第二幕・二十七『継がれゆく非道 -ツガレユクヒドウ-』



 〜 〜 〜 〜 〜



 セリアの言った通りほかの馬と比べて能力が非常に優れているらしく、一角を生やす馬はミツルら一行を乗せた荷車を楽々と引きながら進んでいた。

 それでもまだ余裕があるようで、少し早いくらいなのではと思うほどに速度も出ていた。


 これなら確かに先にったミツルにも追いつけただろう。そのおかげで瀕死で倒れていたミツルが助かったと言っても過言ではない。


 ――恐怖の森を出て既に数時間、尻や腰を痛めるわけにもいかず時々何度か休憩を挟んだことにより日はとっくに沈み、絶えず聞こえていたローリアとシエラの雑談もいつの間にやら止んでいた。


 四人の無言な静寂の中で、今は馬のひづめが地面を蹴る音と荷車のからからと回る軽い木の車輪の音だけが大きく真夜中の暗がりを鳴らしていた。


 自分以外のローリアとシエラ、そしてセリアは何を考えているのだろうと肘をついて外の景色を眺めていたミツルが彼女たちへと顔を向けると、この世界で月の役割を成している空に見える明るい星の光が、荷車の中に優しく差し込んできていた。

 青白い光を頼りに薄暗い前方向を見ると、考えるどころか、少女二人は互いに寄りかかる形で寝ていた。

 疲弊しきった身体に馬車の絶妙な振動が揺りかごのように伝わり、深い寝息を立てて仲良く頭をくっつけている。


 さっきまで二人で談笑してなかったかとうつろな苦笑を一人浮かべていると、不意に馬の速度が緩んだ気がして、ミツルは荷車から外に顔を覗かせる。


「――もうすぐだ」


 ミツルの気配を察知し、前を向いたままの姿勢でセリアは一言そう声を発した。


 見ると、確かに辺りは暗いが向かっている方向の地平線からはぼんやりと明るみが見える。

 今は軽い傾斜のため国はまだ見えないが、登りきって平地になれば大きな帝国の城壁が姿を現すだろう。

 そう思ってミツルは眠っている二人を起こそうとするが、疲れきっているだろうしもう少しこのままにしておいてやろうとも思い、開きかけた口をそっと閉じた。



 〜 〜 〜 〜 〜



 城門前まで帰ってくると開いた門の中の様子もよく見え、昼間の喧騒とは打って変わってディープな雰囲気が漂っていた。

 いつものごった返した人混みこそ無いにすれ、街には酒を片手に踊る呑気な若人や客引きの勧誘、端ではおおっぴらにできない代物を売買する者達などで活気立っていた。


 ミツル自身悪党狩りに明け暮れていた頃は、俗に言う闇市場でそれはもう様々な品物を揃えていたものだ。割りと愛用しているコートの中の何本もの折りたたみ式の小型ナイフ、身体強化をしてくれる雷のマディラムを応用した指輪、レィ・ドワール戦で使用した光る棒や諸刃もろはの細身の剣。


 そこでは武器や道具ばかりでなく、情報をも収集していた。当然裏で動く者達は皆態度や口も悪く、そのためひとつひとつの言動次第で情報や物価は良いものにも悪いものにもなった。


 アリヤ達とずっと日々を過ごしていればまず関わることの無いそんな悪趣味な場所も、今ではミツルにとっては都合のいい場所になっている。


 ――そして帰路したミツル達一行のほうはと言うと、街とは真逆に殺気立っていた。


 ローリアとシエラもとうに起き、荷車から降りてミツルをかばうように前に立つ。


「どいてくれ。出るときはみすみす見逃したが、また入るとあっては見過ごすわけにもいかない」


「そんな……。どうしてミツルさんだけなんですか!?」


 一人は剣を、もう一人は槍を携えた兵士二人は、門を少し越えた所で仁王立ちになって道をふさぐ。


 剣を持った番兵は、三十代後半頃の少し強面の無精髭を生やした男だ。鍛え上げられた腕は木の幹のように太く逞しく、携えている剣が小さく見えてしまうほどだ。いっそ大剣を持ったほうが似つかわしいと思うが、それは本人の好みによるものだからこちらからは何も言えまい。


