助けてもらったのは紛れもない事実だ。嘘三割、真実七割。四捨五入すれば本当のことしか言っていないことになる。であるならば、この顔はポーカーフェイスなどしなくとも相手を騙せる。


 ――やがて数秒の間を置いて家臣に代わり皇帝がうむ、と唸り口を出す。


「記憶が曖昧な中、バッドグリム討伐ご苦労。……あだしごとはさておき、デキア洞窟内にて魔人レィ・ドワールと遭遇したとあったが、その魔物はどうした。余が目を通した書類にそいつの討伐依頼らしきものを見た気がするのだが」


「ええ確かにそのような依頼が行商より来ております」


 皇帝の疑念をいち早く察して、家臣は小さく皇帝にそう耳打ちする。


「その件については私の口から」


 セリアはちらりとミツルやローリア達を一瞥すると、彼女なりに気を遣ってくれているのか、軽く挙手した。


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