第二幕・十九・五『堪えたはずの涙 -コラエタハズノナミダ-』

 第二幕・十九直後の裏話となっています。

 〜 〜 〜 〜 〜



 ――執念深さも時として役に立つ。


「どこへ行ったんだ、ミツル」


 ミツルが背を向け逃げ出したあの後、ローリアは諦めきれずにすぐさま追いかけていた。


 だが当然逃げ足の速さが持ち味のミツルに追いつけるはずはなく、今もこうして様々な心当たりのある箇所を虱潰しらみつぶしに探しているのが現状だった。


「一方的に話を打ち切って、一体ボクがどれだけキミのことを……。そう簡単に、ボク達との縁を切れると思うなよ」


 哀しむと同時に僅かばかりの不満も含めて、ローリアはぶつくさ一人で呟きながら昼間の人通りの多い中央通りを歩いていく。


 人混みが苦手なミツルの心理を読んで路地裏や陰になりそうな場所を探してはみたものの、そもリー・スレイヤード帝国の帝都であるリネモアは人探しをするにはあまりにも大きすぎる。しかも少女一人でなんていうのは無茶な話で、セリアも教師である以上一人の男のために多数が待つ授業を放ったらかしにすることはできないのだろう、合理的判断で戻って行ってしまった。


 独断でミツルを追ってきたゆえにシエラも不在の状況の中、いない人との心理戦を繰り広げるローリア。


 人混みが苦手だから人気のない場所を好むだろうことを逆手にとって、木を隠すなら森の中というようにもしやこの街行く人達に紛れているのではと思っていたが、ミツルの姿はやはり捉えられずにいた。


 ひとまず行き交う人々の邪魔にならないよう中央通りの端に寄って左やら右やらと流し見ていると、喧騒の中から「おや!」という聞いたことのある声が聞こえてローリアは本能的にびくり、と肩を震わせる。


 ざわざわと大勢が喋る中でも見知った人の声だけを聞き取って判別できるカクテルパーティー効果がローリアも遺憾なく発揮されたが、今回においては声を拾ってしまった自身を心の底から恨んだ。なぜなら、


「あんた確か、アリヤちゃんのお友達の……」


 仕事柄大きな声が癖づいた声の主は、果物屋の女主人――ジルベダだったからである。


 器用に間を縫って人の川から抜けてきたジルベダは、仕入れてきた果物を運んでいる最中なのか、木製の荷車に商店に並んでいた見覚えのある色とりどりの果実を沢山積んでいた。中には前に安くで売ってもらった果実も混じっている。


「あ……えと、ローリアです」


 軽く会釈をしながら、ローリアは覇気のない声で挨拶する。


「ローリアちゃんね。覚えたよ」


 周りには数えるのも億劫なほどの人々が歩いているというのに、ローリアの目にはジルベダの姿しか映らず、耳にも快活な声しか入ってこなかった。


「今日はアリヤちゃんと一緒じゃないのかい?」


「えっ……と、今はボク一人で……」


 死んじゃったんです、なんて軽々しく言えるはずもなく、ローリアは咄嗟に曖昧な返答をしてしまう。


 ジルベダは「そっかー」と少し気分を落として、大きな手で荷車に積まれた果実をひとつ手にとる。


「アリヤちゃん、近頃買いに来てくれなくてね。少なくとも三日に一度は顔を見せてくれてたってのに。質は落ちちゃいないと思うんだけど……」


 そう言いながら、ジルベダは訝しげな顔つきで手に持った真っ赤な色をした果物をまじまじと見つめる。


 見つめてはいるが、当然果物にはなんの変哲もない。洗いたてなのか水滴は陽の光で眩く輝き、艶めかしい表面は実に食欲をそそるものだ。

 端には小さく虫の喰った跡が残り、それが無農薬で育てあげられた新鮮さを証明している。


 ――変わったのは果物ではなく、アリヤだ。


 だがその事実を、目の前の女主人にどう伝えようものか。


 ずっと果物屋を避けてきたが、いずれは話さなくてはならないとも思っていた。

 ただ自覚できるほど精神的に疲弊しているローリアとシエラだ。ミツルを引き止めることさえできずにいるのだから、今はこれ以上人と関わらないようにしたいのがローリアの本音とするところ。――だが、


