幕間・二十一(裏)『あの日、あの場所で -アノヒ、アノバショデ-』

 第二幕・二十一での彼女達が再度洞窟へ向かう前の裏話となっています。少女達がどんな思いを胸にミツルの救出へ向かったのか、その心境を綴ったものです。

 〜 〜 〜 〜 〜



 ――――ミツルがローリアの家を出て数分後のこと。


 三人横並びに沈黙が支配していた部屋の中で、栗色の髪をした少女がそっと口を開く。


「ペトラちゃん。――お金の使い方って、知ってるよね?」


「え、ん、まあ……」


 突如としたシエラの不意な問いかけに、ぺトラスフィルは口ごもりながらも返事をする。


 じっと玄関を見据えていたシエラの顔はその一言のあとぺトラスフィルのほうへ向く。シエラの表情には笑みが見えるが、それ以上にどこか意を決したような険しさも感じられる。


「ミツルさんも費用に使ってって言ってたし、そのお金で自分の好きな食べ物とか買っていいよ。ローリアとお留守番お願いね」


「え……」


 ぺトラスフィルは戸惑いに軽く声を漏らす。

 好きな物と言われても、ぺトラスフィルは自身の好きな食べ物を知らないのだ。

 いつも食べていたのは冷めきった残飯で、むしろ食べるというよりも残飯の後処理と呼んだほうが正しいまである。

 望まれて買ってもらった物など一度として無く、だから好きな食べ物を買っていいと言われたところで何を買っていいのかなんてのは分からない。


 だがぺトラスフィルはそんなことよりもシエラの急な発言に顔をしかめていた。


 思わず素頓狂すっとんきょうな顔をするぺトラスフィルを横に、一人で話を進め始めるシエラ。そんな彼女にローリアは「ちょっと待ってくれ」と少し取り乱した様子で、


「キミは何を言っているんだ。そして何をしようとしている」


 そう言うものの、ローリアにはシエラの言わんとすることが分かってはいた。けれどそれを一人で始めようとしていることに、やはり問わずにいられない。


「何って……、ミツルさんを追いかけるんだよ」


「シエラ一人でどうこうできる問題じゃないだろう。あの場所で何があったか憶えてないのか? 何がいるのか忘れたのか? ……殺されたんだぞ、ボク達の親友が……!」


「わかってる」


「だったらどうしてッ?」


 既に諦めて落胆しているローリアの沈痛な疑問に、シエラははにかんで肩をすくめる。


「どうして……だろうね。でも、ローリアも見たでしょ? ミツルさんの、あの背中。とても、とても重いものを背負ってるみたいだった。――なら、私だけでも少しは持ってあげないとって、そう思ったんだ」


 そう言ってシエラはもう一度玄関を見つめ直す。今この瞬間に飛び出して追いかければまだ間に合うはずだ。なのに、三人の少女とミツルを切り離すように隔てる扉はとてつもなく大きな壁にしか思えなかった。


「たとえ邪魔だと思われても、それでも今のミツルさんには肩を貸してくれる誰かが必要なんだよ。きっと」


 自責や悲憤、後悔や陳謝といった彼女達の思いも含んで、すべて一人で背負い込んでいるミツル。

 ミツル自身は今や復讐心しか残ってはいないが、そうするとなおのことシエラは助けねばならない。


 肩を貸して、重荷を分け合って、そうしなければ自分の悲哀を背負わせてしまっているのが非常に面目ない。


「口で言うのは簡単だよ。でも、けどあのスレイヤード騎士が殺られてたんだ。ボク達でさえ一人の犠牲を出しながらどうにか逃げるのがやっとだったのに、キミ一人じゃ確実に……」


 そこまで言ってローリアは自分の口を無理矢理に閉ざす。

 その先は言わせないでくれと、ローリアは苦渋な顔つきでシエラを引き止めようとする。


 アリヤに続いてシエラまでもがいなくなってしまったら、いよいよローリアは立ち直れないだろう。アリヤの死に対する衝撃もまだ受け止めきれていないのだ。その矢先にまたシエラにそんなことを口走られては精神がもたない。


「無理はしないよ」


「キミのそれは無理なんていうものじゃない。無茶だと言うんだ」


「でも、どちらにせよミツルさんのところへは行かないと。でないと……、じゃないとあの人の目、あれは死ぬことを受け入れてる目だったよ。ローリアだってそんなの嫌でしょ?」


