Race7. 何度でも

「……覚悟、決まったの?」

「あぁ」

「じゃあ教えて?」


 ごくりと息を呑む。オレの言葉が来望の未来を決めることになる。そしてその未来を選ぶことに対してオレは問題ないと考えている。それでも、その先で来望がオレのことをどう思うかという一抹の不安は感じていた。


 だとしても、だ。オレの中にある一つの確信が大丈夫だと青信号を灯している。オレはただその信号に従うだけだ!


「来望の人格と来望の記憶、どちらかを取れと言われたらオレは……来望の記憶を取る」

「……つまり憑依をやめていいのね?」

「そうだ」


 来望の中に宿る神様が不敵に笑った。まだ何かあるのか? オレが見落としていた何かを今になって提示するつもりなのか?


「憑依をやめれば依り代の誕生日から今日までの記憶で私に関与する記憶が消える。決死のプロポーズは無かったことになる。来望の競馬に関する観点は昔に戻る。結婚するという『結果』だけが残っても意味が無いでしょう?」


 そうだ。未来視に関する事象が消えるだけで、それ以外は残る。だから今日の結婚報告は間違いなく残っているし、来望自身もそうなったことに関しては異論が無いと思う。


 ただし、そこまでの過程は未来視という前提条件が存在する。未来視があったからこそ万馬券が生まれ、万馬券が生まれたからこそ来望はオレにプロポーズしてくれた。その前提条件が崩壊すればオレ達の関係はグチャグチャになってしまう。


「そうだな。お前のおかげでこの1ヶ月はとても刺激的だった。来望は積極的になるし、サークルも元に戻ったし、何よりも最高の来望を見させてもらった。あんたには感謝してるよ」

「ありがと」

「正直その記憶が来望から消えてしまうのは悲しいさ。でも……それは過去の話だろ?」


 来望がはっとしたような顔をする。オレは写真立てに飾られていた写真を見せる。女装してるオレと男装している来望。いかにも高校生といった感じの、若々しさ溢れる写真だ。


「お前、過去を全部見てるんだろ? ならオレがこの姿でミスコンのステージに立ったことも知ってるはずだな?」

「……」

「知ってないとは言わせないぞ? お前は言ったはずだ、オレ達の全てを見たってな。それでもシラを切るならもう一度言ってやる、耳かっぽじってよく聞いておけ」


 思い切り深呼吸。そして思い出せ、あの時の自分を。あの時群衆に言い放った魂からの叫びを! オレがこのキャラクターを選んだ理由、そしてステージに立ってその言葉を叫んだ理由を!


「『ここからはじめましょう、1から……いいえ、0から!』ってな。……てかよくこんなこと言えたなオレ」

「……否、そんな未来は存在しない! 私が未来視で支えたから! お前達は結ばれることができたんだッ! 未来視がなければそんな事象など」

「存在しない、ってか?」


 ああ、とても笑える。とても笑えて反吐が出る。こいつは何も分かっちゃいない。オレの来望はそんな感情を表立たせて怒りはしない。オレの来望はそんな口汚くオレを罵ったりしない。そして何よりも、


「確かに昔の自分ならそうだったかもしれない。でも今のオレは違うんだよッ!」


 オレの来望は努力を決して否定しない。


「昔のオレは自分のことしか見えてなくて、それで来望にも迷惑をかけた。自分がそうだって思い込むとそのドツボから抜け出せない。そんな意気地なしだった。来望のことを大事だって言っておきながら、その大事ってのはただの自己満足だったと思う」

「そうだ、その自己満足がお前達を破滅へと導くんだよ!」

「ああそうだ。でもな、来望はそんな自己満足を受け入れてくれたんだ。そうやってお互いのことを理解しようと歩み寄ってきてくれたんだ!」


 それが未来視に起因することであったとしても、来望がオレの競馬に対するスタンスを認めてくれた。故郷だって言ってくれた。それがオレにとってどれだけの救いになったのか。神様如きにそんなの理解できるわけないだろ。


「だからオレは何度だって繰り返してやる。オレの来望は記憶の一つや二つが吹き飛んだところで何かが変わるような柔な人間じゃねぇんだよ!」

「……! 後悔するよ? 現人神になっておけばなんの不安もない生活が約束される。お金も、愛情も、嫌って程満たしてあげられる。お前が愛した女の姿でッ!」

「いいこと教えてやる。オレが望むものはただ一つだ。『20年間幼馴染やってきた女の子と平穏な日常を過ごす』ってな。オレにはそんなささやかな願いだけあればいい」


 来望の記憶を全部コピーして来望の姿をした来望の偽物をオレは来望と呼びたくない。だってそれはオレが20年間一緒に育ってきて、酸いも甘いも共有してきた来望じゃないだろ?