 対してもう一人の槍の番兵は見た限りだとまだ若く、ミツルよりも少し上である二十代半ばだと思われる。剣の門兵とは違って鎧の下に長袖のぴっちりとした黒い生地の服を着ているが、それでも身体を鍛えていることに変わりはなく、服の上からでもわかる筋肉が一国の兵士であるのを物語っていた。


 ――驚愕に顔を歪めるシエラにそんな門兵は再び大きく口を開くと、


「さっきも言っただろう。そいつはこの国を出る際、我々に許可を得ず上空から抜けたんだ。リー・スレイヤード帝国では門兵の許可無くして外へ出ることは禁じられている。この国に住んでいる以上、君だって知っているだろう? それを許してしまえば、盗人ぬすっとや殺人鬼といった犯罪者が抜け道として出て行ってしまうんだよ」


「それらを防ぐために、城壁の上空範囲からは出られないようマディラムで防護網が張り巡らされている。目には見えないがな。――だというのにそこの黒づくめはどうやってか、その防護網に引っかかること無く国外へと出たんだ」


「で、でも……」


 小柄なシエラを恐がらせないよう、兵士たちはなるべく声を荒らげずに優しい声音でシエラに話す。


 兵士達から聞くところによれば、このリー・スレイヤード帝国の城壁より内側は空全体がマディラムでできた防護網で覆われており、上空からの亡命や侵入が簡単にはできないようになっているらしい。ローリア達の通うロエスティード学院の現学院長が半世紀以上前に前王の頼みで張った魔法だそうだが、それを難なく突破した当の本人であるミツル自身、国を抜けた時は特に何も感じなかったのだ。そもそもそんなものが上空にあったことすら知らなかったまである。


 こうした事実だけを聞けば他人からは羨ましがられそうなものだが、ミツルにしてみれば恐怖でしかない。たまたま地雷の埋まった地面を踏み歩かなかったようなものだ。もしもまだ光と闇のマディラムが使えていたなら、今頃ミツルは牢屋の中だったろう。


「ミツルはこの国に来てまだ浅いんだ。知らなかったんだよ。だから今回だけ許してくれないか。ミツルだって好きでやったんじゃない。これにりてもう二度としないしさせないよ」


 ローリアは必死に弁解しながら門兵に頼みを乞う。

 しかし、


「こう言っちゃ何だが、一人を『特別に許す』なんて言ってしまったら、他の者達も同じように言い寄って来てしまうからね。それに何より我々自身もなさけをかけるようになってしまう。悪気が無いのは伝わってるよ。でもそれとこれとは話が別だ。決まりは決まり。勘弁してくれ」


「「…………」」


 ミツルを守りたい気持ちでローリアとシエラは胸がいっぱいだ。だが、門兵の言い分も決して間違ってはいない。そんなジレンマと番兵の話術に押されて二人の少女は黙ってしまう。


 特別扱いはできない。ならば言うまでもなくセリアの顔を立てることもかなわないだろう。

 セリアが兵士よりも上位の存在であるのは前々から勘づいていた。それはこの門兵の態度から見ても誰だってわかるはずだ。

 彼女が一体どういった身分なのか明らかにはなっていないが、それを上手く利用してどうにかくぐり抜けようと思っていたミツルの思惑も、今の門兵の言葉で先手をうたれた。


「……わかった。では王城へ行って判断してもらおう。私とローリアとシエラの三人で、ミツルの身の潔白を証明してやる」


「……お、王城、ですか?」


 セリアの不意な言葉に門兵は少しばかり戸惑いを含めた声で言い淀む。


「私の立場上逃げるわけにもいかんだろう。ならばここはあえて上位の者へと、我々のほうから堂々と向かうのが吉と思うが。――それにどちらにせよ、我々一行はレィ・ドワール討伐の報告をするために城へと赴かなければならんからな」


