Race10. 黒と白の交誼
「おーっ、颯馬ちゃんここにいたよ。たこ焼き食べる?」
「いただきます」
パドックを見終わって建物の中に入ると、たこ焼きの舟を2つ持った悠里さんが飛んできた。オレはたこ焼きを食べながら新聞を眺める。
シルバープリンセスはこのレース唯一の芦毛である。パドックでこそ目立っているが人気はほとんど無く、下から数えた方が早いという代物だ。さらに、乗っている騎手も有力ジョッキーという訳ではない。勝つというにはかなり難しいだろう。
「アタシの本命はね、この子」
「いや……さすがにシルバープリンセスは」
「そうかなぁ? さすがに舐められすぎでしょこのお姫様さ」
確かに最近はパッとしない走りが続いているが、G1を勝ったこともある名馬だ。そんな名馬が穴で買えるというのなら、確かに穴党の悠里さんが飛びつく意味はわかる。
しかし懸念点は2つ。1つは1600mという距離が初めてである(*1)ということ。もう1つは無名の騎手をG1の鞍上として選んだ点だ。出走手当(*2)が目的か、それともその騎手に勝算があるのか。競馬ファンの民意は前者を選んでいる。
「颯馬ちゃんは?」
「順当に1番人気じゃないすか?」
「面白みがないなー」
ダート替わりだというのにここで恐ろしい勝ち方をした馬が1番人気に推されている。その様子はオレも見ていたが、ダート初戦とは思えないような勝ち方だった。ここでも強い競馬をしそうだと思う。
「後は?」
「松江じゃないすかね」
「松江騎手好きだねー」
1番人気から適当に流して買おう。そう思っていたが、脳裏に焼き付いていたのははためく
だからオレはシルバープリンセスをヒモに入れていた。1番人気1着固定の3連単の流し。あとはシルバープリンセスの応援馬券である。これは純粋に勝ってほしいという願いからなのだが。
かくしてレースの火蓋は切られる。レースはダートにしてはハイペースで進み、4コーナーを回ったところでシルバープリンセスは馬群の中程にいた。
「このペースならワンチャンあるぞー!」
「……! 頑張れシルバープリンセス!」
4コーナー(*3)を曲がってくる馬たちを迎える歓声。その歓声の中にオレの声も入っていた。
白銀の馬体が砂煙の中を駆ける姿はまるで蜃気楼。騎手のムチも入り、レースが一気に加速していく。
「来て来て来て来て……!」
「いけー! がんばれー!」
馬場の中段から1番人気の馬が抜け出していく。その脚は止まることなく後続を引き離していくが、その脚に対抗するかのように1頭の馬が背後から忍び寄る。
「……! マジ来た!」
「いっけええええええ!!!!!!!」
その馬の名はシルバープリンセス。低い人気もなんのその、ハイペース気味で流れたせいで潰れた前の馬を軽々と抜き去り、今にも先頭に躍り出んとする勢いだ。
残り200m、その差は2馬身ほどだが、前の馬は止まらない。が、シルバープリンセスもまたその脚を決して止めることはなかった。その走りに人々は驚嘆の声を上げる。かつて華やかな戦績を残したが今では没落しきっていた白銀のお姫様。彼女は新たな力を手に府中へと戻ってきたのだ。
2頭の馬がゴール板を横切った後も歓声は止まない。しかしその歓声はきっとシルバープリンセスにも送られているだろう。昨日の大番狂わせには至らないが、その走りは見る人々を熱狂させるにふさわしいものだった。
◆
3階のエントランスでオレ達はある人たちを待っていた。そしてその姿は少しすると現れる。白銀の髪を靡かせる少女と、鉄黒の髪をまとめた威厳のある少女。それはオレがよく知っている2人だった。
「颯馬!」
人目をはばかることなく来望が抱きつく。オレも軽く涙を流しながら来望の頭を撫でてやると、来望も嬉しそうな声を上げた。来望の目は相変わらず両方とも赤く染まっているが、それはそれで可愛らしい。
「アンタがいて良かったですわ」
「……最初からこのつもりだったの?」
「まさか」
悠里さんと絵愛が話し込む声が聞こえてくる。まぁこれを事前に仕込むってのは無理があるよな。隣には屈強なガードマンが数人体制で囲んでるし、絵愛の隣には初老の執事もいる。これガチのお嬢様じゃない?
「お嬢様、こちらの方々は?」
「わたくしのサークルの人たちですわ。まったく、お嬢様らしくしろなんてわたくしらしく無いですわね」
普段からそんな口調だったと思うのだが……着ている服とかで違いがあるのだろうか? 今の服も普段のゴスロリ感のあるものからシックなものに変わってるし。
「ここでは何ですから場所を移しましょう。黛」
「承知いたしました」
オレ達は普段通らない場所から競馬場を後にしてリムジンに乗り込む。後から見返したらそこは馬主用の入り口だし、そもそもリムジンが止まっているのも馬主用の駐車場だし。
「まずは颯馬さん。来望さんを突然お借りする形になって本当に申し訳ありませんわ」
「そこに関してはまぁ追々。それよりも今の来望は眼帯をしていないのですが大丈夫なんですか? 目も赤くなってますし」
「大丈夫だよ?」
絵愛の答えを待たずにオレの隣でジュースを飲んでいた来望がそう返答する。
「お馬さんを見るだけなら平気」
「その左目は?」
「カラコン」
「あの場に眼帯の来望さんを置くわけには行かないでしょう? それにオッドアイというのも目立ちすぎますわ。ただでさえ目立つ髪の色なのですから」
一理あるな。しかし馬を見るだけなら平気なのか。そうなると来望の右目が反応するのはオッズとか新聞とかそういうデータに反応するものかもしれないな……。
「意外と考えてるんすね」
「当然ですわ。だってわたくしと来望さんは」
「友達、だよね?」
飲んでいたお茶を吹き出す。えっ、いつの間にそんな関係になってたんだ? まさか来望の言っていた友達との用事ってこれ? 友達って絵愛のことだったの!?
「聞いてないぞ!」
「うん、秘密にしてたから」
「どういう因縁でこうなったんだ……」
「知りたい?」
「当たり前だ」
そう言うと、来望が絵愛に軽く何かを確認する。絵愛が頷くと、来望は静かに言葉を紡ぎ始めた。かくしてリムジンの車内で来望と絵愛の馴れ初めが語られることになったのだ。
■
*1 距離経験の有無は予想において大事である。なぜなら、ペースが崩れたり、距離不足だったりする可能性を孕むためである。特にコーナーを曲がる回数には注意を払う必要があり、コーナー経験が無かったことによって負ける馬もよくいる。
*2 JRAでは馬を出走させるだけである程度の手当が貰える。特にG1では、オープン馬を走らせればそれが何着であってもお金が手に入る。あまりにもレベルが違う馬がG1に出走すると、これを目当てにした出走なのではないかと疑われる場合もある。近年では2020年ジャパンカップのヨシオがそれに該当する(ヨシオはダートを主戦場にしているにも関わらず、突然芝のレースに登録したため)
*3 4コーナーは最後の直線手前のカーブを指す。このコーナーはゴール板を基準に、最初のカーブを1コーナー、そこから2,3,4と続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます