Race8. 白銀の風、真紅の瞳

 土曜日、明日がG1デーであると同時に今日も重賞が行われるというだけあってか、東京競馬場は普段よりも賑わっているように感じる。普段よりも治安の悪さを感じるというかなんというか……ギラついた目線の人が多いような、そういう感じ。


 そんな喧噪の中、オレは6階の指定席に座って新聞を眺めていた。隣にはもちろん悠里さんも一緒だ。


「いやー助かったよ颯馬ちゃん、うちのツレがドタキャンしちゃってね」

「よく分からない人が隣にいるよりはマシですからね」

「というか颯馬ちゃん、設楽さんは?」

「友達と遊びに行くそうです」

「まぁここ2週間くらい颯馬ちゃんにベッタリだったもんね~」


 悠里さんのツレか。悠里さんはいつもオレと競馬場に行くから、それ以外の人と行くというビジョンが想像できない。強いて言うなら絵愛ぐらいだと思うのだが、あの関係だとそういうことではないのだろう。


「ってか今日のメインどうよ?」

「拮抗しすぎてて逆に読めないです」

「こういう時は穴馬が美味しいんだよねぇ」

「意外と最低人気が飛んできたり?」

「あるよ~」


 今日のメインレース、ダイヤモンドS。芝3400mという超長丁場のレースは冬の風物詩の1つ(*1)と言っても過言では無いと思う。このような長距離のレースは冬場にしか組まれないため、ここの一番に向けて調整している馬もかなりいるはずだ。


「お昼どうするよ?」

「適当に買ってきましょうか?」

「んー……そういう気分じゃないわ。一緒に見て回らないかい?」

「任せます」


 かくしてオレ達は競馬場の中をうろうろしながら今日のランチを探すのであった。正直オレは蕎麦だろうがカレーだろうが何だっていいみたいなところはある。カレーは昨日食べたけど。しかし悠里さんは食にこだわりがあるようで、いろいろと店のある場所に行っては違うを繰り返している。そして、


「やっぱ内馬場だわ」

「ですか」


 結局内馬場の蕎麦屋に行くことになった。最終的にいつもの店に落ち着くってのもあるあるだ。内馬場に繋がる地下道を歩くと、家族連れの姿もいくつか見られた。内馬場には子供がいても楽しめるような場所が多いからな……そういう目的ってのも理解はできる。


「……?」


 今、オレの横を見知った髪が通っていったような気がした。


「来望?」


 それは見慣れた白銀の風。その姿を見ればオレはすぐにでも気付く。だが、一瞬気付くのが遅れたのが仇となったか、その風の主は人混みの中に消えていった。


「なになに、設楽さんの幻覚でも見たの?」

「……まぁ幻覚っすよね」


 今日は来望は友達と遊びに行っているはずだ。オレのベッドで起きてからは寝ぼけたように自分の部屋へと戻って慌ただしく出て行くのを見かけた。待ち合わせに遅れたんだろうなぁと思いながら微笑ましく見ていたのだが……それがここに来るため? それこそあり得ないだろう。


「悠里さん、来望ってどう思います?」

「おっ惚気か?」

「そういうことじゃなくて」


 言葉不足だった。


「何というか……来望ってこういうとこに一人で来られると思いますか?」

「設楽さんが? いやーキツくない? あんな髪の色してたらすぐ気付くって」

「まぁそうですよね」

「意外と一人じゃなかったり?」

「絶対あり得ないですよ」


 来望に競馬好きな友達がいるなど聞いたことがない。仮にもそんな友達がいたのなら、来望が競馬に対して厳しいってもんじゃないスタンスをとる理由が分からないからな。


 だからアレは気のせいだと自分の中で反芻することにした。


 ◆


 メインレースのパドックを見ながら悠里さんがふと呟いた。


「明日の指定席のチケットいる?」

「取れたんですかアレ」

「プラチナステージ舐めるなよ?」


 そういうことは来望に確認しないといけないだろう。スマホを見ると、来望からLINEが届いていた。


『明日も用事ある』


 残念だ。G1のような熱気満々のレースは、たとえ結果が分かっていたとしても自分の中の熱を上げる何かがあるとオレは思っている。そんな空気を来望にも感じ取って欲しかったのだが……まぁ用事があるなら仕方ない。


『分かった、楽しんでこい』


 そうメッセージを送ると、来望からありがとうとスタンプが飛んでくる。可愛らしい猫のキャラクターのスタンプだ。


「設楽さんどうだって?」

「明日も用事あるみたいです。せっかくですから悠里さんのお誘いに乗りましょうか」

「任された」


 G1という大きなレースを指定席から見るというのは狭き門だ。便乗する形になるがそういうチャンスはめったに降ってこないだろう。チャンスは掴めるときに掴む。馬券と同じだ。


 ちなみに馬券のチャンスは掴めなかった。このレースはなんと最低人気の馬が激走。2着3着こそ人気馬が入ったものの馬券は大荒れ。3連単の払い戻しが300万円以上になるなど大変なレースになってしまい、競馬場はどよめきに包まれていた。


「……マジで?」


 その様子に狼狽しているのは悠里さんだった。手元に持っている馬券を見ると、


「いや嘘でしょ……」


 悠里さんはこのレースの3連単を当てていた。3連単2頭固定マルチ総流し(*2)。ヤケクソみたいな馬券だが、手元のこれは300万に化けているのだ。


「やっば、ヤバいですってこれマジで」

「言葉が出ない」


 悠里さんは泣いていた。いやこんな現場に遭遇したらオレでも泣く。ウィナーズサークルでは勝った馬の撮影が行われている。真っ白な馬は来望が好きそうな馬で、もしもこの場にいたら来望はあの馬の単勝でも勝ってただろうな。


「悠里さんこれどうします?」

「……最終見て払い戻しして帰ろう!」


 かくして悠里さんは人生3度目の窓口払い戻しを体験し、そのままタクシーで家まで直帰しようという時、白銀の風がまた吹き荒ぶ。それを感じたとき、オレは声に出してその方向へ振り返った。


「……来望!」


 その姿は間違いなく来望だった。フォーマルなドレスを着用して、普段とは違うポニテ姿だが、それは間違いなく来望だった。来望が振り向いたが、その姿は一瞬にして人混みの中へと消えていく。だが、オレはその一瞬を見逃さなかった。否、その一瞬をよかった。


 オレはその場にへたり込む。悠里さんがそれに気付いてオレを抱え上げるが、オレは悠里さんの支えで立っていられるのがやっとだった。


「ちょっと颯馬ちゃんどうしちゃったの!?」

「……嘘だ、そんなことあり得ない、だってアレは夢の中の話で」


 来望は眼帯をしていなかった。そして来望のが終焉の焔の如く紅く、紅く燃え上がっている。それはオレの中の悪夢で現れた来望そのもの。


 結局ほぼほぼ引きずられるような形で家まで送られたが、それでもオレは今日起きた事が事実であると認めたくなかった。


 ■


*1 現行競馬において、芝3000m以上のOPレースは万葉S、ダイヤモンドS、阪神大賞典、天皇賞(春)、菊花賞、ステイヤーズSの6レースのみであり、その半分が冬に集中している。なお、今年は京都競馬場の改装工事の影響で、条件戦の松籟(しょうらい)Sが芝3200mで行われる。

*2 3連単2頭固定マルチ流しとは、『3連単のうち2頭を固定し、その上で残りをそれ以外の馬すべての組み合わせで購入する。この時、固定した2頭の順位は考慮しない』という意味である。さながらスタバのコール。

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