第一幕・二『歯には刃を -ハニハハヲ-』


 〜 〜 〜 〜 〜



 ――ミツルは記憶が曖昧であることを理由に、まずこの世界の仕組みについて訊くことにした。

 

 まず、この世界は『メルヒム』と呼ばれていること。

 

 獣人や妖精、エルフやドラゴンなど、亜人類が当たり前に存在すること。

 

 二つの大きな国が日夜対立し、アリヤが住む国が『リー・スレイヤード帝国』、もう一方が『トルマキヤ公国』という名前であること。

 

 その両国間に直立する世界樹、『オルメデス』は古来より存在し、決して傷つかないとされる謎多き大樹であること。


 音声言語は一致するが、文字は片仮名を線で繋いだような全く読めない字体であること。


 この世界では『マディラム』と呼ばれる所謂いわゆる魔法なるものが存在すること。


 マディラムには、火、水、風、雷、地、光、闇の七種類があるということ。



 正直、こんなのはゲームや漫画の中だけの話だと思っていた。

 だが目を瞑っても、目を擦っても、目前の光景は依然として同じ。

 

 現実逃避なんて口実を利用するつもりは毛頭ないが、日々RPGのような幻想的で広大な異世界に憧れを抱いていたミツルは内心悦に入っていた。


 現にたった今、ミツルはアリヤが使う風のマディラムで鳥のように空を飛んでいる。しかしコントロールは効かない。

 魔法をかけているのはアリヤであるため、操縦の所有権はどうやら彼女にあるようだ。

 そうするとミツルは飛ぶというより、運ばれているという表現のほうが適切なのではないだろうか。


 そのアリヤはと言うと、ミツルの隣で同じく空を駆けている。


「――気持ちいいでしょー!? 風のマディラムの醍醐味は空を飛べることだと思うの!!」


 風を切る音に負けないように大声でミツルに話しかけてくる。

 ミツルもアリヤに聞こえるよう、目一杯声を上げて返事をする。


「そうだな。他のマディラムでは空を飛べないのか?」


「使い方次第ではできなくもないよ。雷なら地面に混ざってる砂鉄を使って浮くこともできるし、飛ぶのとはちょっと違うけど、水や地のマディラムなら推力で大きく空にジャンプすることもできるよ。――でもやっぱり風のマディラムよりは劣るかな。ここまで自由に飛べたりできないし」


「ふーん……」


 アリヤの説明を頭に入れながらミツルは軽くその話を打ち切り、少しの間を置いて次の話題へと移行する。

 ミツルは気遣わしげにおそるおそるアリヤの顔を覗きながら、


「……にしても、良かったのか?」


「何が?」


「いや、何がって……。その、俺なんかを導いてくれてはいるけど、アリヤにも反対方向に用事があったんじゃないか? 何の目的も無しに飛んでたわけじゃないんだろ?」


 ミツルの言葉にアリヤは「あー」と思い返すようにして上空に目を向けるが、それもすぐににっこりとした表情に変えるとミツルに向き直る。


「大した用事じゃなかったし大丈夫だよ」


「……ならいいけど……」


 そんな話をしながら目的地へ向かっていると、前方に高い七角形の城壁に囲まれた街並みが見えてくる。中央部にがっしりとそびえ立つ、見た限りだと一番大きな建物はおそらく王城だろう。コンクリートのような色合いを基調にした建築物に、赤の周りに白い線を施した幕が垂れ下がっている。よほどの権力者なのか、嫌味ったらしいほどに広々と領地を陣取り、その周囲を囲うように城下町が遠くまで続いていた。所謂いわゆるリシャット構造だ。


「ほら、あれだよ。リー・スレイヤードの城下町、帝都リネモア。――そういえば、ミツルのその変わった服装だと街の人たちに怪しまれゃうから、どこかのお店で一色揃えたほうがいいかも」


 一度言葉を切り、アリヤはミツルの服を一瞥いちべつすると苦笑いをしながらそう口にする。


「やっぱそう思うか……? 仕方ないな」


 前の開けた黒いパーカーの下に灰色のシャツ、下は黒色のチノパンツというこの少しラフな出で立ちは現実世界では結構気に入っていた服装なのだが、両国対立というのもあり、怪しまれると厄介なのでアリヤの提案に素直に乗ることにした。

 彼女自身はミツルを対立国のスパイだと警戒していないのだろうか……?


