Race8. 甘く溶ける
「颯馬、今大丈夫か?」
「父さん急にどうしたの」
実家での生活を過ごして数日が経過し次の土日がもうすぐやってこようという頃、父さんが急に部屋に入ってきた。平日の間は来望の部屋とオレの部屋を往復するような日々が続いており、それをお互いの両親に微笑ましい目で見られているという状態なのだが。
「次の日曜日なんだけど久々に競馬場に行かないか?」
「……まぁ特に用事ないからいいけど」
「やったぞー! ……あーでも来望ちゃんにはこのこと伝えておけよ?」
「分かってる」
父さんはまだ自分が若いと思っている節がある。だから時々口調が変になるんだが……まぁそこはいい。
問題は来望だ。これまでの来望ならば問題なくついてきてくれたと思う。でも今の来望は競馬に関する記憶を全てロストしている。誘っても来るかどうか正直微妙なところではあるが……一応聞くだけ聞いてみるか。
オレは来望の部屋へと向かうと、来望はベッドの上で小説を読んでいた。
「来望、何の本読んでるんだ……ってそれ」
「うん。写真見たら読みたくなった」
オレがコスプレしたキャラクターが出てくるやつじゃないかそれ。劇中において彼女は献身的なメイドとして描かれている。そんな姿に読者からの人気も高く、コスプレをする人にも人気があるとかないとか。
「それで颯馬、どうしたの?」
「日曜日一緒に出かけないかって。父さんと一緒になっちゃうんだけど」
「もしかして競馬場?」
「……そうだな」
来望は少し難しそうな顔でうーんと唸っている。そりゃそうだろうな、一緒に出かける先が競馬場ですって言われたらよほどの競馬好きでも無い限りは渋い顔をするのは当然だ。
「いいよ?」
「いいのか?」
「白いお馬さん、見られるんだよね?」
「えーっと……」
いるかどうかを調べるべくスマホで確認する。金曜の夜ならば日曜の番組も既に発表されているから、いるかどうかを探し出すのは容易だ。ざっと見ていくと、確かに何頭か出走しているのを発見したが、オレが見たのはオレ達にとって因縁のある馬もまた出走するという。もしかしたらと思うが、あの時の記憶が全て消え去った来望には関係の無いことだろう。
「うん、いるな」
「なら行く」
「わかった」
父さんにLINEで行くことを伝えると、了解とスタンプが送られた。用件は伝えたから自分の部屋に戻ろうとすると、来望がオレの服の裾を掴んで抑止する。
「颯馬、今日はここにいてほしい」
「来望がそうしたいなら」
来望のベッドに座ると、来望も横たわるのを止めてオレの隣にちょこんと座る。……しかし何も話すことがないな。来望は来望で本を読むのに集中しているし。
「颯馬」
「なに?」
「競馬って楽しいの?」
本から視線を外すことなく来望からそんな質問をされた。似たような質問を前にもされたような気がする。その時は来望は理解するのに時間がかかったが今回はどうだろうか?
「そうだな、馬が走ってるとこを見てるだけでオレは楽しいと思うぞ」
「……ギャンブルだよね?」
「まぁそれはそうだな。でもそれだけじゃない。たとえ馬券を握っていなかったとしても……誰よりも早く走ろうとするその姿に人々は酔いしれるのさ」
元来より早く走ろうとする者たちに称賛を与えることはよくあることだ。それが人間か馬かって違いだけだとオレは思う。
「それにしても急にどうしたんだ?」
「颯馬が競馬好きなの知ってたけど、私は知らなかったから」
「ならオレも同じだよ。オレも来望が好きなことをあんまり知らない」
来望が何かに打ち込んでいるところをオレは見たことがない。それこそオレを女装させることに命をかけているんじゃないかと勘違いしたくなるくらいだ。
「私の好きなこと……?」
うーんと考え込む来望。そしてしばしの諮詢の後に、一つの解を見出したようだ。
「かわいい颯馬を見ること……?」
「えっ」
「……颯馬、着てみる?」
来望は突如として立ち上がり、クローゼットを開ける。そしてかかっていた一つの服を取り出してオレに見せた。それはあの時着られなかった甘ロリの衣装。わざわざ東京から持ってきたのか? これを? 困惑しているオレをキラキラした眼差しで見つめる来望。
「……着るよ」
「ふふっ、可愛くなろうね颯馬」
「もう慣れたよ……」
かくしてあの時と同じようにオレにメイクアップが始まった。メイクをしながら来望はオレにいろいろと話しかけてくる。
「颯馬、素材がいいから。こういう服でも着こなせる」
「へ、へぇ?」
「本当はもう少し黒い感じのがいい……こういうの」
スマホを操作しながら見せてきたのは絵愛とオレのプリクラだった。いやいやオレの写真を見せてこういうのがいいってそりゃオレなんだからそうなるわ……っておかしくないか? なんでオレにオレの写真を見せてこういう風になれって言ってるんだ?
