Race9. シルバープリンセス

 結局あの後来望に連絡をする気にもならずに日曜日を迎えた。G1レースをやるというだけあって、開門直後だというのに東京競馬場はたくさんの人でごった返していた。その中をオレは気持ちここにあらずといった感じでふらふらと歩いていた。


「ちょいちょい、こっちだって」

「あ……すいません」


 オレは悠里さんに連れられて席へと向かうが、その足取りはおぼつかない。悠里さんにはあの後何が起きたのか詰められたが、オレは悠里さんにその話をしたいと思わなかった。したとしても自分の言っていることが自分でも信じられない。


「……颯馬ちゃん!」

「あっ……悠里さん何の話でしたっけ」

「だからフェブラリーS(*1)なにを本命するのって」

「そ、そうでしたね」


 悠里さんはオレの様子をかなりいぶかしんで見ているようで、その顔色からは不安さが溢れだしている。


「もしかしてさ、昨日のことまだ引きずってる?」

「……まぁ」

「一体何があったの? 設楽さんを呼んだかと思ったら心臓発作起こしたみたいに倒れちゃって」

「……聞いても笑わないですか?」


 悠里さんは頷く。普段の悠里さんはおちゃらけたイメージがあるが、こういう時の悠里さんは頼りになるとその背中で何度も教えられている。オレは勇気を振り絞って昨日見たものを話した。


 悠里さんはその話を聞くと、


「左目も赤くなってたのは見間違いじゃないのね?」

「はい。そもそも眼帯すらしていませんでしたし」


 眼帯をしていないという点にどうやら悠里さんも引っかかっているようだ。来望の性格を考えれば、ここで眼帯を取るという選択肢はあり得ない。ここじゃない競馬場の結果を予知するときにひょっとした取るかもしれないが、少なくともこの競馬場の情報が大量に入ってくるような場所で取るという選択肢は端から存在しないのだ。


「別人じゃないの?」

「来望みたいな綺麗な髪の持ち主がいるなら是非会ってみたいです」

「カラコンって線もあるけど……それだと眼帯を取る理由が分からないのよね……」


 あの目は視界に入った競馬に関する情報をすべて取り込むと来望は話していた。故に眼帯を常用して目に入らないようにしているはずなのだが。


「正直情報不足だよねぇ」

「幻覚でも見てたんすかね」

「いや、アタシも見てたよ。顔までは分からなかったけどかなり目立つ格好だったよね」


 白銀のポニーテール、そしてそれに合わせたかのような純白のドレス。まるで童話の中のお姫様のようで、あまりにも現実感がなさすぎる。その格好に言及したとき、悠里さんがふと気になることを言った。


「設楽さんに会ったのってどの辺だったっけ?」

「ここを降りてすぐのところだったような……?」

「なら行ってみましょうか」


 悠里さんに連れられてエスカレーターを下る。どんどんと下っていき、場所は3階。京王線ユーザーのオレ達が使うであろう入り口への連絡通路の近くだ。


「……ここらへんでしたね」

「ふむふむ」


 やはり入り口近辺だけあって人通りが激しい。こんなところに本当に居たのだろうか? 悠里さんは周囲を見ていると、何かを見つけたようで合点のいったような顔をしている。


「なるほどね、そういう」

「なに一人で納得してるんですか」

「その女の子が『ドレスを着ていた』理由、そしておそらくだけどその女の子が設楽さんであるという可能性が高いというのも分かったわ」


 やはりか、と思いつつもさらにそこから悠里さんは衝撃の一言を言い放った。


「今日のメインレース、絶対に見逃しちゃダメだね。特には」


 ◆

 

 悠里さんの仮説、それはあまりにも現実離れしているものだった。しかし、それならば納得がいくものである。あの少女が来望であることも、あの場所に現れたことも、来望がお姫様みたいな格好をしていたことも。そして何よりもオレが今指定席で競馬を見ていることも全てが合点がいくのだ。


「まぁいつかこういう日が来るとは思ってたけどまさか今日とはね」

「悠里さんは知ってたんですか?」

「同じサークルだし、何だかんだ言ってあの子には良くしてあげてたから」


 溝呂木絵愛。多摩中央大学競馬サークル現部長にしてサークル分裂を引き起こした立役者。だがオレはその側面だけを見ていたおかげで、絵愛のもう一つの側面を知らないでいた。