「アリヤちゃんどうしたか、何か知らないかい?」


「あ……」


 そんなローリアが恐れていた、この者から絶対に聞きたくなかった質問をぶつけられて、返答を考えている途中だったローリアは「えっと……」としどろもどろに口を濁す。少女の目は泳ぎ、それでいてとても辛そうで、ジルベダはその奇っ怪な様子にわずかに眉を寄せる。


「なんか元気がなさそうだけど――、大丈夫?」


 どうにか耐え抜いてきた込み上げるものも、ジルベダのその一言で漏れ出した。


 ――――大丈夫なわけ、ない。


 つい先日行われた、当人の遺体が無い追悼式が脳裏に焼きついて離れなかったローリア。進めていた研究にも手がつかず、寝不足であるはずなのにまともに寝ることすらできないでいる。


 デキア洞窟から逃げていた時の、前を走っていた一番の親友であるアリヤのあの最期の後ろ姿。身体に穴が開き、血飛沫を上げ、地に伏せたあの背中。至近距離で見てしまったあれが色濃く目の裏に焼き付いて消えてくれない。


 今だってそうだ。しがらみのようにまとわりついては、じわじわと貪るようにローリアの精神を蝕んでいく。それに加えてジルベダのきつい一言。この人に悪気がないのはわかっている。だって知らないのだから。でも、けれど、


「ああああ――ッ」


 とうとう堪えきれなくなったローリアの目から、溢れんばかりの水滴がぼろぼろと落ちる。我慢して、我慢して我慢して溜め込んでいた分、それは大粒の涙だった。


 突如泣きだしたローリアにジルベダは目を丸くさせるが、それでも荷車をおろすと、膝を折って泣き崩れそうになる少女を間一髪で抱きかかえる。


「ちょっと、どうしたんだい急に。何があってそんなに泣く必要が……」


 ただの喧嘩にしては様子がおかしいと思いつつも、ジルベダは太い腕で優しく泣きじゃくるローリアをなだめる。


 幼い子供のように慟哭を撒き散らすローリアを行き交う人々がすれ違いざまに見ていくが、誰一人としてその場で立ち止まろうとする者はいない。


 今この子を一人にさせるわけにはいかないと判断したジルベダは周囲の視線から守るようにローリアを覆うと、


「とりあえず、立てるかい? ここは人目が多いし、あたしの店の裏に行こう。話はそこでゆっくり聞いたげるからさ。ね?」


「…………」


 涙を出したことによって気分が少しほぐれたのか、ローリアはジルベダの手を借りながらも自力でなんとか立ち上がった。



 〜 〜 〜 〜 〜



 ローリアとジルベダが鉢合わせた場所から幸いにも果物屋は距離が近く、そのためローリアはジルベダの引く荷車の後ろに腰掛けるように座って運ばれていた。その間ローリアは一言も喋ることなく、またジルベダもそれについて咎めるようなことは何も言わなかった。


 荷車の後ろで俯くローリアの視界の先で、石畳の地面だけが流れていく。石畳といっても見かけによらず地面に凹凸はあまり無く、そのおかげか荷車もそれほど揺れることはないようだった。


