第一幕・三『光と影 -シロトクロ-』


 〜 〜 〜 〜 〜



 賭博屋を出たあと、ミツルとアリヤは男から勝利し手に入れた金と指輪を持って服屋へと向かっていた。指輪は後に換金するつもりだ。

 

「…………」


「――どうしたんだよ、アリヤ」


 歩き始めてから何も言葉を発さないアリヤを不審に思ったミツルは問いかけると、彼女は眉をひそめながら哀愁のこもった声でおそるおそる口を開く。


「…………ミツルって、その……、薄情なんだね」


「……いきなりだな」


 本当にいきなりだ。

 いきなり直接本人に向かって薄情とは、なかなかに酷いことを言ってくれる。せめてオブラートに包んでほしかったものだが、それよりも穏やかそうなアリヤでもそんなことを口にするということに驚きだ。


「ち、違うの! いや、違わないけど! ――ほ、ほら。薄情な人ってだいたい冷静だし、大人びいてるっていうか」


(……全然フォローになってませんがアリヤさん)


「何が言いたい」


「えっと、ミツルは負かした相手に容赦しないし、慈悲とか無いのかなー、なんて……」


 人差し指を立てて表向きには笑ってそんな風に言う、しかしそのじつ、声には哀しみが垣間見られる優しいアリヤにミツルは満面の笑みを見せる。


「……演技だよ、演技。あの場所では強く出ないと舐められるからさ」


 気を遣って無理矢理に笑うアリヤにミツルも取り繕って優しい声音で言ってみせると、アリヤは不意に真面目な声へ変え改め、


「……


「……っ」


 アリヤのその一言に、ミツルは身体を強ばらせる。


 ――それが演技。


 それとは、今まさにミツルが見せているこの笑顔のことを指して言っているのだろう。


 愛想笑い、偽りの仮面。ミツルがこれまでの人生でよく行ってきたことだ。そんじょそこらの人間よりも圧倒的に上手く欺瞞の笑顔を取り繕えていると思っていたのに、目前の彼女はどういうわけかすぐさま気付いた。


 ばれているならもはや隠す必要も無いと結論に至ったミツルは、取り繕った笑顔の仮面をすっとやめると、本来の死人のように無表情な顔つきで目を合わせずに答える。


「……勝てば官軍、負ければ賊軍。――人間っていうのは愚かで単純なんだよ。ましてや俺はこの辺を知らない異国民だ。他人を警戒して強気になるのは当然だろ。悪人に優しくしてどうする」


「でも……」


 言葉に詰まるアリヤにミツルは一歩後ろを歩く彼女に振り向くと、溜め息を一つつきながら、


「例えば、自分の大切な誰かが悪人の手によって誘拐されて、その誰かがいましめられ苛まれ辱められたあと、勝負をして勝ったら解放してやると言ってくる。そしてお前は悪人に勝ったとして、果たしてその悪人に優しくしようと思うか? 少なくとも俺は思わない。それと同じだ」


「…………」


「そんな奴は唾棄すべきだ。皮をかぶった醜態生物でしかない。だから――俺は人間が嫌いなんだよ」


 知らぬ間に自分の口調に力が入っていたことにミツルは気付き、ふと我に返る。


「…………悪い」


 出会ったばかりの彼女に俺は何をヤケになっているんだ。

 

「ううん……」


 アリヤは気にしないでと愛想笑いを浮かべる。


 ……まずいな。この空気。


 常日頃、他人の顔色をうかがい空気を読むことだけには長けていたミツルが自ら不穏な空気にしてしまった。ここは無理にでも話題を変えて逸らすほか無かろう。


「――そ、それはさておき、金は手に入った。服屋にはまだ着かないのか?」


 ミツルが無理矢理話題を別の方向へ押しやると、アリヤも空気を読んだのか、はたまた気を晴らすためなのか、食い入るようにそれに乗ってきた。


「ん、あれだよ。あそこは品揃えも豊富だし、高価なものから安価なものまで売ってるの」


 そう言いながらアリヤは前方に見える、数ある建物のうちの一軒に指をさした――。



 〜 〜 〜 〜 〜



 服屋に入ると、確かにアリヤの言う通りゴージャス感のあるドレスから、冒険者の着るような旅服までひと目でわかるほど様々な服が陳列していた。

 

 しかしさすがはファンタジーな異世界。

 ここに来るまでに何百という人とすれ違ってきたが、その多くがマントを羽織った剣士やがっちりとした鎧を装備した亜人、ローブを纏った魔法使い、もといマディラム使いだった。

 

「やっぱり街に馴染むにはこういう服が妥当かなー」


 かく言うアリヤも軽装な純白のローブを着ている。

 