 ――城門前に降り立ち、そこから堂々と街に入る。


「いつ見ても変だよね。外から来る人達はいつでも大歓迎って感じなのに、出るときは許可無くして出すこと禁ず、だもん。この国の人達みんなその在り方が普通だと思ってるからか、誰も疑問に思ってないんだ」


 入ってきた門へと振り向きながら、アリヤは訝しむような顔つきで話す。


「まあ、敵国の偵察や魔物なんかが入り込む可能性も低くはないだろうしな」


 確かに言われてみると疑問がいくつか浮かんでくる。


「アリヤは別の場所からこの国に来たのか?」


「どうして?」


 ミツルの率直な疑問にアリヤは聞き返す。


「いや、さっきの言い方からしてそうかなって思っただけだけど……」


「私は生まれも育ちもリー・スレイヤード帝国だよ。家が帝都から離れた辺境にあるから、きっとリネモア付近に住んでる人達よりこの国の様相に慣れてないんだろうね」


 そう言いながらアリヤは苦笑する。


 ミツルとアリヤは一定のペースで帝都方面へと突き進んでいく。日中だからか人だかりはごった返し、中央通りである大きな道では見たことの無い巨大な鳥類らしき動物が馬車や荷車を引きながら駆けて行く。


 この世界において珍妙な格好をしたミツルは、出来るだけ街の人々に姿を見られないようアリヤと共に隅っこへと歩み寄る。


 ミツルが石畳の上を行き交う住人たちを観察していると、店を探す前にある事に気付く。


「……そういえば俺、無一文なんだけど」


 そう言うとアリヤはあっと声を上げる。彼女の目にはミツルが貧相に見えているのだろうか、しばし黙考して間を置いたあと、そっと口を開いた。


「少しなら出してあげてもいいけど、それだとまともな服は買えないし……」


 アリヤの意外な言葉にミツルは驚いて少しばかり目を見開く。


 当然だ。出会ってまだ半日も経っていないというのに、目の前の彼女はよく知りもしない相手に金銭を差し出すと言うのだ。


 一体何を思ってそんなことを口にしたのかはなはだ疑問だが、とりあえずミツルは軽く手を前に出し、その言葉を押し留めた。


「いや出会ったばかりの奴に金なんか出すなよ。――ほら、なんか気軽に短時間でパッと稼げるとことか無いのか?」


 咄嗟に出たミツルの言葉に、アリヤは何かを思い出したようにしばらく悩んでから言った。


「…………賭博屋とばくやさんならあるけど……負けたら逆に無一文のミツルは服を剥ぎ取られるよ?」


 賭博――カジノか。この世界にもあるんだな。

 

「それにしよう」


 ミツルが即答すると、アリヤは慌てた口調で否定する。


「え、言い出した私が言うのもなんだけど、賛成できないよ! あそこは気の荒い人達が集まってるし、よく喧嘩してるもん。やめようよ!」


「けど勝てば大金貰えるチャンスなんだろ? 他に名案無いならそれしか無いだろ」


「でも……」


 心配そうな目で見るアリヤを横目にミツルは一瞬考える仕草をとると、さらに言葉をかける。


「アリヤはカジ……賭博屋の入り口前で少し待っててくれ。俺が合図したら扉を開けて入って来てほしいんだ」


「…………?」


 困惑した表情でミツルが何を言ったのか理解しようとするアリヤに、パーカーに付いたフードを被りながらミツルは最後にこう言った。



「合図は――――」



 〜 〜 〜 〜 〜



 ――カジノもとい賭博屋の入り口にある古びた観音開きの木扉を開けると、中は中世の酒場に似た雰囲気の薄暗い空間が広がっていた。

 カジノというからギラギラと光り輝く悪趣味な店だと勝手に思い込んでいたが、音楽が流れているわけでもなく、存外普通なので杞憂だったのだと少し安心する。


 ――これなら声も通りやすいな。


 扉を開ける音に気付いた賭博屋の客人達がこちらをじっと睨みつける。

 同じ穴の狢とはよく言ったものか、いかにもこういう場が好きそうな目つきの悪い奴らばかりだ。ここでは引け腰になると強気になり挑発してくる人間が多い。それは万国共通、どこの世も同じだ。