 延々と続くと思われた目先の流れゆく地面もしばらくするとふと止まり、それと同時に荷車の揺れもおさまった。


「着いたよ、ローリアちゃん」


 直後に先ほどとは違ったジルベダの落ち着いた優しい声が聞こえてきて、気遣われているんだなと、不覚にもローリアはそんなことを思いながらひょいと降りる。


 振り向いて視線を上げると、どうやら周りの建物の陰に覆われた狭い裏口に着いたらしかった。目線の先には片開きの一枚の扉がある。


「店の裏側。あたしの家だよ」


 傍らに置かれていた布を果物が積まれたままの荷車に被せると、ジルベダは「さ、入って」とローリアの背中を押しやる。


「……あの、果物はそのままでいいんですか?」


 それを見て店の品物を心配するローリアに、ジルベダは「いいのいいの」と前置いて、


「ここは日陰だから。それにうちの果物は新鮮さが売りだけど、正直そんなこと気にしてるのはあたしら売る側だけだからね。ここいらの住人は大抵貧乏舌だし、多少鮮度が落ちても気にしやしないよ。今は果物よりも、ローリアちゃんのほうが平気じゃないでしょ」


「…………」


 ほら、と再び軽く背中を押すジルベダに無言で言われるままに家に入ると、入口から先はすぐにリビングへと繋がっていた。


 お世辞にも広い家とは言えない。アリヤの小さな一軒家と比べても、そう大差ないだろう。


 建てられてから随分と年数が経っているからか、平屋の家はところどころの壁紙が剥がれかけていた。入ってすぐの場所で立つローリアから一番離れた奥の壁面に、ジルベダの趣味なのか絵画が飾られており、その両脇に植物の植えられた大きめの鉢が置かれている。


 ローリア宅のように台所が一体となったリビング中央には、どんと置かれた四角い机。その下にペアの椅子が二脚収められていた。うち一脚は脚が修復された形跡があり、そこから思い入れのある物であるのが見て取れた。


「適当に座っといて。お茶、入れるからね」


「……ありがとう、ございます」


 半分困惑、半分好奇心で辺りをきょろきょろ見渡しながら、ジルベダの言葉に甘えてローリアは席につく。


 台所を前に、窓を背中にする形でローリアは座ると、ふと右側にある使い古された暖炉の上に、一枚の男女の写真が写真立てに収められた状態で置かれているのが目に入った。


 女性のほうは言わずもがな若かりしジルベダ。豈図あにはからんや、今よりもずっと細身でまるで別人だが、男勝りな顔つきには面影がある。


 男のほうはおそらく夫だろう。写真が苦手なのか髪をオールバックにしてよく見える顔はむすっとしているが端麗で、昔とだいぶ違うジルベダがこうならば、夫の方は今どうなっているのかと変に気になる。


 しかし関心を持っていかれるのはその纏っている装備のほうだ。男が着ているのはどう見てもスレイヤード騎士団の制服。それも通常装備ではなく、並の騎士よりもさらに格上の者が着用する特別製。


「――あたしの夫だよ。デヘベリッドって名前なんだけどね。今はとっくに身を引いてだらしないけど、あれでも昔は騎士を率いるおさだったんだよ」


 ローリアの目線を辿って、ジルベダは盆に乗せたお茶を机に置きながら自慢げに話す。


「騎士隊長だったんですか?」


 声に元気はないが素で驚くローリアの横で、ジルベダは腰に手をあてがって写真を見つめる。


「そ。スレイヤード騎士団にも何種類かあってね。うちの夫はその中の守備隊んとこの、元隊長」


「今は、何を?」


 気を紛らわしてくれているのだろうと、ローリアはジルベダの話に甘んじて乗っかって覇気のない声で聞き返す。


「東の山岳に行ってなまった身体を動かしてくるって、数日前に出てったさ。まったく、店と妻をほったらかして何をやってるんだか……」


 写真を見つめながら呆れて苦笑するジルベダ。ローリアは渡された湯気を立てるお茶を慎重に一口含んで流れ出た水分を補充すると、おそるおそる訊ねる。


「どうして、騎士を退役したんですか? 騎士、それも隊の長ともなれば、もらえる支給金の額も相応なもののはずなのに」


 正直、今のこの平屋よりもずっと良い物件だって買えたはずだ。


 スレイヤード騎士になれば、金に困ることはまずなくなる。中には支給目当てで騎士を目指す者もいるくらいだ。それを自ら手放すとはどんな理由があってのことか。


「デヘベリッド――、デッドはね。辞める間際にあたしに言ったんだよ。『あんな王を、こんな国を守るために騎士になったんじゃない』って」


「…………」


「ほら、この国は治安悪いだろ? 王様は好き勝手やってるし、あたしらにもある程度の自由は与えられてるけど、そのせいか民意は低いし、古くさい奴隷制度だってまだ続いてる」


