独白『黒尽くめの男 -クロヅクメノオトコ-』

 本文は次話からになります。

 〜 〜 〜 〜 〜



 ――――あるところに、という典型的なフレーズと共に星の地に一人の赤子が産まれ落ちた。


 薄く生えた黒髪、赤い肌、極々平均的な重みを持ったぶくぶくの手足。世界がまだ霞んで見える、細く開いた両の瞳。


 初めて空気を吸い込み、善と悪の概念すらまだ知らないはずなのに、残酷なこの世に産まれたことに嘆き泣き喚いている純真な玉のような子。


 暗い苗字に負けないようにと付けられた――矛盾したみつるという輝く名前。


 どこにでもあるような家庭に生まれ、ほかと比べれば少しお金に余裕が無いことを除けば、普通の家柄で育つ人間だったと、そう聞いている。


 ――俺の脳に残存している最も古い記憶は、家の階段から転げ落ちたことだ。確か三歳の頃だったはずだ。


 どれだけ痛かったか、なんてことは既に覚えていないが、泣いたことは憶えていた。

 母が駆けつけ、軽い身を抱き上げ、あやしてくれたのをよく憶えている。


 そしてその時、初めて他人の顔色をうかがった。家事の忙しい中、その全てを放り投げて助けに来てくれたのは嬉しかったが、自分が余計な失敗をしたせいで無駄な労力を使わせたんじゃないかと。


 そう思った途端、転げ落ちた痛みや恐怖よりも、泣いてはいけないという使命感に駆られた。

 痛みに耐え、泣くのをやめ、自分は弱くはないからとうそぶいた。


 初めての強がり。ありもしない強さ。欺瞞の力。


 初めは自覚なんて微塵も無かった。ただ「気の利く奴」と呼ばれるくらいなものだ。


 例えば、家族揃っての食事中に誰かが顔を上げれば、視線を正確に辿って醤油差しを欲しがっているのだろうと手を出す前に察知して渡したり、また扉を開ける前にちらりと影が見えたならば、瞬時に退いて鉢合わせでぶつからないよう配慮したりと、そんな日常の、ほんの少しの何の気ない気遣いだった。


 だが気が付けば、買い物に出かけて親に欲しい物を聞かれても、何も要らないと言い張り続ける自分がいた。お菓子を買ってやると言われても、金も無いのだから無理をするなと思っては断り続ける。


 違和感を覚えたのは、確か小学校の低学年くらいだっただろうか。

 いつものように家や学校で皆と駄弁しながら、ふと思った。――俺は何をしているのだろうか、と。


 さして面白くもない話題だというのに周りが笑っているからと自分も笑い、興味もない遊びでも誘われれば断らずに参加し、挙句の果てには親や教師が今その瞬間に何を求めているのか忖度する。


 そんなふうに常に周囲全員の心を読もうと必死になっている自分を客観視して、とてつもない疎外感に襲われた。どうしてこのような事をしているのか。どうしてこんな事をしなければならないのかと。


 周りは心底楽しそうに喚き散らして大口を開けて笑っているというのに、まるで自分は皆の要望に応える奴隷ではないかと思った。


 自己表現が薄く、コミュニケーション能力もとぼしかった自分は確かに、確実に何度か言われたことはある。


『お前はあやつり人形のようだ』と。

『奴隷みたいな奴だ』とも。

『ロボット』とも。


 なにもなりたくてなったわけじゃない。

 自我が芽生えてから、こういう人格者だっただけだ。それを真っ向から全否定されるなど、どうしろというのか。


 腹立たしかった。何も知らずに何も理解せず、のうのうとわがままに生きている衆愚達が。


 苛立たしかった。一日中毎日毎日他人を観察し、無様に恥ずかしげも無く生きている自分自身が。


 誕生日が辛かった。

 本来嬉々として喜ぶべき日のはずなのに、落胆しか感じなかった。

 気を遣うのがもはや癖になっていた俺は、誕生日プレゼントであろうとも気を抜かずに「欲しい物は無い。だから無理に買わなくてもいい」と発言し、それだけだと気を遣われていると思われるだろうと思い誕生日ケーキだけは買ってもらう。もちろん笑顔も絶やさずにだ。


 早く誕生日が終わらないものかと、時計ばかりを何度も何度も見ていたのをよく憶えている。


 小学校の高学年になる頃には、既に現在の人格の四割を形成するまでに至っていた。ただその頃からは今までの行動に疲労感を感じるようになり、それを補うために口数が減った。笑顔も減った。――そして、友達も減った。


 そこから奈落へ落ちるまで、そう難しくはなかった。

 散々気を遣ってやって愛想を振り撒かれておいて、ちょっと本性を現せば一気に距離を置く。そんなまがいものを、一体誰が友と呼べようか。

 向こうがそういった愚かな行動をとるのなら、こちらもそうしてやろうと、そう思って学校では一人でいることが極端に多くなった。

 もともと趣味も特技も関心も無かったから、必然的に会話は続かなかったし、何人かで歩くことがあれば必ず後ろからついて歩く形になっていて、そのことに苦を感じていたのも事実だ。