「シエラ……」


 引っ込み思案で極度の人見知りなはずのシエラがここまで直向ひたむきに誰かのために行動に移そうとしているのは、幼い頃からの馴染みであるローリアも初めて見た。


 シエラ・ルレスタは、言わば絵本に出てくるような順風満帆な家庭に生まれ育った女の子だ。金持ちとは程遠いけれど、温厚な両親に育てられ、時に手伝ったりして平和な生活を堪能してきた。

 しかしそういった環境で育まれたからこそ、脆弱で臆病な人格が出来上がってしまったといってもいい。


 動物はおろか虫一匹殺めることさえできず、花を摘む際、茎一本折るのに何度も躊躇う。

 世の中が平和に満ちればどれほど幸福だろうと世間は口ずさむが、平和や優しさも度が過ぎると人間という生き物は斯く弱者になり下がるのだ。


 それでも、大事な人のためならば他者を踏みにじることをいとわない者もいる。

 自身の弱さと葛藤し、苦悩し、受け入れ、その羽虫のように弱々しい力で何ができるかと。


 そして何故、羽虫のように弱々しい力で人を守れるのか――。


「人の思いというのは、不思議といつまでも分析できないものだな……」


「分析できないからこそ心を動かされて、情を揺さぶられて人を強くしてくれるものなんじゃないの?」


 物柔らかに返答するシエラに、押し負けたローリアも「そうだな」と相槌を打ちながら苦笑いを浮かべる。


 目を閉じて大きく深呼吸をし、ローリアは両手を持ち上げると自身の顔を真横からぱちんと叩いた。


「わかった。シエラ、キミの頑固さには負けたよ。――なに、ボクにだってまだ力になれることはあるさ」


 一度諦め、落胆したその顔には、再び生気の戻った可愛らしい童顔があった。


 ――机の上に置かれた底に少しだけ茶葉の残っているティーカップを手に持ち、ローリアは冷めたポットに再度火をかける。


「――とは言っても、現実はそう単純じゃない。やる気だけで無為無策にやって来ただなんて、ミツルが納得するはずが無いだろう。何か打開策はあるのかい?」


「うっ……」


 ローリアに痛いところを突かれ、シエラは誤魔化しにわざとらしく短く唸りを入れる。それを見て何も無いことを察したローリアは困り顔に苦笑いした。


 国が誇り、国を守るスレイヤード騎士団が束になっても勝てない狂人、レィ・ドワール。

 そもそもリー・スレイヤード帝国の騎士というのは、一人一人が憲兵数人を相手に引けを取らない強さを持っている。この国が他国と比較して領土の大半を占領できているのも、スレイヤード騎士団の戦闘力と圧倒的なまでの数が実現させた理由のひとつとも言える。

 ロエスティード学院最強の名を持つセルムッド・クラトスですら、騎士の卵と言われているほどなのだ。


 当然シエラもローリアも、騎士を凌駕するほどの戦闘力も、暗く狭い洞窟内で思うままに動けるほどの戦闘技術も持ち合わせてなどいない。

 それを全部持っている人間がいたのなら、ここまで思い悩む必要もなかろう。


 今となっては自分たちよりあとに戦い方を身につけたミツルのほうが、遥かに強くなってしまっている。セルムッド・クラトスに勝利し、幻の八つ目のマディラムを宿し、あれからさらに実戦を積み重ねているそんなマディラム面において最強の彼でさえも、独りでってしまったことに二人は剣呑な思いを払拭しきれないのだ。