 もう片方の椅子に座って、ジルベダは窓の外に見える街並みを眺めながら淡々と続ける。


「嫌気がさしてたんだろね。あの人も、あたしも。もちろん、アリヤちゃんやローリアちゃんみたいな良い子達もいるけどさ」


 そう言ってジルベダはにっ、と笑ってみせると、そこで話を切りかえて本題に入る。


「――それで? なにがあったのか、話してごらん」


「……っ」


 ほぐれた気分もその質問で再び引き戻され、ローリアは思わず息を詰まらせる。


 なかなか話をせずにだんまりとしているローリアに、ジルベダは神妙な面持ちでひっそりと切り出す。


「アリヤちゃんが、あんた達がうちに来なくなったのと、なにか関係があるんだね?」


「――――っ!」


 割りと鋭い観察眼を持っているのか、ジルベダの問いに核心を突かれたローリア。言い逃れはできないと思った彼女は、再び目に涙を浮かべて引きつる喉から声を絞り出す。


「……以前、最後にお店に寄った日のこと、覚えてますか?」


 質問に質問で返されるが、ジルベダはとくに気にする様子もなく「よく覚えてるよ」と応じる。


「あの日、ボク達は丘陵地帯の森林にいる、バッドグリムの討伐依頼を任されて準備をしていたんです。すぐ出発して、その日は野宿をしたんですけど……」


 そこで一旦話を区切り、ローリアは潤って霞んだ瞳を袖で拭い、鼻をすする。少女の一言一言の波長が小刻みに揺れ、そこからでも、彼女が今どれほど懸命になって話してくれているのかジルベダにはわかった。


「翌日、森林でバッドグリムを討伐し終えて帰ろうとしたとき、ボクが引き止めてしまったんです。グライア山に行きたいから、近道であるデキア洞窟に入りたいっ、て」


 膝の上に置いていた両の手で、ローリアはスカートをぎゅっ、と掴む。


 そこまでローリアが話して、ジルベダははっ、と勘づいた。


「あそこは確か立ち入り禁止だったはずだろう? だって、凶悪な魔人が住みついてるって、デッドが……」


 飲みかけていたカップを下ろし、ジルベダは青ざめた顔でだらんと力が抜けたのを感じる。


「そうだ。ボクがわがままを言って踏み込んだせいで、アリヤが、アリヤが――……っ!」


 ローリアは拭いた目にまた涙を浮かべながら、自分を責めて取り乱す。


 静かな狭い屋内にローリアの悲痛な泣き声がこだまし、蒼髪の少女は耐えきれず顔に手をあてがる。


 ジルベダは顔を覆うローリアの手にまだわずかに残る傷跡を見つけると、席をたってローリアのもとへと歩み寄る。


「ローリアちゃん」


 しっかりと覚えた名前を呼び、ジルベダはまだ幼い少女の身体をぎゅっと抱き寄せる。


「よく戻って来たね。ローリアちゃんが無事で良かったよ。無理に聞いて、話してくれて、ありがとね」


 しゃくりあげ、肩を上下に揺らすローリアの頭を撫でながら、ジルベダは優しく、優しく少女をあやす。


 あの愛想の良い、どこまでも明るく優しい女の子が死んでしまった。


 そんな哀惜がジルベダの胸を締めつけるが、その場で死に物狂いに頑張っていたこの子の前で、思い出し、語ってくれたこの子の前で、知らぬ存ぜぬで商売をしていた自分が涙を流していいものかと、そう思ってぐっと耐える。