 

 ――ミツルは平静を保ち、暗がりの中からこちらを窺う奴らを一通り見渡すと、向かって右端の席に座っていた一番金を持っていそうな両指全てに指輪をはめた男に目をつける。


 にやにやしながらミツルの顔を見るその男にミツルは近寄り、ポケットに手を突っ込みながら問いかける。


「あんたの持ってる金、勝負して勝ったら全部くれないか」


 男はその言葉を聞くと、待ってましたと言わんばかりに吹き出し、高笑いで返事をする。


「はっ! 兄ちゃん正気かい? いくらあると思ってんだ。……あーいや、いいぜ、相手してやる。見たところよそ者のようだが、容赦しねぇぜ? 金目的ってことは負けても払えないんだろ? ――そん時はお前さんの着てる変わった服ひっぺがすからそのつもりでいとけよ?」


 ミツルの要求に男は最初軽く戸惑いを見せた。が、すぐに元の強面の表情に戻すと、面白そうだとでも思ったのか、ミツルの申出に乗ってきた。


「ああ。ゲームはあんたが決めてくれ。あと、俺はあんたの言う通りよそ者でね、この辺の文字は読めないんだ。だからやり方の説明も頼む」


 ミツルがそう言うと、男は驚きながら聞き返す。


「なんだ兄ちゃん。字もわかんねぇのにやんのか? さっきも言ったがそれでも俺は容赦しねぇぞ? ――まぁ、やり方くらいなら教えてやるよ」


 ――それから五分ほどルール説明を聞き、ミツルは一再ならず驚いた。


 確かに見たこともない文字だ。しかし、ルールは呼び方が違うだけでババ抜きとほぼほぼ変わらなかったのだ。

 ただし、手札の順番を入れ替えるのは無しと来た。

 つまりババを引いてしまえば、相手にババの位置を知られてしまうという事であり、そうしてしまったが最後、事実上負けは確定となる。


 正直ルールを聞くまでは百パーセント勝てる自信は無かったのだが、現実世界のトランプゲームと相違ないのなら話は別だ。


 ミツルは微かに口角を上げ、男にルールに間違いは無いか最終確認をとるとゲームをスタートする。


「遊びを知ったばかりの田舎もんに、俺が負ける理由があるかぁ!?」


 ゲラゲラと嘲笑する目の前の男は、なおも無駄口を叩き続ける。

 男が言うには、この世界ではミツルの元いた世界とは違い広く一般的に知られているゲームでは無いらしい。


「この指輪はなぁ、今まで兄ちゃんみたいに俺に挑発して無残に敗北してきた奴らから剥ぎ取ったものなんだよ。言ってる意味が分かるか!?」


 周囲を気にせず大声で喋る男の目は、襲いかかってくる熊や猪を打ちのめし、皮を剥ぎ取る狩人のそれによく似ていた。

 おそらくこの場にいる中では強い類いなのだろう。


 ――にしてもよく喋るやつだ。俺の意識をそらせたいのか。

 だとするならば、何かよからぬ事を企んでいるということにもなりうるが。


 ミツルは密かに警戒心を固めると、自身の手札へ視線を向ける。

 

 ミツルの手元にババとなるカードは無い。

 ということは、持っているのは相手側だ。


「初心者だ。ここは先手を譲ってやるよ。先に引きな」


 言われ、ミツルはまず男が自分の目を見ていることを確認する。

 次いで男の持つカードをゆっくり、向かって左端から順番に手でかざしていく。男はミツルの目をじっと見据えたまま俯瞰している。

 

 ――それでいい。

 

 左端からスタートした手は右端まで到着した。

 それから何往復か同じことを繰り返す。

 

 男は早くしろと言うような目でミツルを睨んでいた。ミツルがババを引いて落胆するのを楽しむつもりなのだろう。だが、そうはさせない。

 