 馬主。競馬ファンならば誰もが憧れるその二文字。絵愛の父親はその馬主(*2)である。悠里さん曰く、そもそも絵愛は大企業の社長令嬢であるという。あのお嬢様然とした口ぶりは本物のお嬢様ということだったのか。当然幼少期から競馬に触れ競馬好きとなった絵愛だが、絵愛自身は馬主になろうとは考えていなかったと悠里さんは言う。


「あの子はね、競馬が持つ熱量をファンの中で感じるのが好きなのよ」


 絵愛のデータ指向な予想はおそらく競馬に身近で触れることができたが故の産物。だが、絵愛が求めていたのはそんなデータではない。ただ馬が好きで応援するという純粋なものだという。だからオレのことを気に掛けていたのか。


「……でも今日のメインにはそんな馬主いないですよ」

「これよ」


 悠里さんによれば『シルバープリンセス』という馬の馬主だという。しかし競馬新聞に書かれていた馬主名に溝呂木という文字はない。ありふれた名字にありふれた名前……というかこれ女の人の名前じゃないか? 


「あの子のお父さんはね、あえて奥さんの名前で登録しているのよ。自分の子供に飛び火しないようにね」

「まぁ……珍しい名字ですからね」

「だからあの子が私たちじゃ至れない高み……馬主席から見ることは簡単よ。それでもあの子がそこにこだわらないのは……本当に競馬が好きだから、なによりもその好きを共有したいから」

 

 好きを共有、か。溝呂木絵愛というひとりの少女が欲しかったのは、お金でも地位でも名誉でもなくて、ただ競馬を一緒に楽しみたいという仲間だったのかもしれない。


 オレ達のサークルの崩壊も絵愛自身は望んでいなかったのではないか? ただ周りが煽動しただけだったのではないか? そして何よりも絵愛と悠里さんが仲が良いのなら。なぜこの悲劇は起きなければいけなかったんだ?

 

「しんみりしちゃったわね。今日もデカいの1つぶち当ててやりましょ!」

「そうですね」


 悠里さんが気を張るように声を出す。目の前にはいつものように芝が張られ、風に流されるように砂煙が上がる。サラブレッド達が駆けるたびにスタンドからは歓声や罵声が飛び交う。そんないつもの光景だ。


 こうして時間は過ぎてメインレースの時間だ。オレはずっと前からパドックの真ん前で運命の瞬間を待つ。スタンドからはおそらくレースが終わったであろう歓声が沸き上がる。そしてここにはたくさんの人がやってきて馬たちを見ていくんだ。でも、オレはその為にここに居るんじゃない。


 来るかも分からないひとりの少女を待つため。そしてその姿をただ目に収める、たったそれだけのために目を光らせている。パドックの中央には既に正装の人たちが集まっている。それは間違いなく馬主とその関係者だ。来望は関係者でもなんでもない。だから本来は居るはずがないはず。


 しかし白銀の風は吹く。オレは確かに来望の姿を捉えた。昨日と同じドレス、昨日と同じ髪型。そして昨日と同じ目の色。その目に眼帯はされておらず、飄々とした雰囲気はパドックの中でも目立っていた。


 そして来望と目が合う。こちらも相当な人混みだ。目が合ったとしてもオレは幾多の有象無象に埋もれていくだけだと。


 でも来望は手を振った。そして声にこそ出さないものの、来望が何を言ったかを直感的に理解した。それを理解したとき、オレは心の底から安堵した。何も変わっていない。目の前にいる来望は、オレが知っている来望だから……!


「颯馬、きれい?」

「(綺麗に決まってるだろうが……!)」


 オレが振った首の方向などきっと来望には分からないだろう。それでもオレは来望の姿をしっかりと目に焼き付けていた。この姿を見られるのはきっと一度きりだから。


 白銀の髪が風に靡く。その姿にオレは言葉にできない感情を滾らせていた。


 ■


*1 冬の東京競馬場開催を締めくくるG1レース。ダート1600mで行われる。

*2 馬主にも種類があり、個人馬主、組合馬主、法人馬主と種類がある。中央競馬の個人馬主になるには継続的に莫大な収入が入る、すなわち大企業の社長クラスの大金持ちでないといけない。たとえば、『サトノ』の馬名でおなじみの里見治氏はセガの社長である。

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