「ねえねえミツル、ミツルはどんな感じの服がいいの?」


 アリヤも年頃の女の子。服屋は彼女にとって輝かしい場所なのだろう。さっきとは打って変わって無邪気にはしゃいでいる。


「どんなって言われてもな……」


 正直分からない。

 今目の前に沢山並んでいるのは、アニメや漫画に出てくるキャラクター達が着ている服と同類の物だ。

 故にそういった服など着た事も無く、困惑するのも致仕方ない。


 ミツルが悩んでいると、アリヤが手招きをして促してきた。


「ねえ、奥にも色々あるみたいだよ。――ミツルの今着てる服は黒いし、どうせならそのまま黒づくめにしたらいいんじゃない?」


 冗談めかしてそう言いながら二人で奥に進むと、少し暗い部屋に入った。

 そこには埃こそ乗っていないが、地味な服や装備品が十把一絡げに置かれていた。


「ここはあまり人気の無い物が多いみたい。――ほら、どれも安くなってるし」


 値段の書かれたタグに目をやりながら、アリヤは少々不潔な空間を意外にも気にすることなく目に止まった銀のファーの施されたフード付きの黒いコートをミツルに差し出してくる。


「んー、これなんてどうかな? 風のマディラムの加護がんであるから、これを着てるとさっきみたいに空も飛べるよ」


 ――まじか。そんなものを雑に置いておくなよ。

 

 アリヤに手渡され、ミツルはさっそくそれを試着してみると、店内に置かれたスタンドミラーの前に立って確認してみる。


 丈は手直しするとして、コスプレのように思えなくも無い。アリヤが光だとするのなら、ミツルは影と言ったところだろうか。が、これならしっくりくるし、アリヤ曰く値段もそれほど高くはないとの事だ。それに飛べるというのに惹かれる。

 異世界で魔法を使って空を自由に飛び回るのは王道だ。例えそれを除いても、人間は古来より空を飛ぶことを夢見てきた生き物だ。それが羽根も無しに飛べるというのは美味しい話だ。


 ――鳥よりも自由に空を駆けられるかも知れない。掘り出し物を見つけたな。


「これにするよ」


「ほんと? やった」


 自分の選んだ物が採用されたからか、アリヤは嬉々として両手を胸の前でぎゅっとする。


 アリヤの女の子らしい仕草を横目で見つつ改めて鏡を見ていると、ミツルはふと既視感を覚えて顔をしかめる。


「……にしてもこの服、どこかで見たような気がするんだよな……」


 それも割と最近のような感じがする。前の世界で見たのか、この国の街中ですれ違った者の中にいたのか、思い出せない。


「そっくりな服なんていっぱいあるよ。考え過ぎじゃない?」


「そう、だな……」


 アリヤに言い聞かせられ購入するため一旦コートを脱ぐものの、ミツルはどこか腑に落ちない様子でんー、と一人唸る。


 ――それから頭の隅に疑問を残したまま三十分ほどかけてズボンや靴も揃えると、ミツルはこの世界の通貨価値が分からないためアリヤに会計を済ませてもらった。


 コートにおいては店員から丈合わせができるまで少し時間がかかると告げられ、仕方なしにミツルはアリヤと共に街をぶらつき時間を潰すことにした。



 〜 〜 〜 〜 〜



 ――昼食がてらアリヤと軽く食べ歩きをしながら、他に必要のある物がないか模索して回る。


 その間すれ違う街の人々に珍しいものでも見るかのような目で見られ続けた。


 ミツルは人に見られるのが好きではない。


 注目の的にされるというのは歯がゆく身体がむずむずするのだ。

 司会や生徒会長のように、自ら率先して人前に立つという行為はなかなかどうして理解し難い。


「姿を透明にするマディラムとか無いのか?」


 堪えきれずミツルは冗談交じりにアリヤに懇願するが、彼女は苦笑し「そんな都合の良いものは無いよ」と口にしながら、


「ミツルって案外恥ずかしがり屋だったりする?」


「いや、恥ずかしいんじゃないんだ。単に人間不信なだけだよ」


「またそんなこと言う。悪い人達ばっかりじゃないと思うけどなー。――あ、そうだ」


 優しい彼女が空を見上げながら呟くと、言葉尻に何か思い付いたように付け足す。


「ミツルも使ってみたくない?」


「何をだ?」


 出し惜しみをするアリヤにミツルが言うと、彼女は含み笑いをひとつ。そして歩くミツルの前に一歩踏み出ると、


「自分の内にあるマディラム」


 髪を揺らして振り返り突拍子もなくそんな事を言うアリヤに、ミツルは軽く驚きながら聞き返す。


「使えるのか……? 俺も?」


「どうだろ? でも誰にでもマディラムは存在するからね。それを使えるのかどうかは、やってみないと分からないけど」


「頼む」


 食べ終わった串の先端を咥えて言うアリヤにミツルは即答する。


「りょーかいであります」


 魔法を使えるのなら是非も無い。

 ミツルは横に歩き直るアリヤにお願いすると、串焼きを数本食べ満腹になった上機嫌な彼女は快く引き受けてくれた。



 ――――街の外れにある誰もいない少し広い空間に来ると、アリヤはミツルから少し距離をとって話しかけてくる。


「じゃあ教えるね。でも少し危険だから、一応少し離れておいたほうがいいかな」


「これくらいでいいか?」


 ミツルが確かめながら二、三歩後ろへ引き下がる。


「うん、そのくらい。――まず、自分の中にあるマディラムをイメージしてみて。マディラムは心象風景を七つある属性に反映して具現化したものが、この世界の大気中にある魔術回路と結合して起こる現象なの」