 ――。


 ミツルは何の躊躇いも無く、向かって右から二番目のカードを引く。男は表情を崩さず平静を保っている。


 続いて男がミツルの手札を引く。

 ミツルの手札にはババが無いため、相手も考え無しに躊躇無くカードを抜き取った。


 ――――ものの数分後、相手の手札は二枚、ミツルの手札は一枚にまで減っていた。


「なかなかやるじゃねぇか兄ちゃん」


 男はそう言って余裕のある表情をとるものの、ここまで苦戦するとは思っていなかったのか、頬に冷汗が一筋流れている。

 

「まあな」


 ミツルは無愛想にしれっと短く応える。

 

 おそらくこの男はこれまでカジノゲームで負けたことが無い、あるいは負けた回数より遥かに勝っている回数のほうが多いのだろう。

 あれほど自信に満ちた表情をしていたのだから、そう思うのもおかしくない。

 

 ――歴戦の猛者である男は勝負に夢中になっていたのか、あるいは動揺が形となったのか、不意に机の隅に既に飲み終わって置いていたグラスに肘をがっ、とぶつけた。

 

 場外へと押し出されたグラスは自然、重力によって下へと落下していく。

 使い古された透明の容器は地面に到着すると、ガシャンと激しい音を立てていくつかの破片となり砕け散った。


 ――突然の音響にびくりと肩を震わせ、周囲の人達が一斉に元凶の方向へ振り向く中、店の者は壊されたグラスの破片を見るや鋭い眼光を男に向けた。

 だが男はまったく気にすることもせず、その視線を無視する。

 

 ミツルは複数に分散した硝子の断片を横目でちらっと見た後、すっと視線を元に戻した。


「物を粗末にするなよ」


 ミツルがあっけらかんとした態度でそう言うと、男は「悪い悪い」と反省の色を見せずに謝罪した。


 まあいい。今は俺のターンだ。左のカードを引けば金が手に入る。


 ミツルは相手が握っている二枚のカードから左を選び、勢いよく抜き取った。


 勝った――。


 そう思った。


 しかし抜いたカードを見てみると、それはミツルが持つカードと同じ柄ではなく、狂気の笑みを浮かべる死神が描かれたジョーカー。ババだった。


「……!?」


 俺が読み違えたのか?

 いや、そんな事はない。確実に左がババだったはずだ。男が左右のカードを入れ替えたのも俺は見ていない――

 

 そこでミツルは妙な違和感に苛まれた。


『見ていない』?


 その言葉が異様に引っかかる。

 男の目はずっとミツルの視線を捉えていた。

 対するミツルも、男の目をずっと見据えていた。

 男が不審な動きをしないよう、目をずっと見ていた。一度として男から目を離しては――――いた。


 ミツルは思考を回転させ、数分前の記憶を探る。するとある事が脳裏をよぎった。


 ミツルはその記憶と一致する、机の下に散らばる破片を見る。


 ――これか。


 これしかない。

 俺はその時一瞬、男を見ていなかった。


 今思い返すと、男がグラスに肘をぶつけるという行動は至極白々しかった。

 その一瞬の間に、男は手札を入れ替えたのだ。

 だから男もじっと俺の目を見ていたのだろう。

 俺を手に持つカードから背けるために。


 迂闊だった。

 油断していた自分に腹立たしさを覚え、同時に嫌気がさす。


 だがどういう事だ?

 手札の順番を入れ替えるのはルールによって禁止では無かったか?


 カードを見ていた目を男の方に移動させると、それまでポーカーフェイスを貫いていた男は、ジョーカーの死神のように不敵な笑みを見せていた。

 

「はっ、あっけなく引きやがった! ここまで苦戦させられたのは初めてだ。お前も結構強かったが、俺よりは雑魚だったみたいだなぁ。どうやって今までハズレを避けていたのかは分からないが、最後に勝つのは、この俺だ」