「来望、この一緒に映ってる女の人は誰だ?」
「……? あれ、思い出せない……。すごく大事な人だと思うんだけど」
「……」
未来視がなければ来望は競馬場にすら行っていない。そうなれば当然絵愛と出会うという事象すら発生していないことになる。そしてその事象が発生しなければ、女装プリクラなど撮ることはなかったのだ。
来望はよく分からない写真が入っていることに少し気味悪そうな顔をしているが、その写真を削除しようとはしなかった。まるで心の奥底で失われたはずの記憶の萌芽が現れているような、そんな葛藤が垣間見られる。
「こういうの、ちょっと新鮮」
「新鮮?」
「普段人にメイクなんて滅多にしないから」
「自分でするのとは勝手が違うよな」
「詳しいね?」
記憶を失う前の来望に教えられたことだからな。この口ぶりから察するに来望はこれがオレに初めて女装をさせるものだと思っているようだ。だからオレもそういうことにして来望に付き合うことにしている。
こうして来望の手によってオレはもう一度女の子にさせられる。前回のクール系とは違い、今回はかわいい系に仕立て上げられている。メイクだけで言えば高校の時のそれに近いと思う。
「うまくできた」
「……すごいな来望」
「颯馬への愛情の賜物」
時間が時間だから外を出歩くことは出来ないが、出歩いていても大丈夫なクオリティになっていると思う……多分。来望はオレを可愛くさせる才能を持っているらしい。いや限定的すぎないかこの才能!?
「颯馬、写真撮ろ」
「いいぞ」
あの時と違ってただのスマホの普通の自撮りだ。それでも、この写真をデータに残すことに意味がある。オレとのプリクラが残っていたことが来望の何かを呼び覚ましてくれたんだからさ。
「もっと近付いて」
「お、おう……」
「恥ずかしがらなくていい」
来望がオレの腰に手を回してぎゅっと距離を密着させてきた。そういうことナチュラルにできるのずるくない? イケメン度高くない? なんか来望がイケメンに見えてきたぞ……? いっそ来望も男装してみるか? ……ってかなんでオレが女の子みたいな思考になってるんだ!?
「颯馬、笑って」
「こ、こう……?」
「いい感じ、はいチーズ」
画面に映るオレの顔はなんともぎこちない笑顔だ。そして来望も満面の笑みというよりかはささやかな笑顔といった顔で、自撮りと呼ぶにはあまりにも盛れていない。
「ふふっ、私たちらしい」
「言えてる」
二人してその写真を見ながら笑い合う。オレ達には二人してキメキメの笑顔を作れるような晴れやかなものはない。それでもその中にはお互いの絶対的な信頼がある。それを互いに理解しているからこそ、こんな自撮りがオレ達には宝物に思えてならないんだ。
「送ったよ」
「ありがと」
送ってもらった写真を早速待ち受け画面に設定する。……うん、前に来望と撮った女装プリクラも悪くないけど、やっぱりこっちのほうがオレは好きだ。何よりも来望にとってはこれが知っているオレの女装の中で一番新しいんだし。
結局この日はしばらくの間女装したオレを来望が弄んで終わった。夜も更けてきたから一緒に寝ようとしたときも元に戻らないでとごねられたが。でもそういう日常こそがオレが最も求めてきたものであり、オレの夢だった。
来望が隣にいる、そしてそれを永遠のものにする。だからオレにはきっちりとやらないといけないことがあるんだ。その準備を進めていかないとな。そんな決心を抱いてオレは目を閉じた。
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