「レィ・ドワール討伐!? ついにあの目玉狩りを仕留めたのですかっ!?」


「そうだ」


 目玉狩りとは、また物騒な呼び名だ。


 剣と槍をミツルに向けて構えていた門兵二人は、セリアのその言葉を聞いた途端に武器を下ろした。

 ミツルは抗う意思が無いことを表すために両手を上げた姿勢のまま、そっとセリアの背後に近付き小さく耳打ちする。


「いいのか? こいつらに話して。レィ・ドワール討伐は極秘とか言ってなかったか」


「この者達は知っているから何も問題は無い。門兵、兵士と銘打ってはいるが、実際は騎士の中でもよりすぐりの熟練者だ。でなければ大国の門の守りなど務まるまいよ。彼らが一般兵の装備を身に付けているのも、敵を欺くための計らいだ」


 なるほど。言うなれば目の前の兵士二人は戦闘のエキスパートというわけだ。その実力がどれほどのものなのか定かではないが、騎士の中のさらに上位となると、かのセルムッド・クラトスなど遠く及ばないだろう。彼でさえ十分過ぎるほどの強さを持っているのだから、それに苦戦していたミツルが抵抗しなくて正解だったのは確かなようだ。


「そうとなれば話も変わってきますね。ではこちらの委任状をお渡しします。スレイヤード城の門を通ってすぐの所で警護しているいずれかの騎士にでも渡せば、中へと通してくれることでしょう。――まあ、貴方の場合は必要無いかもしれませんが。一応ということで」


 そう言って門兵の一人が薄茶色の上質感のある羊皮紙を紐で巻いてセリアに手渡す。セリアはそれを受け取ると「了解だ」と一言、次いで、


「私からもひとつ頼みがある」


「はい」


「なんでしょうか」


 セリアに向かってしっかりと受け答えて、門兵は交互に返事をする。


「レィ・ドワールを討伐したことは内密にしてほしい。それは他の兵士にも他言無用だ」


 門兵二人はそれを聞いて顔を見合わせると、剣を携えた方の門兵が再度口を開く。


「もちろん構いませんが、理由を聞いても?」


「なに、簡単なことだ。凶悪な魔人がいなくなったという噂が市民達や他国にまで広がれば、行商人などが近道として通るようになってしまう。何せこれまでは避けるように周囲を大きく迂回してたのだからな。それを考えた盗賊がデキア洞窟に住みついて通る者を襲うようにもなってしまうだろう?」


