末永千紗里の恋
金曜の十九時、新宿。
賑やかな駅周辺から少し離れると雑踏も無くなり静かな夜の街になる。国道から脇に入った所にある居酒屋の前で末永と待ち合わせた。五分前にそこに着くと既に末永が待っていた。同時に向こうも俺に気付く。
「あ、本宮さん!」
「早いな。まだ五分前の筈だが」
「あ、は、は。今、来たとこ、だよ」
何か末永の様子がおかしい。五味の方は順調と聞いている。局の方で何かあったか。
「入るか」
店に入ると既に末永が予約していた様で奥の個室に通された。これはよっぽどの事が起きているらしい。もっとも俺からするとこんなまどろっこしい事をせずさっさと電話かメールで事実だけを教えてもらった方が有難いのだが。
生ビールを頼み、暫く妙に落ち着かない様子の末永と待つ。直ぐにジョッキが運ばれてきたが、末永はそわそわとして視線も定まらず殆ど喋らない。向こうが喋らないのだから俺も喋る事が無い。誘っておいて用件を言われないのはとても気持ち悪い。
「じゃあ取り敢えず乾杯するか」
「あ、うん。……へー……そういうのはするんだね」
ジョッキを合わせ、グイッと飲む。あー美味い。三分の一ほど一気に飲み、ジョッキをテーブルの上に戻した。末永を見るとずっと飲み続けている。
「お前、酒、好きなの?」
仕事の話なんじゃないのか。大丈夫か、こいつ。
「プハーッ! あ、お酒? うん。大好き!」
みるみる顔色が赤く染まっていく。
「おい顔赤いぞ、無理するな」
「だ、大丈夫だよ!」
「で、用件は何なんだ」
「え? 用件?」
どういう事だ? 何でオウム返しを食らってるんだ。
「いや、お前が言ったんだろ。ゲームの事で相談事があるって」
末永がキョトンとする。
「え、あれ、冗談、なんだけど……」
「冗談? 意味がわからないが」
「え、嘘でしょ。いくら本宮さんでもそんな……」
不可解過ぎる。一体どういう事だ。単純に飲みたかっただけか? ならそう言えばいいじゃないか。てか会社の同僚と行けばいいだろ。あ、待てよ。確かこいつ前の打ち合わせの時でも加藤と初芝から若干ハブられ気味だった様に見えた。そうか、そういう事か。漸く腑に落ちた。
「分かった、末永。俺でよけりゃ相手してやる」
「ほ、本宮さん……!」
「お前も色々と大変なんだな」
「?」
それにしたって初めからはっきりとそう言えばいいものを、とは思うがどうもそうは出来ない人が大半なのだそうだ。昔、船場に言われた事を思い出す。
―――
(お前がどう思っているか知らないが、大半の人はお前の様にゼロイチでものを考えられない。言いにくい事はオブラートに包んで話す。それが日本人だ)
―――
こいつもきっとそうだ。まあ俺位しか友達がいないんじゃこいつも変わった奴なんだろうが。今日一日位は付き合ってやるか。タダ酒だしな。
機嫌良さそうに頬杖を突いてニコニコと俺を見てくる。酒好きなのに行く相手がいないのならば可哀想な奴だ。
「本宮さん、今日の私、どうかな」
真っ赤な顔で急に立ち上がり、目の前でクルッと一回りしてニコリと笑う。
「どうとは」
「オシャレにしてみたつもりだけど……何よその顔! ……んもう! 褒めてって言ってるの!」
俺の表情は何も変わっていない。幻覚も見えてきたのか? どうやら酒は好きだが強くは無いらしい。ただの酔っ払いだ。
「水色のブラウスと白いタイトスカートがよく似合ってるよ」
テレビ局の女性社員はこんな派手な格好で仕事するのか。俺達とは世界が違うな。
「え! 本宮さんからそんな言葉が聞けるなんて……意外!」
何だこいつ。言ってる事が無茶苦茶だ。
「どうしてだ? 褒めろって言ったじゃないか」
「何よ! 本心じゃないの!」
「いや可愛いと思うぜ。とても」
「……! いや、か、かわっ、あ、いやー……」
真っ赤な顔で、運ばれて来た二杯目のビールを一気に飲もうとする。流石に飲み方がおかしい。末永の右手を掴み、
「おい、やめろ。もうちょっと落ち着いて飲め」
「……!」
俺の手を見て目を丸くする。
「どうもおかしいぞ。やっぱり何か言いたい事があるんじゃないのか?」
「ある!」
言い切ってから口を押さえて『しまった』みたいな顔をしている。いやいやその状態から後戻りは出来んだろうが。
「言えよ。さっきも言ったが俺でよければ聞いてやる」
俺も優しくなったもんだ。船場の影響だろうか。最近、相手の心情を理解しようと努力しているんだがなかなか上手くいかない。
末永はうぅーと唸りながら膝に両手を置き、上目がちに俺を見てくる。かなり深刻な悩みの様だ。まあ聞くだけは聞いてやるが解決出来るかは別だ。だがこいつが精神的にダメになったりすると今の企画に支障をきたす。
「あ、あの、本宮さんって、かっかっ……」
「落ち着け」
「彼女はいますか!」
……?