 

「属性を具現化……」


 ミツルは取り敢えずやってみようと薄く目を閉じてイメージしてみる。


 悲観的な自分の心を表現するとすれば、まず間違いなく暗黒だ。瞼の裏の暗さなど比にならぬくらいの。

 他人に穢され尽くされたこの思考は深海のように暗く、深く、そして自分でもわかるくらいに不可逆的でみすぼらしい。


 けれど同時に、心の奥底では純粋なまでの理想がある。

 愛想笑いではなく本音からくる笑顔を見せられて、気なんて遣わず、頼れて頼られて感謝も謝罪も言わなくとも伝わる、以心伝心を体現したような、自身の全てを真に理解してくれるような、そんな不気味でありもしない存在を欲している。


 悪の概念なぞ持ち合わせていない、純白な相手を。


 ミツルがしばらく集中していると、身体の周りに不規則に点滅する白と黒のオーラが漂い始める。


「初めてにしては上出来だね。ミツルの属性は――光と闇の二属性か。あれ……、でもこれって……」


「二属性? それって珍しいのか?」


 所謂いわゆる数百年に一人の天才的なやつかと思ったが、アリヤの言葉に含まれた感情からしてそうでは無さそうだと察し、ミツルは期待せず彼女の返事を待つ。


「あ、う、ううん。珍しく無いよ、至って普通。ひとつしか使えない私みたいな人と比べれば、多少優れてはいるけどね」


 アリヤは眉を上げ、きょとんとした表情でしれっと答える。


 やっぱり、そう簡単に強くはなれないか。


 ミツルは気を取り直すと、次の質問へと移る。


「光と闇って、具体的にどんな事ができるんだ?」


 アリヤはうーんと考えながら右手の指を折り曲げて数えていく。


「光のマディラムだと、目眩めくらましをしたり明かりを灯したり……。他のマディラムもそうだけど、光に関したことなら大体のことはできるよ。闇のマディラムは影を自在に操れるらしいから、影で武器を造ったり、影の中に身を潜めたり、逆に相手を影の中に落としたりしてる人を見たことある」


「えげつないな……」


 聞いた限りだと、どうも光のマディラムよりも闇のマディラムのほうが使い道が多そうではある。


「詠唱とか無いのか?」


 魔法に詠唱は付きものだ。もしや長ったらしい詠唱をいくつも覚えないといけないのだろうかと杞憂していたが、アリヤは首を横に振りミツルの目を見据えると、


「ううん、無いよ。マディラムは個人の想像力に作用するから、イメージさえ咄嗟にできれば瞬時に発動するの」


「ふーん……」


 妄想している者ほど上手く扱えるということだろう。便利なサービスだ。


「試してみてもいいか?」


 ミツルはアリヤに問題が無いか許可を得る。アリヤは辺りを見渡しながら、


「街外れって言ってもここは帝都の中だから、激しい行動はつつしんでね」


「ああ」


 ミツルは短く返事をして目下へ向くと、脳内でイメージを描きながら自分の影を見つめる。


 しばらくすると影が水面のように滑らかに揺れ動き、その中に音もなく身体がスムーズに吸い込まれていく。

 水中とはまた違うような何とも言えない感覚に陥り、頭まですっぽりと影に浸かると地面の中から地上が透けて見れるようになった。まるで忍者のようだ。

 ミツルは少しの間そのまま影の中に浸ったあと、再びイメージをして影が自分の足裏を押すようにして地上へ出た。


 その様子を見ていたアリヤは朗らかな笑顔を振り撒きながらぱちぱちと拍手をしてくれる。


「ミツル上手だね! 大抵の人は最初膝くらいまでしか入れないんだよ」


「……そうなのか?」


 子供が自転車に乗れたのを喜ぶ母のように褒めるアリヤにミツルは少し照れくさくなると、照れ隠しのためにそっぽを向きながら話題を変える。


「そろそろ服も出来た頃だろ。――戻ろうか」


「うんっ、そうだね」


 そうしてミツルは元来た道を戻りながら、すっかり機嫌の直ったアリヤからマディラムについて更に詳しく聞き取るのだった。


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