「なるほど……。確かにそうですね」


「加えてデキア洞窟は昼間でも暗い上に真っ直ぐな一本道だ。大きな馬車等が入り込めば、自衛虚しく挟み撃ちに遭う可能性が高い」


 門兵は顎に手をあてながら頷くと「わかりました」と一言置いて続ける。


「今の話は守秘義務として内密にします。どうかご安心を」


「頼んだ」


 セリアは一言短く返事をすると、やり取りを後ろで聞いていた三人へと振り向く。


「――聞いての通りだ。これから城へと向かうが、その前に何か急用などは無いか? 悪いが急ぎだ。旅塵を落とす時間までは取れそうもないが」


「あ、それなら――」


 それを聞いたローリアは、軽く手を挙げながら話す。


「ぺトラスフィルを一度迎えに行きたいです。ボクの家で待たせているので……」


「ならついでだ。ローリアの家自体、城のすぐ隣だろ?」


 ミツルのぶっきらぼうな口調を何ら気にすること無く、ローリアは「ああ」と短く受け答える。


「そういう事だから、あんたは先に城へ入っててくれ。数分もしないうちに俺らも行くから」


「良かろう。ついでに馬車も返しておく」


 敬語も無くなり、あんた呼ばわりするようになったミツルをセリアは委細いさい構わず流麗に流す。

 琥珀色の眼差しからは真意が読み取れず、常に冷ややかな表情を貫くその端正な顔立ちに、ミツルも仏頂面で素っ気なく対応する。


「――……この国は昔からああなのか?」


「何がだ」


 先ほど通った大きな門とそれを守る門兵に振り返りながら不意にそんなことを口に出すミツルを横目で見つつ、セリアは最低限の返事で返す。


 ミツルは以前聞いたアリヤの言葉を探すように上を向きながら、


「『来る者拒まず、れど去る者認めざらば逃さず』が信条のこの国だよ。外来種を袋の鼠にでもしたいのか?」


「……ああ。たとえ敵や魔物が入り込もうとも、袋とじにしてその上から叩きのめせばいい。そんな考えのもとだろう」


「奴隷制度といい、今の王様とやらは随分と性悪なようだな」


 ミツルの王に対する憮然ぶぜんとした態度をセリアは押しとどめるどころか共感しているようで、城のある方角を雄々しい双眸で見据えながら呟く。


「あるいはひどく臆病なのやもしれんな。……とは言え、王の性格ひとつの理由で戦争になる可能性も大いに拭い去れん。少し警戒しておく必要がありそうだ」


「どういうことだ?」


 いつになく真剣な面持ちで城を眺めるセリアにミツルは微かに顔をしかめる。


 戦争という言葉の時点でセリアの話が壮大なものだと分かってはいるものの、メルヒムの世界やこの国の歴史を全くと言っていいほど知らないミツルには事の重大さがあまり理解できないでいた。

 それをミツルの顔を見て察したのか、セリアはゆっくりと歩き出しながら語り始める。


「我々の今いるリー・スレイヤード帝国が、世界樹オルメデスよりも北の国であるトルマキヤ公国と対立していることは知っているな?」


「ああ」


「ここ数十年冷戦状態ではあるが、その対立の発端となったのは、八代前のリー・スレイヤード帝国皇帝の始動させた『自由過ぎる統治』が原因だと、文献では記録されている」


「自由過ぎる統治……?」


 復唱するミツルに頷きながらセリアは続ける。


「当時の皇帝の名前までは覚えていないが。毎日を肉や酒で国全体を満たし、かつての一部の国民からは崇拝すらされていた。……だがそんな街を良く思わないでいる者もいた。誰だかわかるか?」


「…………いや」


 石畳の地面を見下ろして少しばかり考えてみるものの、潤った国を忌々しく思う者など浮かばず、ミツルは降参とばかりにセリアを見返す。

 セリアはミツルが思索に耽っている間に空を仰いでいたが、やがてミツルが返すと視線を戻す。そして、


「子供だよ」


 そっと息を吐くようにして、夜の街中で答えを出した。


「…………」


 確かに大人からすれば、毎日肉をかじり酒を浴びれるというのはお祭りにも等しい。国中で騒いではしゃいで喚いて、さぞかし嬉しくて楽しい事だろう。

 けれど子供はそんな良さなど微塵もわからない。大の大人が毎日のように恥ずかしげも無く叫んで吐いて飲んだくれているのを隅っこで見て、自分もああなりたいとは到底思えないだろう。そしてそれが親ともなれば、愕然とするほか無い。


「子供達はもっと健全な街を夢見て、その矮小な力で結託して謀反むほんを起こした。だが所詮は子供。対抗などできるはずもなく、ただ特有の豊富な感情だけを最後まで顔に滲ませたまま皇帝の前に突き出された」


「…………」


「その憤怒をあらわにした子供らしからぬ顔と、子供達の裏で自らが愚王と毒突かれているのを知って逆上したのだろう。八代前の皇帝はその自由奔放で無責任な性格から、罰として子供達の服と人権を剥ぎ、強制的に奴隷として貴族へと売り飛ばした。それが奴隷制度の原型だ」


 真っ当な常識人であった子供達を想像して、ミツルは同じ大人として当時の今は亡き王に殺意を抱く。


「親はどうしたんだよ」


「親とて市民だ。粗野な王に逆らえようはずも無い」


 なんということか。幼子が最後に助けを求めるべき両親にまで見捨てられたとあっては、思考力がまだまだ培われていない子らはもはや諦めるしか道は残されていなかっただろうに。