 圧倒的な力の差を前にしばらく二人黙考していると、沸騰した湯の入ったポットがうるさく音を立て始めた。

 ローリアが火を消したと同時に早々と音を小さくしていくポット。やがて無音の部屋へと戻ると、


「…………そういやぁ、ミツルの兄貴は待ってられるかって怒ってたけど、学院の教師とやらは何してるんだろうな」


 ふと、ぺトラスフィルが口を開いてそんなことを声に出した。


 その一言を聞いたローリアは一呼吸の間をあけると思い出したように目を見開く。


「徹夜続きの頭ですっかり忘れていた……! そうだよ。先生だ」


「先生が、どうかしたの?」


 突然少し大きめの声で喋るローリアを見て、シエラは未だ思い出すことの無い自分を疑問に思うことなくローリアへと語りかける。


「セリア先生だよ。逃げ帰ったあの日、先生が治療するときに対策を考えておくと言っていただろう?」


 そこまで聞いてシエラも思い出したのか、栗毛の少女ははっと息を呑むと、


「何か思い付いてるかも!」


「ああ」


 シエラの一言にローリアは微笑みながら頷く。


「よく気付いてくれたよぺトラ! キミには感謝している。これで事は順調に――」


 ローリアは見ていたシエラから黙って二人の会話を聞いていたぺトラスフィルへと視線を移し振り向くが、中性的な顔立ちをしたぺトラスフィルの顔を見た途端に言葉を切った。


「ぺトラスフィル。…………その、なんだ」


「いいよ別に。オレのことなら気にしなくて」


 気遣い言い淀むローリアに、ぺトラスフィルは落ち着いた面持ちで返答する。


 ローリアが気を遣うのも無理はない。辛く苦しく、真っ当に人として扱われることの無かった生活からやっとの思いで解き放たれた元奴隷。まだ幼く、まだ傷も癒えぬそんな小さな少女に「待っていろ」とは、到底言いづらいだろう。


 ぺトラスフィルにはこれから周りに沢山愛され、認められ、楽しく賑やかな人生を歩ませてやらねばならない。やっと恵まれてきた少女のそばから離れてまた一人にさせるなど、本当はあってはならないのだ。


「大丈夫だって。これまでにも色んな修羅場をくぐり抜けてきてんだから。そんなのに比べりゃ留守番なんて街行く人に物乞いするより簡単さ。こう見えてもあんたらよりしっかりしてんだぜ?」


 渋柿をかじったような顔つきをしているローリアを見て「心配性かよ」と皮肉交じりにおおらかな態度をとるぺトラスフィル。そんなぺトラスフィルを見て、ローリアは小さくも確かな返事をする。


「……わかったよ」


 マディラムを使えず、まだ幼く、それでいてなお強く生きるそんなぺトラスフィルを見つめて、ローリアはぽつりとそう呟いた。


「しばらくの間待っていてくれ。帰ってきたら、シエラに美味しいものでも作らせるよ」


「ああ。楽しみにしてる。……ミツルの兄貴を、救ってやってくれよな」


 ぺトラスフィルの気持ちのこもった言葉にローリアははっきりと頷く。


「絶対、何がなんでも絶対に助ける――!」



 〜 〜 〜 〜 〜



 ――ぺトラスフィルの言葉を信じて家を出たローリアとシエラが早めに歩を進めて向かう場所はロエスティード学院だ。


 城を守護する門兵の前を通り過ぎ、荷車を引いた行商人達が行き交う中央通りをまたいで学院へと急ぐ。


「――なあ、シエラ」


「え? なに?」


 隣を歩いていたローリアがふと話しかけてきて、シエラは耳を傾ける。しかし、


「…………」


「ローリア?」


 話を振ったまま黙るローリアを不思議に思ってか、シエラは少し歩く速度を落として蒼髪の少女の顔を見る。そしてしばらく見つめているとようやく小さな口を開いた。


「実際のところ、シエラはミツルのことをその……どう想っているんだ?」


「え?」


 ローリアの意図が読めず、今度はシエラが口を閉ざす。それを察したローリアはよりわかりやすく言葉を崩す。


「キミの気持ちだよ。引っ込み思案のシエラが危険を承知で助けに行くほどには、ミツルのことが大切なんだろう?」


「それは……」


 ローリアの質問に、シエラは少し頬を赤らめる。


「親友として、嘘偽り無く正直に言ってほしいんだ」


 いつになく真剣な眼差しで見つめ問いかけてくるローリアに、シエラは思わず言葉を詰まらせる。


 ミツルと仲が良いとはいっても、まだ知り合ってから日は浅い。一緒に旅をして野宿して、けれどアリヤとローリアに比べればミツルと過ごした時間が一番短いのもシエラだ。一目惚れでもしないかぎり、恋愛感情へと移行することは無い。