 声を荒らげて喋る男は、さも勝ち誇ったように満面の笑みを浮かべている。


 なるほど、俺がババの場所を知っていると踏んで、その裏をかいたわけだ。

 つまりはバレなければルールを破ってもいい、ということか。

 百パーセント勝てる自信のあったゲームが、己の軽率な判断のせいでおおよそ半減した。

 馬鹿正直に得体の知れない世界でのルールに付き合ったのが何よりの証左だ。


 まったくどいつもこいつも、人間というのはいつの時代どこの世も醜いことこの上ない。

 自分を含め、人間は人間を騙し利益を得る。

 損得勘定などでは断じてない。得のみを得ようと考えるのが我々人類だ。人間観察をしていると、歴史を振り返るといかにそれが多かったかがよく分かる。


 ――いいだろう。

 ならばこの戦況、変えてみせよう。


 得をしようと躍起になる奴に、損のみを与えて進ぜよう。

 

「ああ。あんたもなかなかに強い。 一手取られたよ、それは認めよう。――けどな。 俺にはがいる。そいつは俺よりも断然強いぞ? ――時間も時間だし、そろそろ来るんじゃないか」


「……!!」


 ミツルが薄ら笑いを浮かべてそう脅しをかけたその瞬間、入り口の扉が勢いよく音を立てて開いた。

 大きな音に驚いたのか、男を含め全員が扉に視線を送る。


 扉を開いて気生臭い部屋に入って来たのは、穢れのない煌びやかな白銀の髪を揺らした少女――アリヤだった。



 〜 〜 〜 〜 〜



 アリヤは部屋の中を一瞥いちべつしてミツルの姿を見つけると、そのまま木製の床をぎしぎしと鳴らしながら近寄って来た。


「ミツル、これどういう事なの? 私は何をすればいいの?」


 アリヤはおろおろと今もって困惑していた。

 言わんとすることは分かる。

 突然訳も分からず目つきとガラの悪い人間が跋扈ばっこする暗い空間に足を踏み入れば、普通の女の子なら背筋が凍りそうになるだろう。そんな場所に来れたのであれば、彼女の勇気はなかなかに強い。


 ――とりあえず安心させようとミツルが開口しかけると、男が横から口を挟んできた。


「兄ちゃんの言う、自分より強いお仲間ってのはこの嬢ちゃんかい? とてもそうは思えねぇけどなあ」


 男は胡乱げにそう呟くと、アリヤの見た目に拍子抜けしたのか、再び自信に満ちた表情へと戻る。


「いいぜ、相手してやる。せいぜいまた金目の物を増やしてくれや」


「俺との勝負がまだついてないだろ。――アリヤは後ろで見てろ。あとは俺がやる」


 男に聞こえないよう小声でそう言うと、ミツルは異世界版ババ抜きへと勝負に戻る。

 

 ――布石は既に打った。


 男はやれやれと見切りをつけた態度で、ミツルが手札の右にやったババと逆のカードを粗末に取った。


「…………は?」


 思考と体が停止して目を見開いたまま固まる男。

 ミツルはすかさず男のもう一方の手に持つカードを抜き取った。


「俺の勝ちだ」


 そう言うと、ミツルは柄の揃った二枚のカードを机の上に投げ出した。


 ――しばらくの沈黙のあと、電源が入ったかのように動き出した男は、動揺を大げさに表すように机に乗り上げて問いかけてくる。


「――ッ、何で!? 右がハズレだったはずだ! 俺は始終見てたんだ! なのになんで!!」


「へえ……。――どうして、ハズレの位置を知ってるんだ?」


「……っ」


 わざとらしく不敵な笑みを浮かべるミツルの言葉に誘導されボロを出し、男は思わず返す言葉を詰まらせる。


 ミツルは勝負はついたからもういいかと、結んでいた唇を静かに開ける。


「自分の使った子供でもわかる姑息な手段を、自分で見破れないのかよ」


「……は!?」


 目を白黒させて何言ってんだこいつというような顔で取り乱す男に、ミツルはやれやれと種明かしを披露する。


「俺もお前の視線をらしたんだよ。ミスディレクションだ」


「ミス…………?」


 呆然と口を開ける男に、ミツルは分かりやすく説明する。


「あんたがやった事と同じだよ。――あんたはわざとグラスを割って俺の視線を逸らし、その隙にカードを入れ替えただろ? 俺はアリヤが入って来る時に、あんたが視線をアリヤの方に向けた瞬間入れ替えたんだよ」