 だからぼっちと呼ばれようと、根暗と言われようと、お前らよりはだいぶましな存在だと、そう自分に言い聞かせて日々を過ごした。


 実際同調して無理な笑顔を取り繕っていた過去の生活を振り返れば、明らかに一人でいるほうが心が休まったし、落ち着いたし、楽になれた。


 けれど、孤独の味を知ってしまったら、もう輪の中には戻れなくなってしまう。

 孤独はある種の麻薬なのだ。副作用で対人とのコミュニケーションが取りづらくなるし、内向的になるし、悲観的になるし、外へは出たくなくなる。そして悪循環となって、いつまでも孤独な人生を送ることを強制されるようになってしまうのだ。


 極めつけは親の失業による失墜――――酒の暴飲だった。

 イカサマ嫌いだった親がギャンブルに手を出し、山が当たらなければ、帰って俺を殴り、蹴り飛ばした。

 よもや昔の優しい親の姿は見る影もなかった。


 幼い頃の気遣いが凶と出たのか、家には遊ぶものなどひとつとして無く、だから気晴らしにと勉強にのめり込み、少しでも親の機嫌を和ませられたらと、常に成績トップの座に着いた。

 もともと体力に自信が無かったため、体育での成績も落とさないように毎夜走って走って、走った。


 成績優秀、スポーツ万能。そんな結果を出せば女子から注目が集まるのも無理はない。

 高校では一度か二度、好意を吹かせる発言――所謂いわゆる告白を受けた。

 しかしわかっていた。所詮は女子共のお飾りにされるのがオチだと。


 つまるところ、彼女らは媚を売って手に入れた男をただ周囲に自慢したいだけなのだ。

 羨望の眼差しを向けられ、自分が高みに立った女王なのだと己を美化し勘違いする。そこに決して恋路や恋愛が介入することはありえない。そうわかっていた。


 わかっていたから、断った。

 だというのに奴らというのは本当にどこまでも醜い生物だ。


 欺瞞の契約を受理しなければ、今度は正反対な行動をとる。


 妬みから生じたものなのか、断れば自分が告白したなんてことをばら撒かれないよう先んじてありもしない陰口を言いふらしたりして、まるで脅しのように俺の周囲の人間を敵と見なさせた。

 その時点で彼女らの化けの皮は剥がれており、告白をしてきた当初の赤面した初々しい顔とは程遠く、穢れに満ちた醜悪な外面へと変貌していた。


 そんなおぞましい本性を事前に察知していた俺はさして驚くこともなく、羽虫が煩わしく飛び回っている程度にしか思わなかったが、あまりにも奴らの行動に終わりが見えないために仏の顔も三度、十数年抑えていた感情がついに公に漏れ出した。


 授業中にもかかわらずひそひそと悪巧みな笑みを浮かべる女子達のもとへ机が舞い、ノートに文字を書いていたはずのシャープペンは女子の手の甲を貫いていた。


 当然謹慎処分を食らったが、教師としてはさぞかし驚いた事だったろう。口数も少なく大人しい真面目な優等生が、急に勉学を共にする人に襲いかかったのだから。


 だけれど、教師の本性も、俺は既に把握していた。

 誰だって気付くはずだ。孤独者に大勢で苦痛を与えていることを。例え気付かなったとしても、どこからか情報は入り込む。世界はそういうふうにできている。

 だが教師はそれを知った上で放置、無視を貫いていた。面倒臭いというただそれだけの理由で。

 そのくせとぼけて聴取する始末だ。どいつもこいつも居なくなったほうが世のためになる者ばかりだった。


 しかし、俺は落ち込むどころか気分が晴れ晴れしていた。

 初めて自分の感情を表に出して、至極すっきりしたのだ。


 それからというもの、俺は俺の性格を日常に晒すようになった。

 暇という名の自由時間を堪能して思考を巡らせるあまり寡黙になり、無理に作っていた笑顔もやめ、馬鹿な言動を繰り出す輩には容赦をしなかった。


 表では優等生を装い、裏では悪を断罪する処刑人として、不良を嬲って、嬲って――嬲った。


 かつて食べ物の大切さを尊み必ず合わせていた手も、今では自分の糧となって当然だと無言で箸へと手を伸ばし。

 どれほど腹が立っても決して口に出さなかった命を無下にする言葉も、今や息をするように簡単に声にする。


 報道で誰かが死ねば、こんな価値の無い世界から退場できて良かったではないかと思い、また逆に極悪人が判決を下されればもっと残忍な方法で苦痛を与えろと歯軋りをしていた。


 就職後は汗水流して怪我も絶えず毎晩遅くまで仕事に人生を費やし、そんな努力を見てもくれていなかった上司に日々憤怒を抱えていた。

 挙句の果てには誰かのミスを勘違いして自分が怒られる始末。弁解すれば言い訳するなの一点張り。


 努力は必ず報われるなんて言葉に唾を吐き、世に蔓延はびこる苦労を知らず遊び呆ける害悪共に殺意を抱きながら家と仕事場を往復するだけの、そんな日々。


 仮に神が存在するとして、一体何が面白くて我々を生んだのかと神を恨み。


 人生を楽に生きやすくするために発展させているはずの日常を苦悩に変換している人類を憎み。


 そしてこんなにも悲観的に物事を考えてしまう人格を形成してしまった愚かな自身を呪った。


 みつる


 最もかけ離れた言葉で名付けられた――――独りの馬鹿で嫌われ者な、似つかわしくない、相応しくない男の名前だ。

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