 シエラはミツルのことが好きだ。でもそれは恋慕ではなく――――


「……私は一人っ子だけど、もしもお兄さんがいたなら、私はミツルさんみたいな人だったらなとは思うよ」


「……兄、か」


 恋愛対象ではなく兄のような存在として見ていたシエラに、ローリアは意外だと言うように微かに目を張る。


「そう言うローリアは? グライア山に向かう前に気になる人はいるって言ってたけど、あれってやっぱり……」


 話題の矛先が自分へと向いてローリアは少しばかり戸惑いを見せるが、恥ずかしさよりも寂しさがまさったらしく、眉の下がったローリアの両の瞳は一メートル先の地面を見据える。


 純粋なシエラはまだ初恋というものをしたことが無い。

 身近にいる男性といえばミツルを除いて父親くらいのものだし、落ち着いてはいるが活発な性格のローリアと比べてもシエラは消極的だ。学院でも自ら男性に話しかけていくことはまず無い。


 だが憧れは抱いているのだ。アリヤとローリアとシエラの三人の中では、シエラが最も女の子らしい。

 恋話は好きだし、仲睦まじく手を繋いで街を歩いている紳士淑女には自然と目を釣られる。挙式なんて憧れの頂上、眩しいゴールだ。


 常日頃からそんな目をしていれば、ローリアがミツルに気があることなんてお見通しだ。


「ミツルは良く言えば一途だが、悪く言ってしまえば頑固だ。人間嫌いな分、その僅かな可能性の中で見つけた好きな人にはとことん尽くしたい、そんな性格だ。だからこそ、ミツルのあの目に輝いて映るのはアリヤ以外にいないんだろうな……」