彼女はいますか?
Is she somewhere?
もしくは、
Does she exist?
彼女?
『彼女』って誰の事だ?
そもそも『she』ってのは話している人の間で共通認識が出来てないと使えないだろ。俺と末永の間で共通で知っている人間など殆どいない。女性に限定すれば末永しかいない。であれば彼女とは末永か? 自分はいますか、だと?
「ほう。この俺に謎解きを?」
「は?」
違う様だ。
俺を睨む末永の目が怖い。血走っている。ビール一気に飲み過ぎだ。だがこの感じは『彼女』は俺が知っている筈のやつらしいぞ。だがそんな奴はいない。
「いないな、そんな女性は」
「……!」
笑った。口をつぐんでいるが顔がニヤけている。俺の答えは正解だった様だ。だがこれは一体何の意味を持つ問答だったのか。
「あの!」
まだあるみたいだ。そりゃそうだろう。こっちが本題って訳だ。末永は膝に置いた自分の手の方を見ながら、
「私、どう、かな?」
と蚊の鳴くような声で言った。
なんだと。
私どうかな?
こんな疑問文が許されるのか。そもそも文として成り立っているのか。
待てよ。つい先程も同じ様な事を聞いてきたな。さっきは洋服の話だった筈だ。酔っ払って同じ事を聞いているのか。いやそうではないだろう。酔ってはいるがまだ一杯とちょっと。酒好きなら序の口もいい所だ。待て、考えろ。この質問、こいつだけじゃなく、かなり前に……高梨だ。電車の中で突然聞かれた事がある。あの時は自分が社会人として、新人として働き振りはどう? という質問だったな。成る程。読めた。
「そうだな。普段のお前をもっと良く知らないと何とも言えないが」
「ひぇ! ……そ、それって……その……」
「俺は良いと思うぞ」
「…………えぇぇぇ!」
目を見開いて口を大きく開いてとても驚いている。そんなに自己評価が低いのか? ならそこは訂正してやらねばなるまい。俺はこいつの先輩でも何でもないが(むしろ俺より年齢も社会人としてもこいつが先輩だが)、俺を頼ってきている以上、放っては置けない。
「ほ、本宮さん、ほ、ほんと?」
「ああ。お前は才能もあるし、今回の企画が通ったのもお前の尽力のお陰だし、さっきも言った通り普段のお前をもっと見ないと正確な評価は出来ないが……」
「あの、その、もっと普段の私を見るって、その……」
む。こいつ何を言おうとしているんだ? ひょっとしてこの話の流れで前に言っていた、うちの会社に来ないか、って話を持ち出すつもりじゃないだろうな。残念ながらそんなつもりは毛頭無い。
「待て。俺はお前の会社に行くつもりは無いぞ?」
「そんな事わかってるよ。そんな事言ってないじゃない」
? そうだ。こいつはそんな事言っていない。俺の推測が外れたか。
だがこいつは何でこんな嬉しそうな、だがどこか不安気でビクビクしている様な態度を見せるんだ? その上目遣いはなんだ?
落ち着いて考えようか。
私どうかな?
これは無論、先程の『彼女はいますか』、つまり Does she exist? の疑問、そしてその答えの『そんな女性はいない』を受けての次の質問だろう。つまり『私がその彼女であればどうかな』と提案している感じか。
私が彼女であればどうかな。
……
なに?
私が彼女であればどうかな、だと?
彼女?
待て、ひょっとしてそれって she じゃなくって事か?
「おい、ちょっと待て」
思わず片手を突き出した。
「え、なに?」
「まさかとは思うが……お前が言っている質問は、自分が俺の彼女としてどう? って言ってるんじゃないだろうな」
「最初っからその話しかしてないよ!」
何と。待て待て。
「彼女いないんでしょ?」
「それは、いない」
「OKの返事じゃなかったの? 私もう恥ずかしくて死にそうなんだけど」
「いやちょっ……待ってくれ。取り敢えず、死ぬな」
見る見る泣き顔になっていく。
「私が彼女でも良いって言ったよね? 普段の私を見たいって言ったよね!」
肩を震わせているかと思ったら突然両手でバンッとテーブルを叩き、凄い剣幕で身を乗り出してきた。
「い、いやそれはお前が『私どうかな』って聞くから……仕事の評価を俺にしてくれって事だろ?」
「はぁ? 一体この世の誰が仕事の評価して欲しくて『私どうかな』なんて言うのよ!」
「俺の後輩の高梨という奴だ」
「いたのかそんな奴! ええい高梨め!」
一気にジョッキを空けながら大声で叫ぶ。この時既に個室の意味は無くなっていた。
まさかの告白って奴か。
この歳でこんな出来事に出会ってしまうとは。
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