 己の全力が無力だと知り、頼れる者が誰もいないと絶望し、服は布切れに、食べ物は生ごみへと化した。

 きっと中にはそんな状況に陥っても諦めない勇敢な子もいただろう。だが現実は信念だけではまかり通らない。それを僅かな歳で感じて諦めている子供に、その勇ましさもかき消されたのだ。


「……屑だな」


「ああ、屑だ。だが貴族の中の何名かは王の行いに不満を持ち、奴隷となった子供を連れて抗弁したそうだ。それでますます王は激情に駆られ、奴隷共々抗議してきた貴族達を国外追放しようとした」


 ミツルはやり過ぎだろうと口を挟みかけたが、古人というのは得てして突拍子もない者が多いものだと思い黙って話の続きを促した。


「話を耳に入れた当時の元老院らは、多額の資金提供源である貴族達を失うのは今後に影響を及ぼすことを見越して流石に身勝手が過ぎる王に口を揃えて諮問しもんしたが、それも意味をなさず終い。無論、貴族達はそれを承諾、自ら全財産を持ってこの国を出て行った」


「そしてその貴族達がトルマキヤ公国を建国した、と」


「そうだ。貴族達の中で一番爵位の高かった者が王の座に就き、当然現在に至るまでトルマキヤ公国では奴隷制度は認められていない。さらにリー・スレイヤード帝国が王の判断で全てが決まる体制なのに対し、トルマキヤ公国は法律に準じている」


 セリアの話を聞いてミツルは一度自分の中で整理する。


 この国――リー・スレイヤード帝国は犯罪者やそれらに類するものは総じて王自らが判断し、命令を下すいわゆる絶対君主制ないし絶対王政だ。

 それに対してトルマキヤ公国は『国王は君臨すれども統治せず』の方針のもと、法で物事の善し悪しを裁く立憲君主制に近しいものを取り組んでいる。

 王が真っ当でもっと信頼性が高ければ変わるかもしれないが、現状どちらの国が仁徳的かなど一目瞭然だろう。


「そしてそんな血筋を持って育まれてきたこれまでの王もまた、それを常識だと教え込まれ愚王と化している。だから未だにリー・スレイヤード帝国では奴隷制度は失くなってはいない」


 ひと通り語り終わって一息つくセリアにミツルは、


「八代前ってことは、もう数百年も前から続いてるんだろ? 奴隷っていうのはその都度集めたりしてるのか?」


 そんなミツルの素朴な疑問にセリアはわずかな間をあけるが、すぐに再び口を開ける。


「そこがこの国の醜悪な部分だ。確かに中にはさらわれてきた者もいるだろう。……しかしな。奴隷の大半というのは、奴隷自身が産んできたものなんだよ。その意味は分かるだろう?」


「奴隷は更なる奴隷を生む道具でしかないってか。……屑にも劣る愚王だな」


 酷な現実を聞かされて、ミツルはたまらず汚く暴言を口走ってしまう。


 奴隷自らが子を産んできた。それはつまり言い換えれば雇い主の玩具にされたと、そういうことだろう。

 多くは雑用として雇われると以前ミツルはぺトラスフィルから聞いたが、中には当然が目的で雇う化け物じみた愚か者もいる。そして抗うことすら許されず、買われれば嫌々ついて行かなければならなくなるのだ。


 子が親になることはできない。身体的にも倫理的にも考えて。だから相応の年齢の者が対象となってきたのだろう。

 事実ぺトラスフィルは顔見知りの奴隷が襲われているのをその目で見たのだ。それもまだ、年端もいかぬ少女を。


 ぺトラスフィルが男のふりをするのも無理はない。ぺトラスフィルは幼いながら、今までの人生をその尋常ではない世界で費やしてきたのだ。セリアは大半の奴隷は奴隷によって産み落とされたと言った。ならば言うまでもなくぺトラスフィルはその子供の一人だろう。