「ローリア……」


 密かに想いを寄せていた蒼髪の知的な少女ローリアは、シエラの小さな呼びかけにふっ、と薄く笑みをこぼす。


「確かにアリヤは可愛いし魅力的だ。ミツルが心を開くのにも合点がいく。男に生まれていたなら、ボクも好きになっていたと思う。優しいし、気は利くし、料理も上手だ」


 今更ながらにアリヤに抱く嫉妬を、ローリアは地面に転がる小石を軽く蹴ることで対処する。


「それに比べてボクは研究ばかり。一度集中すれば周りは見えなくなるし、探検に出れば何日も帰らない。料理だってできないしね」


 今は亡き友をめそやし、それから自分の足らなさを卑下するようにローリアは苦笑する。


「あの優しいアリヤにふさわしいか、関わるに足る人物であるか調べるために街中での喧嘩を機に近付いたっていうのに、皮肉なことに気付けばボクのほうが惹かれていたんだ」


「…………」


「ミツルは清々しいくらいに一途だよ。本当に」


 そっと吐くように言うと、気分を変えるために空へ向かって伸びをする。


「告白もしていないのに、勝手に初めての失恋を体験してしまったよ」


 そう言って、ローリアは言葉の最後に「誰にも言わないでくれよ」と付け足した。


 ミツルに出会うまでのローリアの人生は、研究尽くしの毎日だった。昼夜逆転の生活を続け、恋愛そっちのけで趣味に没頭していた彼女だ。

 異性など眼中に無く、そんな暇があるならもっと探究に注ぎ込むべきだと、そう自分に言い聞かせて過ごしてきた。


 別に恋をしたくない訳じゃない。ただ彼女の周りにいたのが、単純で浅はかで、「この人なら」と思わせてくれる者がいなかったからだ。

 とりあえず付き合っておけばいいなんて、そんな軽い関係を忌み嫌っていた。


 そんな矢先、パッコの実の調査をしていた際に見知った銀髪の女の子と一緒に一人の男が喧嘩を止めに入っているのを見かけた。


 全身黒づくめで幼げな顔つきをしていながらも落ち着きのある、年齢の読めないどこか影のある雰囲気。

 名声やお為ごかしを手柄に行動しているのではなく、もっと複雑な、正しいものを別の正しさで問い直そうとするような、そんな思慮深さを帯びた物腰。

 見るからに脆弱そうなのに、何故か頑ななまでに無理矢理に取り繕って偽の強さを振り撒く心理状態。


 初めて異性に興味を持った。この人は何がとは明言できないけれど、それでも他の誰かとは何かが違うと、そう思った。


 それを確かめるためにも、そしてアリヤと仲良くなるのに下心を持っていないかを調べるためにもローリアは喧嘩を機会としてミツルに近付いたのだ。


 アリヤはその端正な容姿と純情な人格から、異性に恋愛感情を持たれることが多い。

 親友であるローリアからしてみればアリヤの将来が確約されることは本来喜んであげるべきなのだが、寄ってくる大半の者が邪心を抱いているのが丸わかりだったのだ。

 人の気持ちに敏感なアリヤ自身気付いてはいただろうが、その性格が裏目に出てなかなか言い出しづらかったのもローリアは知っている。


 ローリアはそんな彼女を見るのが心苦しかった。

 ならばいっそのこと自分で守ってやろうと、そう思って研究以外のときはなるべく共に行動するようになったのだ。


 ――はにかむローリアの哀愁漂う嘆息に、シエラは気遣うようにしてそっとローリアの手を握った。


 そうこうしているうちに二人は学院に辿り着き、慣れた足取りでセリアの居座る部屋へと向かった。

 前回ここを通ったときは真っ暗で、ただただ助けを求めて必死に走っていたものだ。ローリアもシエラもあの日以来学院を休みがちになり、またそれを咎める者も一人としていなかった。


 アリヤの死に居合わせたショックだけではない。三人の仲の良さは、学院の人々からもよく周知されていたのだ。

 仮に死んだのがアリヤではなく全く知らない赤の他人だったのであれば、きっといつまでも悲嘆している二人に何かしらの文句を投じる愚か者もいたことだろう。知らない奴の死に、いつまで悲しんでいるのかと。


 だが二人が見た死の迎えはいつも隣にいた大親友だ。どれほどの仲の良さなのか、それを知っているから、皆何も口に出そうとしない。


「セリア先生、いるかな?」


「授業と用事がある時以外は基本自室で机と向かい合っているはずだよ。何をそんなに紙面に書いているのかはわからないけどね」


「疲れないのかな」


「自分の意思で書いているんだ。それが個人的な調査書類なのか、あるいはただの学院生の教程書類なのか。兎にも角にも好きでやっているんだろうさ。嫌々やっているのなら、それはもう気合いと根性でやり切っている以外に無いだろう」


 シエラと横並びになりながら歩いて、ローリアはセリアの部屋へと向かいながら話す。


 部屋の入口前まで来ると、激しい音を立てながら勢いよく開けたあの日とは反対にゆっくりと拳で軽く扉を叩く。質の良い木を使って造られたのか、艶のある扉は軽快な音を廊下に薄く響かせる。

 反響も止み、学院外から微かに聞こえてくる他の学院生の声を耳に入れながら、ローリアとシエラは扉の奥から聞こえた「入れ」という短い一言で扉を開いた。


 実技科教師であるセリアはローリアの言った通り机に向かっていた。娯楽という娯楽に嗜まず、四六時中真面目に思考を働かせているセリアはすらすらと書いていた手を止めてから顔だけを一度僅かに上げ、


「お前達か」


 そう呟いて再び紙面へと顔を落とした。


「あの、先生……」


「何だ、とは言わん。用件はこうだろう。『ミツルを助ける手立ては思いついたか』」


「え、あ、――はい」


 ローリアの驚愕を秘めたぎこちない返事を聞いたセリアは流麗に書いていた黒塗りのペンを立て掛けると一息つく。次いで机の端に置かれていたティーカップを持ち上げてひと口含むと、


「思いついてはいる。――が……無謀とも言える」


「無謀……ですか?」


 僅かな音を立てることも無くティーカップを置くセリア。ローリアは常に冷静なセリアが無謀な策を掲げていることを意外に思いながら尋ね返す。


「ああ。――君達のことだ。自分の手で助けに行くとでも言うのだろう? 故に私が同行しよう」


「先生自ら……?」


「無論、数は十人編成された騎士に大きく劣る。だが私とて現役だ。平たく言えば量より質ということだな」


 十人体制で組まれた騎士達に対して、こちらはローリア、シエラ、そしてセリアの三人だ。ミツルと合流できたとしてもたったの四人。倍にしたって及ばない。

 しかしセリアはよほど自信があるのか、騎士の数十倍の戦力を自負するように堂々とした姿勢でそう言った。


「出立は決まっているのか?」


「ええ。早ければ今からでも。既にミツルは行ってしまったので」


 ローリアの即答にセリアは「そうか」と短く相槌をうつと続けて、


「では一時間――いや、三十分ほしい。こちらで速度自慢の馬車を手配しよう」


 そう言って書類を揃えて片すと立ち上がった。


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