「だけど、それはローリアちゃんのせいじゃない。だからそんな風に、自分を責めちゃいけないよ」


「でも……でも! ボクがあんな事を言い出さなかったら、アリヤは今も――!」


 せっかく含んだ水分も目尻から途切れることなく流れ出て、ローリアは自責の償いを探し求める。


「ボクがこの手でやったも同然だ。一生恨み続けられても、ボクはそれを背負っていくことでしか償えない!」


「そんなこと言わないの。誰一人として、ローリアちゃんを恨んじゃいないよ。それに償いったって、そんなもの背負ってどうすんのさ」


 胸の中で涙と共に弱々しい思いをこぼすローリアを、ジルベダは母のように撫でて続ける。


「背負って生きたって、それでアリヤちゃんが戻るなんてことは無いんだよ? ローリアちゃんが苦しんでも何も変わりゃしないさ」


「…………」


「なにもローリアちゃんが無理矢理引っ張って洞窟に入ったわけじゃないだろ? ちゃんと意見を聞いて、みんなが同意した上で入った。なら、ローリアちゃんが一人で負い目を感じる必要なんて無いはずじゃないか」


「なら……、だったら、この感情はどうすればっ……」


 自分では解決策なんて見つけられない。自分でさえこうして泣きじゃくってなだめてもらっているのに、あの頑固で悲観的なミツルを諭すなんて土台無理な話だ。


 懊悩に苦く顔を歪めるローリアにジルベダはそっと身を離すと、「そうだねぇ」と少し考える素振りを見せ、


「切羽詰まってまた泣きそうになったら、うちに来な? いつでも話を聞いたげるし、あたし自慢の果物でもたらふく食べりゃ気も紛れるだろうからさ」


 そう言うと、ローリアが否定に入ろうとする前に続けざまに喋る。


「どうしても自分に非があるって思い悩むなら、まずは自分を許すとこから始めなきゃ」


「許、す……? ボクが、ボク自身を?」


 嘆き、スカートを鷲掴んで小刻みに震えるローリアの小さな手を握り、ジルベダは椅子に座るローリアよりも低い位置で大きく頷いて目をまっすぐに見つめる。


「そうさ。一日一回でもいい。『自分のせいじゃない』って心の中で呟くのさ。自分の意思とは関係なく。自己暗示ってやつだね」


 ローリアの場合自分に言い聞かせなければ、他人が許そうとも自身が許せないだろうから。


「嫌でも言い続けてたら、そのうちそうなんだって思える日が来るよ。実際そうだしね」


 過去に似通った経験があるのか、あるいは過去に誰かから言われた受け売りなのか、ローリアに向けての言葉は、同時に少女の海色の瞳に反射して映る自分にも言い聞かせているかのようだった。


「ローリアちゃんみたいな可愛い子、邪険にしたりしないし、あの人も出かけてしばらくいないから気楽においでな。あたしも一人だから、話し相手に来てくれたらそりゃもう嬉しいってもんよ」