 この世に生まれた瞬間からどん底の未来が確定していただなんて、並大抵の人間からすれば生き地獄でしかない。


 どこの世界でも底辺の住民は苦渋の毎日、人の上に立つ住民は甘い汁を啜る日々を過ごすのが常なようだ。


「――先王に教え込まれる時に奴隷制度の問題性に疑問を感じない時点で人格は破綻しているな。一度、いや、二度三度泥水を無理矢理喉に流し込んでやったほうが良心的ってもんだろ」


「それが出来れば誰も苦労などするまいよ」


「――着いたぞみんな」


 喋っていたミツルとセリアの前を先導して歩いていたローリアが口を開きながら振り向く。


 ローリアの家から歩いて数分のすぐ隣には、彼女の家の数十倍もの大きさのある城が佇んでいる。


 ――この時間帯だ。ぺトラスフィルが寝ているかもしれないことを鑑み、三人はなるべく静かにローリアの家へと向かった。



 〜 〜 〜 〜 〜



 スレイヤード城とローリア宅はまさに目と鼻の先の距離にあるため、途中まではセリアも同じ道を歩いていた。

 夜も遅いためにほとんどの家が暗がりに紛れ、見えてきたローリアの家もまたその仲間に入っていた。


 ローリアの家の前まで来ると、セリアは歩みを止めずに「後でな」と短く言ってから去って行った。


 その様子を眺めながらローリアが玄関のドアを優しく開けると家の中は街灯のある外よりも暗く、せいぜい足元が見える程度だった。


「照明のけ方を知らなかったのか」


 夜間というのもあって、小声でそう言いながらローリアは入ってすぐの傍らの壁にあるコルクのような出っ張りを回す。


 部屋の中央天井や他数箇所に据え付けられたガラス製の球体がほんのりと淡い光を放って輝きはじめ、一人暮らしの少女の家内を和やかに彩る。


 リビングとなる部屋一帯を見渡すと、つい二日ほど前に見た光景がミツルの視界に飛び込む。

 窓際にある長方形の卓上に乱雑に置かれた様々な図面や論文。リビングからでも見えるキッチンにはローリアの愛用している使い古されたティーポット。ミツルとローリアが対面して座していた若草色のソファー。その間に挟まれた所にある円形の机の上には、使われていないであろうミツルの置いて行った硬貨の入った皮袋。


 ミツルが去ってから何もかもが変わってはおらず、ローリアとシエラが出ていった後に触られた形跡も無かった。

 そしてひんやりと冷たい床には、心理的に自身を守るかのように膝をかかえ小さく丸まって寝息をたてる一人の人物。


「ぺ、ぺトラちゃん!?」


「――ッ、んん…………んだよ」


 点灯した部屋の明かりと自分を呼ぶシエラの声に、ぺトラスフィルは目を擦りながら寝惚け眼で上体を起こす。


「なんだって床で寝てるのさ……?」


「そうだよ。寝る場所なんてそこら中に……、ほら、毛布だってあるのに!」


 シエラはローリアの言葉に続いて右手でソファーとベッドを交互に指差し、左手で毛布を持って見せる。


 のそりと起き上がったぺトラスフィルは半開きの両の目でそれら柔く暖かそうな物を見ると、


「……あー。勝手に使ったら怒られるかなって思ったから……」


 冷えた体を一度身震いさせてそう呟いた。


「怒らないよ!」


「怒ってんじゃねーか」


「こ、これはそういうので怒ってるんじゃなくて……。――と、とにかく! 私もローリアもそんな事で怒ったりしないから、ちゃんとした場所で寝ること。ね?」


「わーったよ……」


 寝癖で乱れた濃い紫色の髪をがしがしと掻きながら、ぺトラスフィルはふあー、と欠伸をして生返事をする。


 シエラとぺトラスフィルのやり取りを端で見ていたミツルは、後ろからシエラの肩をぽんと軽く叩いて耳もとで囁く。


「ぺトラは今まであれが普通だったんだ。あまり攻めてやるな。これから俺やお前達で細かくゆっくり教えてやればいい」


「そう……ですね」


 ミツルの言葉にシエラはようやく肩の力を抜き、苦笑混じりにぺトラスフィルを見つめる。


 その様子を目前で静かに見ていたぺトラスフィルがミツルの姿を捉えると、あからさまにこわばっていた顔の筋肉を緩ませる――ものの、冷静さを欠かないよう一度軽く息を吸って自身を落ち着かせる。