「なっ……」


 俺より強いというイメージを抱かせておくことによって、男は自分よりいかつい人物か、逆に賢能なオーラを放つ冷静沈着な人物を想像したはずだ。

 しかしその両方にも属さない意外性のある人物である華奢なアリヤを投入することによって、相乗効果が上乗せされる。それにより男はさらに目線を意図的に奪われ、トラップにかかることを余儀なくされる――。


 徐々に感情を取り戻してきた男はさらに質問を投げかける。


「嬢ちゃんが入ってくるかなんて分からねぇだろ! たまたま偶然入ってきたなんて言うなよ。――それにその前はどうなんだ! お前はずっとハズレを知ってたかのように次々と俺から引いていってただろ!? それこそ視線は俺と合ったままだった。どうやって見抜いたんだよ!?」


「がなるなよ、うるさいな」


 指で耳を塞ぎながらミツルは短く言うと、口うるさい男の質問に答えを出す。


「あらかじめ合言葉を決めてたんだよ。『仲間』って単語をキーワードに、それを合図に入ってくるよう仕向けた。それなら別に怪しまれるような単語じゃないし、言葉に含んで使えばなおのことばれない。――本当はもっと難しいゲームだった時のために使う保険だったけど、意外や意外、単純明快に俺のよく知ってるゲームだったからな」


「…………」


 瞠目どうもくして口をだらし無くぽかんと開けている男にミツルはさらに種明かしを続ける。


「あと、ハズレを知ってたのはな。俺は目だけじゃなくてあんたの身体全体を見てたんだよ。俺が左から順番にカードに手をかざしてたとき、あんたハズレのとこだけまばたきの回数増えてわずかに口の端が動いたろ?」


 ミツルがカミングアウトすると、男は絶句した。


「顔の微妙な動きで読んだってのか…………?」


「都合なことに人の心を読むのには少し腕に覚えがあってな、こと心理戦においては俺も負けたことが無いんだよ。――あんたみたいな性悪相手ならなおさらな。やられたらやり返すのは当然だ」


 これは何も好きで身についたものでは無い。


 幼少の頃から親や他人の顔色を窺い、汚い人間ばかりを見てきた。

 自分が一番可愛いと言い張る愚者しか見てこなかった。

 愚者が結託して、衆愚の社会を作り上げた世界を俺はどれだけ見てきたと思っている。

 これは呻吟し、葛藤し、苦心し、忖度し、絶望して猜疑心を極限に旺盛にした上でやっと身につけた技術だ。


 悪巧みをしている屑の考えなど、俺には通用しない。

 はなから欲望剥き出しに尻を振ってくる輩に、この俺が敗北などするものか。


「何の準備も無しに勝負に出るなんてのは馬鹿のやる事だ。人の世界で生きるための基本は、人を疑うこと。信じないこと。――日々これ戦い。覚えとけ」


「………………」


 男は無言のまま懐を漁ると、ジャラジャラと鳴らして皮袋を取り出しミツルに差し出した。


「俺の完全な負けだ。――これは金だ……持っていけ」


 ミツルはそれを受け取ると、男の手に指をさして言った。


「その指輪もだ。全部とは言わない。けど半分はよこせ」


「これも取んのか!? その金だけでいいだろ!」


「やられたらやり返す、とは言ったが、俺はあらゆる手段を使ってやられた分その何倍にもして返す。……あんただって散々俺を無下にしたろ。これは決定事項だ。断るなら……」


 そう言いながらミツルはこれ以上無いほど目を尖らせ、目で殺すかのように男を見下した。


 それを見た男はぎくりと体を震わせ、指に嵌めていた指輪を半分外して机に置いた。

 ミツルは無言でそれを取ると、身をひるがえし後ろで見ていたアリヤに袋を見せた。


「勝負は俺の勝ちだ。これで服一色買えるだろ」


「え? あ、うん……」


 そう言うと、ミツルは周りの奴らがアリヤを下心のある目で見ているのに気が付く。

 

 ミツルはアリヤの手首を掴むと、早々と元来た木扉を開けて出て行く。


 男は退場するミツルの背中を、汗でへばりついた服に気味の悪さを感じながらただ怒りを秘めて見ていることしかできなかった――。


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