 破顔一笑の表情をローリアに見せつけるジルベダに、ローリアは少しではあるが落ち着きを取り戻す。


「ボクなんかが、いいんですか?」


 自分なんかが許されてもいいのか。


 甘えて、こうして弱さをこぼしに訪問してもいいのか。


 そんな様々な意味を含めての一言。


「ああ、もちろん。こんだけ泣いて悔やんでるんだ。誰にだって責められやしないさ」


 慰められ、鼓舞されて、ローリアはしばらくの間ジルベダの前で沈黙を貫くと、ゆっくりとひっそりと小動物のように慎ましやかに口を開く。


「その、押し付けがましいけれど、シエラも、いいですか? あの子も随分、無理に笑ってるみたいだから……」


「茶髪のお嬢ちゃんかい? いいよ、連れて来な。女三人いればさぞ盛り上がるだろうし、料理だって作りがいがあるってもんさ。もちろん手伝ってもらうけどね」


 冗談めいた口調で言うジルベダの言葉に、ローリアはようやっとくすっ、と微かに笑みを見せる。


「あーあ。こんなに顔を涙で汚しちまって。せっかくのべっぴんさんが台無しだよ」


 紅く腫らしたローリアの目尻と鼻をジルベダは自分の指でぐいぐいぬぐってやると、実の娘に言い聞かせるようにローリアの潤った双眸を見据える。


「いいかい? 泣くななんて言わないよ。涙を我慢するのは体にも、心にも良くないからね。よく『泣いたら死んだ人も悲しむ』なんて言うけれど、泣けば泣くほど、その人は自分がそれほど大切な存在だったんだって気付かされるのさ。だから大いに泣けばいい」


 そのほうがアリヤも嬉しく思ってくれると、ジルベダは言う。


「だけどねローリアちゃん。一人で泣くのは駄目なんだ。人間ってのは一人で泣くと慰めてくれる人がいないから、自分の中に哀しみを閉じ込めようとする不器用な生き物なの。――ただの同情でもいいから、誰かにその哀しみをやわらげてもらわなきゃ、自分の中のわびしさなんてのはいつまでもなくならないんだよ」


 泣くときは、誰かと一緒に。

 それはローリアとシエラがこれまでミツルに言ってきた、「誰かに頼れ」という言葉と合致するものだ。


 ミツルに説き伏せていた自分がこんな風に教わっているようではまだまだだな、なんて思いながら、ローリアは小さな声で呟く。


「……おばさんも、そうしてる?」


「こう見えても小さい頃は泣き虫だったんだよ? 皺が増えた今だって、ご近所さんに愚痴を聞いてもらったりしてるしね。歳なんて関係ないよ」


「…………」


 ジルベダにあやしてもらって、慰めてもらって、そして元気をもらったローリアは、椅子に座ったまま目を閉じて一度大きく深呼吸する。


 ――――ミツル。やっぱり寄り添ってくれる人っていうのは大事だよ。

 必ず、ボクもキミにとってのそんな存在になってみせるから。だからあと少し、もう少しだけ待っていてくれ。


 ゆっくりと両目を開いて、ローリアはカップに残ったお茶を決意と一緒にすべて飲み干す。

 僅かに残った温かさが、咽喉を通って一気に全身まで行き届く。自らのみずに押しやられ、冷ややかに凍てついてひび割れた心の隙間に温もりが滲み入ってやわく溶かしていく。


「――ありがとうございました。もう大丈夫です」


 生気の戻った表情で礼を言うローリアに、ジルベダはにんまりと笑顔で返す。


「ローリアちゃんはもう身内だ。敬語なんて使わなくていいよ」


「……うん!」


 人当たりのいいジルベダに面と向かって大きく頷くと、ローリアは立ち上がって玄関へと歩いて行く。


「ほんとに大丈夫かい? もう少し休んでったら?」


 ジルベダの心配そうな表情に、ローリアは苦笑しながら首を横に振る。


「おばさんのおかげで、たくさん元気をもらったから。――お茶、すごく美味しかった。今度茶菓子でも持ってくるよ。人気のお菓子屋さんを知ってるからね」


 そこまで言って、ローリアは最後に進めていた足を止めて振り返る。


「あの、ひとつ聞いてもいい?」


「ん?」


 椅子に座りなおしてローリアの背中を見ていたジルベダは、ローリアの問いかけにカップを口につけながら短く応じる。


「どうして、ボクにこんなにもよくしてくれるんだ?」


 そんなジルベダにとって愚問にも等しい質問に、彼女は微笑みながらことん、とカップを机に置く。


「常連だったアリヤちゃんの親友だから。それ以外の理由が欲しいかい?」


 そっと息を吐くように応じたジルベダ。そんな果物屋の店主に恩義を感じたローリアは、その場で深々とお辞儀をして見せた。


 ――ローリアが扉の向こうへと消えてしばらくすると、湯気を立てるお茶を冷ますように滴がぽつりと、ティーカップの中に落ちて静かに波紋を作っていった。


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