「兄貴」


 立ち上がってそっと一言発し、ミツルを見つめるぺトラスフィル。ミツルはそんなぺトラスフィルの想いを汲み取り「ああ」と言葉少なに応じる。


「兄貴ならきっと戻ると思ってたよ」


「きっとじゃなく絶対だ」


 表情こそ変わっていないが自信ありげにそう言うミツルに、ローリアは腰に手を当てながらはぁ、とため息混じりにぼやく。


「どうだかな。一人でやっつけようだなんて自殺行為だ」


「死ぬ気なんて無かったさ。憎らしい相手になんざ殺されてたまるか」


 ミツルの声色に少し軽やかさが感じられて、ぺトラスフィルは不思議な面持ちで、


「なんかいいことあった?」


 そうミツルに語りかける。


「……別に何も」


「ミツルはね、ボクとシエラとの親睦がより深まったのさ」


 素っ気なく言い逃れようとするミツルの代わりに、ローリアは悪戯っぽくはにかみながら答える。


「妙な言い方すんなよ。お前らだけは信頼してやるってだけで、その他全人類は変わらず虫唾が走るほど大っ嫌いだ」


「それだけで大進歩だよ。キミがボク達を認めてくれることにこそ意義があるんだ」


「……分かったからもう行くぞ」


 にこにこと嬉しそうに微笑むローリアとシエラをうとましく思いつつ、ミツルはそっぽを向きながら話題を変える。


「行くって、どこへ?」


 ローリア宅に帰ってきて早々とまた出ようとするミツルにぺトラスフィルが疑問を投げると、横に立つシエラは先ほど少し強く言ってしまった分、声に柔らかさを含めながら答える。


「スレイヤード城だよ。ちょっと面倒なことになっちゃって……。他にも討伐の報告とかしなきゃだめなんだ。ここへはぺトラちゃんを迎えに来ただけだから。ご飯作ってあげるって約束だけど、もう少し待てる?」


「それは全然構わねーけどよ。――城ってことは、王様とやらに会えんのか?」


 簡略化されたシエラの話を聞いて、ぺトラスフィルは面倒事の内容よりも真っ先に別のことを聞き出す。シエラは食い気味なぺトラスフィルの設問に少々戸惑いながらも、しっかりと返す。


「私達も初めてだからセリア先生に聞いてみないと分からないけど……。どうして?」


「オレや他の奴らを奴隷としてこき使わせておきながら、オレはそいつの顔すら拝んだことねぇからさ。どんな面下げて生きてんのか、この目で見てみたいんだよ」


 ぺトラスフィルは奴隷だったために、王の顔を知らない。リー・スレイヤード帝国皇帝本人だってそうだ。小汚い奴隷など、わざわざ足を運んで見に来るわけが無い。王にとって奴隷は人ではなく物でしかないのだから。


「見る分には大丈夫だとは思うが……。くれぐれも変な行動は慎んでくれよ?」


 ぺトラスフィルの目の奥にある忌まわしさを見透かしたローリアは注意深く前もって警告する。


「――行くぞ」


 そう言ってミツルが家を出ると、残る三人も後へと続く。最後に出るローリアが再びコルクのような突起を今度は反時計回りにひねると、やわい光を散らしていた球体からはふっと明かりが消えた。暖気溢れるローリアの家は転じて一気に暗がりに変わり果て、無人の空間はどこか物淋しさを醸し出しているような、そんな雰囲気へと姿を変えていった。


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