「……選択肢を変える気はないの?」

「当然だ」

「……そう。ならさよならだね。失ってから私の重みをとくと知るがいいわ」


 光の粒子が来望の周りを取り囲み、ふわふわと空中を漂う。そっと手のひらにすくってみると、はらはらと崩れ去るほどに儚いそれはきっと記憶の残滓なのだろう。あまりにも脆く、少しの弾みで忘却の果てに追いやられるような、そんなものだ。


「……少しでも信仰してやろうと思ったオレがバカだったよ」


 あの神様はただ自らの依り代が欲しかっただけだ。報酬として破格のものを提示しておきながら、その代償によって失うものとのトレードオフを迫るような奴だ、依り代になったところで本当に無限の愛をくれるなどとは到底思えない。


「……? 颯馬?」

「ああ、颯馬だぞ」


 しばらくして来望が目を覚ます。その両目はマリンブルーのそれに戻っており、元の来望に戻ったんだと安堵した。だがそれは、来望から競馬に関する記憶がごっそりと抜け落ちているということも意味していて。

 

「来望ね、不思議な夢みてた」

「どんな夢だ?」

「もう一人の来望に会う夢。いっぱいお話して、それでさよならって」

「お話?」

「一緒にこっちにきてあそぼって。来望は嫌だって言ったの」


 もう一人の来望。あのいけ好かない神様が夢にまで干渉してたのか? オレがどうこう言っても来望の意思だとか因縁をつけて依り代にしてしまおうというところか。


「その後のことは……思い出せない」

「思い出さなくていい」


 オレは来望をぎゅっと抱きしめる。来望はその抱擁に拒否感を示しておらず、そっと目を閉じていた。オレは来望の耳元で優しく話しかけていく。


「嫌なことは思い出さなくていいんだ。オレ達にはまだ未来があるんだからさ」

「……未来?」

「そうだ。嫌なことはきっぱり忘れて……もう一度0から始めればいい」

「ふふっ、高校の時のやつ?」

「わっ、悪いかよ」

「ううん、懐かしいなって」


 来望があの写真を見つけたようで、それを手に取ってオレに見せてくる。


「印刷してたんだ」

「ある意味思い出だからな、ほら来望も映ってるし」

「おー、かっこいい」


 自分自身をそう評する来望。確かにスーツ姿の来望はカッコいい。意外と男装もいけるんじゃないか?


「こういうの、ユーリに頼んでみたら……ん?」

「来望?」

「ユーリって誰だっけ?」


 分かっていたことじゃないか。未来視がなければ悠里さんに会うこともない。だから悠里さんの記憶が吹っ飛ぶのも当然のことじゃないか。……ということは絵愛のことも忘れているな。あの二人にはどう説明すべきか。ありのままを伝えれば多分大丈夫だと思うが……。


「まぁいっか。颯馬」

「な、に……!」


 オレがベッドに押し倒される形で来望に口づけを奪われる。オレ達の関係自体は変わっていないものの、なんというか唐突感が否めないな……。


「颯馬、好きだよ」

「ああ。オレも大好きだ」


 来望からの好意が直球で伝えられた言葉。でもその言葉にはかつてのずっしりとした重みが感じられない。オレ達の関係は進んでいるようで振り出しに戻ってしまっていた。だからもう一度歩みを進めるしかない。来望の肌から放たれる熱量を感じ取りながら、オレの精神は何度でも燃え上がる。


 だってオレは来望の彼氏であり、夫になる男だから。来望が背負う苦難はオレの苦難でもあると。だからオレは諦めない。諦めたとしてもすぐに立ち上がってみせる。


 それはオレ達を侮辱した神への反抗だ。

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